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#0010【早雲がビジネスパーソンに処世術を指南したら(北条早雲)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週は歴史上の人物から処世術を学びたいと思います。

今日は、戦国大名1号とも言われる北条早雲から学びます。処世術に入る前に早雲の人となりですが、この人そもそも本名がはっきりしていません。

「北条(ほうじょう)」という名字は、早雲の息子が使い始めます。そして、下の名前に直接触れることは失礼にあたったため、彼の名前が明記された同時代の資料が残っていません。

現代でも、会社の上司を下の名前で呼びかけることは、ほとんどないと思います。例えば部長が「田中太郎」という名前であれば、「田中部長」或いは「田中さん」と呼びかけると思います。

歴史学者などは、伊勢氏出身と思われることと、出家後の名前とを合わせて伊勢宗瑞(いせそうずい)と呼ぶことがあります。

経歴についても不明な点が多い人物です。はっきりしていることは、高くない身分から最終的には小田原城(神奈川県西部)を拠点にして、関東南部を押さえた戦国大名にのし上がったという事実です。

北条早雲は、早雲寺殿廿一箇条(そううんじどのにじゅういっかじょう)という分国法(家訓と思って頂いて構いません)を定めました。

その中には、現在の処世術としても使えそうなものがあります。たとえば、

第8条:

朝、すぐに上司のところにいくな。同僚の様子を確認してからにしろ。そうしないと思わぬ失敗をする。

(前日に何か異変があったかもしれないし、そもそも上司の機嫌が悪いかもしれないだろ。)

第9条:

上司に命じられたらすぐに「ハイ」と返事しろ。やったことをその通りに報告しろ。才知をひけらかすな。独断専行してはならない。

(素直さは大事だが、出る杭は打たれるぞ。注意して事にあたれ。)

第11条:

仕事を多く抱え過ぎると身動き取れなくなる。どんなことでも然るべき人に任せろ。

(任せられることは他人に任せて、自分がやるべきことをしっかりとやれ。)

と本文を現代語訳するとともに括弧書きに私の解釈を付記しました。苦労人としての視点から現代にも通用する心得だと思います。

北条一族は、早雲の息子・孫の代までに関東一円に勢力を広げます。しかし、曾孫の北条氏政が中央の情勢を読み切れず、1590年に豊臣秀吉に滅ぼされてしまいます。

氏政の息子、氏直は徳川家康の娘婿であったことから助命されて高野山に追放されましたが、翌1591年に死去。北条氏は滅亡します。

戦国時代は、最初の戦国大名と呼ばれる北条早雲から始まり、その滅亡を以て終わりを迎えました。

以上、本日の歴史小話でした!

水曜日は古代中国から范蠡(はんれい)に登場してもらいます。

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2

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