入社1年目の私を救ったジェフロイクモザル
はぁ、今日は何するかなぁ。
太陽が燦々と照りつける月曜日、今日も私は動物園にいた。
重たいカメラと、突然大音量で鳴り出して怒鳴り声が溢れ出す予感が湧くケータイ、水筒を入れた黒いリュックサックを背負って、園内をぐるぐると歩き回る。
入社1年目。記者。
担当するエリアの中に動物園があった。
「ネタを見つけに回ってきます」。
入社と同時に移り住んだはじめての場所。どこに行けばいいかもわからず、とりあえずいつも向かうのがその動物園だった。
目まぐるしく回る私の生活とは全く別世界。
動物たちが好き勝手にのんびり過ごす動物園。
お客さんもそれほどいない。
飼育員は少し疲れた顔で、でも動物と顔を合わせて笑顔を浮かべ、掃除をしている。そこに行くだけで、緊張の糸がピンと張られた職場から解放された気分になれた。
通ううちに、どこにどの動物がいるのかを頭の中に記憶できた。
ライオンを見るなら右回り。
カピバラを見るなら左回り。
取材するうちに飼育員とも顔見知りになれた。ぼーっと眺めるうちに、動物のクセやお気に入りの場所までも分かるようになった。
家族も友達も近くにいない。右も左も分からない、一人ぼっちの私にとって、唯一心安らぐ場所になっていった。
ある日、いつものように動物園に向かった。
ジェフロイクモザルの檻の前に行くと、真っ黒の手足と尻尾を思う存分振り回して、元気良く動き回るサルが十匹ほどいた。
そのうち1匹が、私の前に来て、手を伸ばす。最初はびっくりして、少し怖かった。どう答えたらいいのかも分からず、無視した。
翌日、行く場所のない私はまた動物園にいた。
いつものルートでクモザルの檻へ。また1匹、昨日と同じサルが私の前に来て、キューキューと鳴き声をあげ、手を伸ばす。
私も手を伸ばす仕草をする。笑ってるように見えた。移動すると、そのサルも檻の中で追ってくる。私が立ち止まるとまた手を伸ばす。キューキューと鳴き声を上げた。
違う日も、また違う日も、同じだった。ある日の日曜日。動物園は珍しく家族連れで賑わっていた。サルの前にもたくさんのお客さん。檻の中を行ったり来たりするサルを興味深そうに眺めている。私が遠慮しながら近づくと、またあのサルがいつものように手を伸ばした。
家族連れの視線が一気に集まった。「え、すごいね」。子供たちと驚いてる声が聞こえた。私は聞こえないふりをして、でも少し得意顔で、いつものように手を交わした。昔から仲のいい友達みたいな気分になれた。
檻に掲げられた看板には、サルの名前や性別、性格が手書きで書かれていた。
私に手を伸ばしてくれるサルであろう紹介文には、人懐っこい性格。
来た人全員に挨拶をしていると思ってたが、それが違った。他の家族連れには目もくれず、
一目散に私のところにきた。
たしかに泣きそうな、寂しそうな、そんな顔をした人間が毎日毎日檻の前にいたら、サルも慰めたくなるのだろうか。
そんな私も、ある日異動が決まり、その動物園の担当を外れることになった。最後に行った時も、ジェフロイクモザルは手を伸ばして声をかけてくれた。またくるからね。と、言った。
異動日、約1年間半にわたりサルが覚えてくれるほど通った動物園の記事をじっくり見返した。意外と多く、新聞に溢れていた。
たくさん書いた。
今は遠くなったけれど、新聞やテレビで動物園が取り上げられていると、無意識に顔を上げて見入っている。
あのサル、元気かな。
サルは今日も、私のような人に手を伸ばし、昔からの知り合いのようにきっと励ましているだろう。
よし、なんとか頑張ろう。明日も頑張ろう。また来るから。その日まで頑張ろう。
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