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「どこでもない場所」読了

昨日は、もっとのんびり読むつもりだった図書館で借りた本を読了。たくさん笑った。面白かったのでさっさと読み終えてしまった。

楽しかった詳細を書きたいところはあるが、外では読めないくらい笑った本のネタバレもしたくない。誰に勧めるかというなら、迷いたい人へ。浅生 鴨・著「どこでもない場所」。

世代は、著者は団塊ジュニアで、私はすぐ後の超氷河期。雰囲気は違うのだが年齢としては大きく変わらない。

本の中にある話が、いつのことか明記されていないエッセイ集だが、それはあの頃、というのは伝わる。

この本は2018年出版なので、新しい話から古い話までいろいろとあるが、同時代を生きてくると、時代背景や感覚は伝わりやすいのだろう。話の面白さがリアルだった。

そのイベント会場のそばは何度か通ったことがあるが、大変だったらしい、とニュースを見たらしき今の夫から聞いた話か、と思う内容もあった。

著者が、出版できるくらいに落ち着いた状況にいたことで、この本が作られたのだろうとは思う。

が、いろいろな状況や場所を渡り歩いて、人生を送られてきたことを感じる本。笑える話だけではなく、大変な話も含まれている。

著者の感覚の特性のようなところは、タイトルでもある「どこでもない場所」に詳しかった。私が理解できる感覚とは言わない。が、似た方向での経験はあるので理解不能とも言わない。が、意味不明に読める人もいるのだろうなと思う。

著者について表現した言葉がある。

そりゃ僕だって、いつも自分の行動がちゃんとしているとは思わないし、どちらかといえば怪しいというか、ダメな行動をしていることが多いという自覚はあるけれど、…

「どこでもない場所」の「革命の夜」

「前から思ってたけど、鴨さんってけっこう残念な人だよね」男の子がそう言うと子供たちは一斉にゲラゲラと笑った。
 残念な人。何もそこまで言わなくてもいいじゃないかと、僕はちょっと憤慨しつつも、小学生のボキャブラリーに感心した。

「どこでもない場所」の「フィルム」

良い繋がりと良い判断と幸運と、いろいろな偶然と必然が混然とした状態で、楽しんでこられたのだなということは感じられた。

子どもの頃からの目標そのままというすごい人も、有名人に限らずいるはず。だが、ヒトの社会性の中でいろいろな仕事が選ばれながら過ごせるのは、すごいことだと思われた。

著者は「受注体質の巻き込まれ型」と表現していたが、巻き込まれて疲れ果てる訳でもなく、ヒトらしいと思った。それもまたマイナスイメージのない素敵な生き方。

笑ったのは、当然そういう大枠の話ではない。あらすじや背景も必要なものだろうが、この本の笑ってしまうポイントはそんなところにはない。神が宿るのは細部。それは読んだ人が楽しむことだろう。

なので、図書館で見かけ、借りることにしたときの話を書くだけにする。

図書館では、何となくウロウロしていたエッセイ辺りの棚から抜き出した。何となく手に取った本。書名からも装丁からも、とらえどころのなさしか伝わらない。

が、どこかで紹介されているのを見かけたようにも思った。

「はじめに」という章があったので斜め読みしたが、それもまた、斜め読みではとらえどころのない内容だった。

なので、更にページをめくると、「方向音痴への道」が箇条書きされていた。私にも方向音痴の感覚は何となくあるが、地図は使えることであまり問題になってきていない。書いてある内容はわかるが、「?」という気分だった。

一編は短かそうだったので、そのまま次ページからの「タコと地図」を斜め読みで読み終えた。

それでも面白そうだとはあまり思わなかった。クリスマス当日の夜に買い物に出た話なのだが、そんな場所でそんなときに出ても…と、やはり「?」だった。

海と山に南北に挟まれ、大きな道は東西方向という話には親近感を持った。著者とは南北が逆だが、私の体にも刷り込まれていた方向感覚。

私は平らな土地での暮らしの方が長くなり、さすがに抜けた。北には海だと刷り込まれていたが、今は家から見える海も北ではない。

まだその刷り込まれた感覚があった頃、今の夫に、それで地図の向きを間違えたと話しても理解されなかった。

本を持ち帰り、落ち着いて読み始めると、はじめからしっかりと面白く楽しかった。

斜め読みでは読み取れない細部に神はいたらしい。迷ったが、借りて良かったと思った本。

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