仕事と戦略的無視。

外回りをしていると、一番つらいのは会社に戻る時だ。

会社に戻れば、あの高圧的な上司が結果を聞いてくる。メールボックスを開けたら、面倒な作業依頼が雪崩のように押し寄せてくる。

「このバイパスが、地平線の果てまで延々と続いていたら。」

運転しながら、そんなことを毎日思っていた。

しかし最近は、今までほど会社に戻ることに抵抗がない。

プレッシャーは先月に比べて圧倒的に大きくなっているはず。

でも、以前ほど体が拒まない。

***

結局、会社に戻りたくない一番の原因は、ガヤガヤと上から首を突っ込まれるからだと気づいた。

「今日はどうだった?」
「今月の見込みは?」
「それで足りるのか?」
「あそこには電話したのか?」
「あと何件電話するつもりなんだ?」

うんざりするし、特に強い語調で迫られると無駄に緊張する。

全てのつっこみに備えることが、いかに生産性を下げるかに気づいた。

僕はこの前、ツッコミの8割を「ノイズ」として無視することに決めた。

全ての指摘に対応しているほど暇ではない。
この厳しい環境下で結果を出すには、本当にやるべきことを見極めないとやっていられない。

するとどうだろう。
外回りを終え、会社に戻ることがさほど苦にならなくなった。
そして、周囲からの指摘のほとんどは、反応するまでもないノイズであることに気づいた。

周りからのガヤに身構える必要がなくなったので、ストレスはかなり減った気がする。

***

さらに言うと、無視すべきなのは、周りからのノイズだけではなさそうだ。

目の当たりにする情報に対する自分の感情。
これもノイズであることが多々ある。

例えば、今月の目標までの残り件数。

進捗が圧倒的に遅れているとき、「やばい」「終わりだ」などの感情を持ってしまう。

しかし、そこに負の感情を膨らませ逃避に走っても、何の解決にもなりやしない。

「実績なんて所詮数字の羅列。」

そう思い込んで情報を客観視する。
こうすることでやっと、現状に向き合うことが出来るんじゃないかと思う。

自分の感情というものを無視することは、とても難しいことだ。

ただ、そういう気構えを持つだけでも、状況は大きく変わるはずだ。

***

周囲までもなく、自分の感情すら無視するのは、とても非人間的なことのように聞こえる。
実際僕も、先月末に書いたnoteで、「喜怒哀楽を感じることこそ、仕事の醍醐味」というような主張をした。

しかし、無駄なこと、余分なことに自分の神経をすり減らすことは、健康的とは言えない。

自分のできる限りのパフォーマンスをもって与えられた成果に対し、喜怒哀楽をもつことこそ、仕事の楽しさだ。しかし、パフォーマンスを阻害するような喜怒哀楽なのであれば、それは楽しさには直結しないと思う。

戦略として、無視を決め込む。そしたら、また違う景色が見えてくるのかもしれない。

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