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東電22兆円判決に見る取締役の役割と責任

2022年7月13日、安倍元首相の訃報、参院選、そのまさに翌週に10年越しの判決が出た。2011年3月の東日本大震災に関わる原発事故に関する東京電力経営陣の責任問題についての株主訴訟に対する判決である。

多くの人、株主訴訟とか善管注意義務という言葉が耳慣れない人にとっては、そもそも22兆円って個人レベルが支払える額じゃない、何考えてんだ?という疑問だけが湧いてくるかもしれない。今回は、原発事故の詳細(※私が特段詳しいわけではないので)に焦点を当てるのではなく、取締役の役割と責任、そこから見る22兆円の意味について考えてみたい。

この記事を読んでもらうことで、取締役という役割について理解が進むと嬉しいですし、経営を通じてより社会的価値を向上、そしてこの原発事故のように社会的価値を毀損しないために、取締役会がどのように機能していくべきなのかを考えるきっかけとなれば光栄です。

では、取締役会の目指すべき姿、そこにある限界について筆をとってみたいと思います。

株主(代表)訴訟とは何か

wikiなんかにも解説があるのでそちらも見て貰えれば良いですが、それだけだとまだ良くわからない方も大勢いるでしょう。株主が会社ではなく個人である取締役を名指しで訴る、それが株主代表訴訟です。そもそも、株主が、なんで個人を訴えるのか、というところが繋がらないかもしれません。

今回のケースだと、こんな風な流れになるかと思います。

1)原発事故で東電に多大な損害が発生し、株主価値が大きく毀損した

2)株主は事業リスクを理解して上でそれも含めて投資をしているが、今回の事故が通常の事業リスクではなく、正しく経営が行われなかった結果であると株主としては考えている

3)株主は経営の監督のために取締役を選ぶ権利があるが、その取締役が経営を監督した結果、その経営の責任において善管注意義務違反が認められたとは判断されておらず、会社をして取締役への責任追求が進まなかった

4)従って、株主の権利として取締役の責任を問うため、株主代表訴訟を行った

という感じです。

つまり、株主代表訴訟とは、株主にとってセーフハーバー、ガバナンスの要の一つであるわけです。これが会社法上認められていなければ、取締役選任を承認した時点で、あとはもうその取締役を信じるしかないという関係性になってしまいます。

そうなってしまうと、一度選んでもらえればその任期内はある意味自由に経営をできてしまい、無法地帯となってしまうリスクがあります。株主にできるのは、次の選任のタイミングで反対(解任)することしかできず、その期間に起きた経営責任は全て株価の下落という形で株主に完全転化され、取締役は解任される以上のリスクを負わないことになります。

こういう関係にあるからこそ、株主には取締役に対してインセンティブを揃えるために、株式インセンティブを取締役にはできる限り十分に多く持って欲しいという切実な願いがあるわけです。

それだけではリスクを回避できない分、セーフハーバーとして、ガバナンスの要として株主として取締役を訴える(※正しく経営しているか、すなわち善管注意義務を果たしているかを図る)仕組みが必要なのです。

原発事故における取締役が問われた責任とは

この点は私は専門家ではないですが、私なりの理解を書いておきます。(※網羅的でないですし、また誤解があれば申し訳ないです)

最大の焦点は、「津波による事故が想定外だったのか」です。想定できたのであれば、そのリスクを取締役は見逃したことになる。それは経営として果たすべき善管注意義務を十分に果たせていないのではないか、という責任問題になります。

詳細はわかりませんが、これが想定外だったかどうか、ということを科学的に争っても仕方ないという風に思うところもあります。なぜでしょうか。

「想定していなかった」=想像もしていなかったという意味であれば、そもそも考えてもいなかったということになります。ただ、考えていたが、その際は可能性はゼロだという結論に達していた、という意味の場合もあるでしょう。この2つには大きな違いがあります。

実際に自然災害のリスク認識は科学技術の進歩、地球環境の変化で日々アップデートされていくものです。ある時点ではゼロ%だと言われていてもその前提は日々変わっていく可能性があります。

今回の場合、原発を建設した当時は問題ないという結論がでていたとしても、その結論を前提として、それ以降、取締役会としてその前提を鵜呑みにし続けていたことが問題になります。実際はそれ以降も災害リスクの報告書はアップデートされ、前提とすべき状況は変化していました。

ここで問題になるのは、以下の点だと思います。

1)取締役会が原発の災害リスクを経営上の重要事項としてどれぐらいの優先度で捉えていたのか
2)優先度に適したモニタリング、議論の頻度・深度を取締役会として行っていたのか
3)取締役会として明確な議論の根拠が議事録として残されていたのか

東電の取締役会に問われる3つの点

今回のケースで、最も取締役が守られる状況は以下のような感じだと思います。

1)原発の災害リスクは経営の最重要テーマだと取締役会では認識されていた
2)最重要テーマにふさわしい頻度と深度で度々取締役会での議論が活発に行われていた
3)その経緯が議論に使われた根拠資料と共に議事録として記録されていた

取締役会が機能し、その根拠を示すことができる状況

もしこのような状況であれば、どこで何が間違っていたのか、明確に検証することができます。今回判決が出た結果を見ると、このような経緯は確認できない以下のような状況に近かったのではないでしょうか。これは最も取締役が守られない状況です。

1)原発の災害リスクは経営の重要テーマだと取締役会では認識されていない
2)その証拠に、取締役会で議論された形跡がほとんどない
3)然るに、議事録等にもその内容がほとんど記録されていない

取締役会が機能していた証拠が残っていない状況

このような状況だと、後日取締役に事実確認をヒアリングした内容だけが、参考資料となり、そうなれば取締役としては「想定外だった」「問題ないと考えていた」と言えば済むだけになってしまいます

自分が取締役だったら?原発事故は回避できたか

仮に最も完璧な取締役の方がそこに居たとして、今回の事故が回避できたと思いますか?

これは難しいテーマでもあるというのが私の感覚です。それはなぜか。

まず、大前提として取締役は企業価値の向上の責任を担っています。企業価値を向上させるためには、成長させ収益力を向上させ続けなければいけません。当然、取締役のもう一つの役割である、企業価値を毀損しないという責任もになっているのですが、企業価値向上の責任も担っているため、どうしてもそちらに議論が引っ張られやすい構造があります。この辺りの理解を深めるには以下のnoteの「株主3つの期待」のあたりをぜひ読んでみてください。

今回のケースだと、元々日本のエネルギー戦略が原子力に長年立脚していました。だから、原子力を前提にどうやって安定供給し、コストを下げ、発電容量を増やしていくのかということが経営の中心的テーマになります。加えて、それ以外にもクリーンエネルギー、送配電分離の話、石油価格の高騰、電力自由化の話、当時もそんな様々な議論があったはずです。経営として議論すべきテーマは山積みだったことでしょう。

ただでさえ、取締役会でも議論が必要なテーマが多い中、原発事故のリスク検証の議論の優先度が自然体で引き上がっていくかというと実は相当難しいのです。

当時の東電取締役会を想像してみる

17名中たったの1名の社外取締役。

上で述べた通りただでさえ、なかなか取締役会で正しく議論していくことが難しいテーマです。それなのに、こんな取締役会ではという最悪の構成です。

時間がある方は貼り付けておきますので、興味がある方は是非見てみてください。

代表取締役が7名(多い)もいる
取締役17名(多い)のうち社外取締役はたった1名、+監査役(常勤含む)7名
執行役員も多く、販売(営業)側に圧倒的に偏っており、技術が弱い組織


最悪だと言っているのは主に以下のような点を指しています。

1)取締役17名は多い
2)社外取締役は1名のみ
3)その1名の人選は政治系
4)女性ゼロ、男性中心のモノカルチャー
5)各執行ラインのトップである取締役多数
6)出世の延長線上の役職としての取締役

典型的な悪い要素がずらり

おそらく半沢直樹で描かれたような取締役会の絵面ではないでしょうか。こんなモノカルチャーな雰囲気の中、企業価値向上の議論が中心にされる中で、誰が企業価値を毀損するリスクについて、取締役会の議題に挙げて熱心に議論をするでしょうか。

取締役にとって簡単なこと、難しいこと

社内取締役にとって難しいのは、成長、すなわち企業価値向上とは無縁の、リスク、すなわち企業価値の毀損に関する議題を積極的にアジェンダに挙げて、議論をドライブしていくことです。仮に、そんな風に思ったとしても、明確な根拠や自信がない中、出世競争の途中経過にしかすぎない人たちが、そんな発言をできるわけがないのです。

そして社外取締役にとって難しいのは、企業価値を毀損するリスクを正しく把握することです。実際には毀損するようなリスクはいくつも存在します。そのどれのリスクが一番大きいのかは、具体的な執行側の見解を聞かないとわかりません。さらには、そのリスクを網羅的に把握するためにも、執行側からの適切な説明や情報開示が不可欠です。

原発のような特殊事例でなくても、一般的にテーマになる話で例えるなら、情報管理(漏洩)に関するリスクも同様でしょう。実際に、どの程度の情報を扱っているのか、それをどのように管理しているのか、ということ自体を把握することも社外取締役にとっては難しいですが、それがどの程度のリスクに晒されているのかを把握することはさらに難しいのが実態です。

今回のケースもまさに典型的に難しいケースに該当します。そして、議論されてないことの優先度を把握し、そのリスクを含めた影響度合いを把握することは、最も難しいことでもあるのです。むしろ、具体的かつしっかりと議論ができる可能性が高い成長のための難しい投資判断の方が簡単、ということもできると思います。

ある程度複雑な問題については、取締役が把握していたのか、という点が常に論点となります。把握できないこともありえるので、取締役にとってのセーフハーバーでもありますが、一方で把握し議論できるかどうかは取締役の力量でもあるわけです。だからこそ、この点が常に微妙であり、争点となるわけです。

原発事故はよい取締役会であれば防げたのか

では、もうどうしようもなかったということかというと全くそうではありません。実際には異なる取締役で構成されていれば、今回の事故は防げた可能性がある、私はそのように考えています。

あれ、さっきは完璧な取締役がいても難しいと書いていたじゃないか、そう思われたかもしれません。そうです、そんな人が1名いるだけでは恐らく難しいと思います。その1名だけでは、取締役会全体のカルチャーまでを変化させるには至らないのです。今回のケースではそう考えているからです。

ではどうすれば良いのか。取締役会の人数、その構成、その人選、そして運営方法、全てを見直すことができれば、私は今回の事件を防ぐことができる取締役会とそのカルチャーを作り出せると確信しています。

最も大事なカルチャーとは、「誰から指摘した点を決して軽視しない」というものです。

逆のカルチャーを想像してみてください。誰から指摘した点を、「それは問題ないだ。」とか、根拠し目指す結論だけ言って蓋をしたり、「そんなこと議論している暇はない。」といって強制的に優先度を下げてしまう、そんな風になる感じです。

こういう悪いカルチャーでは、取締役はどんどん発言がしづらくなります。そうなれば、一部の支配的な役員(主に会長や社長)の独断場となり、ガバナンスはどんどん機能しなくなります。そうして、経営のアジェンダにすら上がらなくなるのです。別のnoteにも書いていますが、アジェンダが健全に選べない会社は、経営が機能していないことと同義です。良い経営ができるチャンスを放棄してしまっている会社です。

そこに残るのは、経営、そして会社の「私物化」、それだけです。今回の東電のケースも、この「私物化」が事故を招いた、そう考えることができると思います。

22兆円という数字の示す意味

私は法律の専門家ではありません。ただ、会社経営やガバナンスの専門家としての立場から言えば、経営の責任であることはまず間違いありません。では、善管注意義務違反なのか、と言われると、徐々にグレーゾーンになってきます。なぜならば、上記の通り取締役ひとりひとりの責任というよりも、取締役会の構造や形式から紡ぎ出された脈々としたカルチャーが前提にあってこその結果でもあるからです。

直接的にはその時、そこにいた当時現役取締役の各に責任があるわけですが、実際は創業以来脈々と続いてきた取締役会やそれまでの役員指名・報酬といった全てのガバナンス機能の欠落に原因があると言えます。そう考えると、これまでの大体の社長級幹部の方々が作ってきた、その流れ、カルチャーが今回の事故を生み出す素地になったようにも私は感じます。

それだけ取締役は大きな役割と責任を負っているといるのです。今、コーポレートガバナンスコードの浸透で、より良いガバナンスを目指すため、社外取締役の重要性が叫ばれる時代となっています。確かに数が足りないのが実態ですし、女性など多様性が大きく不足しているのも実態です。ただ、その前にこの役割と責任の大きさを理解し、それに耐えうる人選をすることの方がより重要なのはそのためです。

日本は今、大きな転換点にいます。成長性が乏しい中、企業価値を向上させるプレッシャーもますます高まっていきます。そして、社会を支える重要な社会インフラもイノベーションやスタートアップを通じて増加・変化していくでしょう。今回の東電のように成長=企業価値向上を優先した議論に陥りがちな状況にいる会社が数多く出てくることでもあります。

22兆円というのは大きすぎて想像がつきませんが、まず各社が提供しているサービスを通じて、どれほど多くのステークホルダーを巻きんでおり、その影響範囲次第でどれだけ大きな価値毀損が生じうるのか。企業体が大きくなればなるほど、その金額も実は莫大なのです。

つい先日もKDDIによる通信障害がありました。これも同じです。企業価値の向上、そのためにインフラよりもコンテンツ・サービスに経営の意識が向きすぎていたということはあり得るでしょう。ただ、仮にインフラに対する議論を十分にかさてていても、それでも起きてしまうことはあります。ただ、単なるB2C向けの電話インフラから、IoTであらゆるサービスのインフラ産業にアップデートされていくごとに、それに応じてリスクとしての重要性を適切に引き上げて来れたか、そういう視点でみれば足りないところはあったのかもしれません。

22兆円、個人が支払える額ではないですから、その債務が誰に帰属するか、D&O保険でカバーされるか、そういう話ではありません。ただ、取締役である以上、ステークホルダーを意識し、どのような社会的、経済的インパクトが、プラスの面でもマイナスの面でも生じうるのか、それを解像度高く意識できる人材でなければ、取締役を務めるにはリスクが高すぎる、そういう役割であるということを示してもいます。

取締役個人のリスクが高すぎれば、誰もやる人がいなくなる。確かにそういう側面もあるでしょう。ただ、こういう事故を防ぐセーフハーバーがどこにあるかというと、もうそれは取締役会をおいて他にないのも事実なのです。取締役にも把握できなかった、わからなかったということは理論上残ります。その余地を残すことは、先に述べた通り取締役のセーフハーバーになるわけですが、一方でそれを全て認めてしまえば、このような事故(&損失)は、いつ何時他の企業を襲っても仕方ないことにもなってしまうのです。

どこかで、確率的に生じうる事故の確率を少しでも防ぐため、その歪みを埋める役割が必要になる。それが取締役であり、その役割の大きさを示す象徴的な数字が22兆円なのではないかと思います。

株主訴訟という仕組みは取締役個人を対象にしたものですが、実際この歪みを埋めるのは個人だけでは難しく、脈々と作り上げたカルチャー、それを前提に機能する良く設計された仕組み、というガバナンス全体でしかない、そのように思います。

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