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#0158【人の心が見えたのは(豊臣秀吉②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げていますが、今回は豊臣秀吉です。

<2017年に取り上げた際の小話>
#0008 【豊臣秀吉】https://goo.gl/ynsFPC

昨年取り上げた際には、信長が死んだ後の秀吉の天下人(権力者)としての人生を中心にしました。

今回は彼の前半生を見てみたいと思います。

実は秀吉の前半生、特に信長に仕える前のことはよく分かっていません。色々な伝説が付け加わってしまっているためです。

本人が天下を取った後に、様々な資料に載っている内容を削除したり、加筆したりしています。

少なくとも分かっていることは、彼が貧農の子であり父を早くに失くし、母が再婚して異父弟がいる環境だったということです。

実家での居心地が良くなかったことから、早々に飛び出して立身出世を夢見て努力していたことは間違いないと思います。

その過程で、人の心の機微や、虚栄心・自尊心をどうくすぐれば人が動くのかを見ていったのだと思います。

のちに謀略の達人、或いは「人たらし」と呼ばれるようになる彼の能力は、苦難の前半生の中で習得したものではないでしょうか。

信長に仕える頃には、メキメキと才覚を表し、その才能を愛されて重宝されます。

そして、信長の妹お市の方を妻に娶っていながら、信長を裏切った浅井長政を滅ぼすにあたって、秀吉は抜群の功績を挙げることができました。

信長はこの活躍にたいして、秀吉を大名として取り立ててやりました。今の滋賀県にあった今浜という土地を根拠に城を構えて領国とさせたのです。

感激した秀吉は、今浜という地名を「長浜」へと変更します。

信長の「長」の字を拝領して改称したのです。信長が「岐阜」という地名を名付けたことから、地名を変えていくことが流行ります。
(#0043【岐阜の由来】https://goo.gl/UfiZkZ)

秀吉は、信長の部下として抜群の働きをしていきます。もし、何もなければ信長の部下として仕事の結果に対する緊張感はあるものの、ある意味安定した、幸せな人生を歩んだかもしれません。

しかし、本能寺の変によって信長が非業の死を遂げると、時代がそれを許しません。

後継者へと名乗りを挙げ、天下を統一して最高権力者となりました。しかし、それゆえに自分の幼き後継者の行く末を案じながら、世を去ることになってしまったのです。

最高権力者の後ろ盾になれる人などいません。もし、そういった人がいるのであれば、その後ろ盾の人物こそが最高権力者となってしまうからです。

秀吉は、幼き後継者の後ろ盾として、実力者「徳川家康」と昔からの友人「前田利家」の二人を任じて、この世を去りました。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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主要参考文献等リスト:
https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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