#0029【アウン・サン(ミャンマー、20世紀前半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

水曜日の今日はビルマ(現ミャンマー)建国の父、アウン・サンを紹介します。

アウン・サンはイギリス植民地となっていたビルマ中部で1915年に生まれました。

1933年にラングーン(ヤンゴン)大学に進学し、学生組織機関紙の編集者として反英的な記事の執筆・掲載を進めます。1938年にはラングーン大学学生会と全ビルマ学生連合の委員長に選出されて、学生界の指導者となっていきます。

やがて学生運動から政治運動へ転身し、反英独立運動を展開していきますが、1940年にイギリスから逮捕状が出たため、貨客船で中国厦門(アモイ)に脱出します。

そこで日本軍と接触し、日本の資金援助と軍事援助の約束を受けて、日本占領下にあった中国海南島で4か月の厳しい軍事訓練を受けました。これは通常であれば2年かけて行う内容のものでした。

1941年12月に太平洋戦争が勃発し、日本軍がバンコクへ進出するとアウン・サンも同地へ移動し、日本の指導の下、ビルマ独立軍(BIA)を編成します。1942年3月にBIAは日本軍とともにラングーンを奪い、同年7月にはビルマからイギリスの勢力を追い出すことに成功します。

この軍事行動の中で負傷したアウン・サンは一時ラングーンの病院に入院しました。そこで看護師をしていたキン・チーと出会い、二人は1942年9月に結婚します。短い結婚期間でしたが、二人の間には二男二女が誕生しました。長女が現在のミャンマー政治指導者、アウン・サン・スー・チー女史です。

1943年にはアウン・サンは日本に招待され、旭日章を授与されるなど若干28歳ながら重要人物と目されるようになります。

しかし日本軍のインド進出作戦であるインパール作戦が1944年7月に失敗すると、日本の敗色が濃厚になります。また日本の下でのビルマ独立が形だけのものに終わる可能性を危惧し、アウン・サンは秘密裡にイギリスと接触、1945年に入ると抗日ゲリラ活動を実行しました。

太平洋戦争が日本の敗戦で終結した後、イギリスはアウン・サンを逮捕しようとします。彼が日本軍に協力した点を一部の英国指導者たちが問題視したためです。しかし、ビルマに進駐したマウントバッテン総督は寛容政策をとることにしました。

不問に付されたアウン・サンは、軍隊の役職から全て外れて政治活動にのみ注力し、イギリスとの独立交渉に専念します。1947年1月にロンドンへ赴き、アトリー英首相と会談した結果、一年以内のビルマ独立を約束させることに成功しました。

イギリスとの間で合意がなされましたが、独立までには乗り越えなくてはならない問題がありました。それは、少数民族の問題です。ビルマは、ビルマ族がもっとも多いもののその他にも複数の少数民族を抱えていることから国家体制や憲法などの利害調整に苦しみました。

彼は各地を巡って演説を行います。「最初から完璧な憲法はありえない」と説き、また「困難に打ち克つためには多様性が欠かせない」として団結の重要性を訴えかけます。

戦前とは異なり、アウン・サンは、非暴力的な交渉・話し合いでビルマ独立の運動を推進していきました。日本軍と手を組んだことにより、結果として多くの国民を苦しめることになってしまったことへの反省から「非暴力」に転じたものと、長女のアウン・サン・スー・チー女史は解釈しています(根本敬著『物語ビルマの歴史』236頁)。

彼が指導する政党は、制憲議会の与党となります。そして憲法案が議会に提出され、その審議がされていた最中の1947年7月に閣議を開いていたアウン・サンは閣僚6名とともに突然の乱入者の手によって暗殺されました。満32歳の若すぎる死でした。

暗殺を指示したのはウー・ソオという非主流派の人物でしたが、その動機・背景については不明瞭なまま現在に至っています。若いアウン・サンを疎ましく思ったビルマ国軍のネ・ウィンが黒幕だったという説もあります。ネ・ウィンは1962年にクーデターでビルマの実権を握ると1988年のビルマ全土での民主化運動まで最高指導者として君臨していた人物です。

アウン・サン暗殺後の1947年9月に憲法案はビルマ制憲議会において可決され、同年11月に英国もビルマ独立を正式に承認しました。

1948年1月4日、ラングーン市庁舎において英国ユニオン・ジャックが下ろされ、新生国家ビルマ連邦の旗が上げられ、遂にビルマは独立を果たします。

アウン・サンの自宅は現在も往時の姿が保持されており、彼の愛用した家具とスー・チー女史が使ったベッドも残っています。執務オフィスだった建物はHouse of Memoriesというレストランになっており、彼が好んだ料理が提供されています。そして、アウン・サンは、世界遺産シュエダゴン・パゴダのある丘の麓に同志たちとともに眠っています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2

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