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ほんのしょうかい:梁英聖『レイシズムとは何か』〈『思想の科学研究会 年報 PUBLIKO』より〉

 目の前に広がる風景は、これまでの歴史の経過の中から描きだされたものである。
さまざまな問題を解決しようとして、新たな問題が発生する。問題を解決するならまだしも、それを隠蔽しようとしたり、さらには、開き直って利用しては、自分の利益に誘導するものも現れる。思想・信条の自由を盾にして、社会問題の解決を置き去りにして、加害者を擁護する発言までが、公共の世界を守るべき政治家から出てくる。
この本で扱われる「レイシズム」の諸相は、その代表的なものである。
 
差別には、人種差別、民族差別、宗教差別、性差別とさまざまなものがある。
相手は自分とは違いがあると考えたりすることや、偏見というものは、昔から続くものである。けれども、人や集団への不当な扱いを人種へ、民族へ、宗教や習俗へと還元して正当化する今日的な差別の構造は、限りなく近代やナショナリズムの産物であり、国の中で人民を区分けし、分断し、優劣の価値観を付与しては、権力者の統治の道具に使われたものでもある。
そして、第一次大戦、そして第二次大戦と、人種差別は、ナチスのホロコーストや、様々なジェノサイドを引き起こした。
国際社会は、その反省に伴いジェノサイドを引き起こした人種差別、レイシズムを、国際連合の場で、国際的な規範でもって禁止する。そして、国際連合憲章や世界人権宣言に則り人種差別撤廃条約を制定し、各国は、反レイシズムの規範を制定していく。
このようにして、一旦、人種を使って人種差別するタイプのレイシズムは禁止された。だからこそ、人種を使わずに実際には人種差別をするという高等戦術、「新しいレイシズム」が生み出されている。
各国は、その対応に苦慮しているのではあるが、一方、日本では、古典的なレイシズムを禁止する法案がないままに、新しいレイシズムが導入され始めている。つまり無法状態のまま新しい形態のトラブルが持ち込まれているのだ。
本来なら、分断や社会不和が、事件や暴動、ジェノサイドに発展しないように反差別のためのブレーキをかけて、差別のアクセルが踏まれないようにして公共の場を防衛するのが、政治家や知識人の役割なのである。
それなのに、日本では、政治家や知識人が平気で差別を助長するような発言を行い、個人や集団の偏見を、公共の場である社会や政治に持ち込み、分断や対立を広げるのを野放しにしているようにさえ思える。
このまま、世界の動向から背を背けて<差別>の状況を放置し続け、自閉的な世界に安住すると、世界からカルト的な国家だと認定される日も遠くないかもしれない。
日本という行政単位が、どのような状況に置かれているのか、そしていかに世界の国々の潮流から取り残されているのか、まずは、そのことの理解から始めなければならない。そのためには、梁英聖氏の『レイシズムとは何か』はそのきっかけを与えてくれることは間違いない。一読で理解するのはかなり困難な本であるが、まず、第一歩として、前半の第四章までを読んで改めて、この国の社会状況を考えて欲しい。(本間)



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