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“命が好き”って表現を、記憶していて良かったな

昔、誰かのブログだかコラムで、

顔が好きとか性格が好きとかではなく、“命”が好きな状態が「愛」だ。

みたいな文章を読んで「ひゃー!!!!ロマンチックだ〜〜〜〜〜!!!」って思った。

相手のダメなところを知っていても、「どこが好きなの?」と聞かれて「え……??」ってなってしまっても、

確実に相手のことが好きな状態というのはすなわち“相手の命”を愛している状態なのだという。

出元は忘れてしまったけれどその文章を未だに覚えているのは、きっと当時の私には全く無い、知らない、理解出来ない感性だったからだと思う。

当時の私は恋愛はご無沙汰、マッチングアプリで手探り状態。

「愛とは???恋とは???ヤリモク以外の方一旦集まってくださーい!」みたいな状態だった。

そんな私がの彼と出会い、同棲が始まって8ヶ月以上経つ。

大事なこともくだらないこともたくさん話して、朝出かける前と寝る前には必ずハグをして、旅行やデートも頻繁にして、大きな揉め事も無く、穏やかな日常を送ってきた。

そりゃあ腹が立つ時もあるけれど、なんやかんやでしばらくすると仲良くふざけてしまうし、

(そういうところ嫌!)と思ったら「そういうところ嫌!!!」と伝えて、あちらに直してもらったりこちらが諦めたりを繰り返した。

結婚を前提とした同棲としてスタートして、ゆっくりと確実にお互いの生活をすり合わせている日々。

楽しくて幸せな時が大半だけれど、時々異様に不安になる。

「こんな風に楽しく過ごしてるけど突然“結婚しない”とか言われたらどうしよ?」

「急に別れることだって、あり得ない話じゃ無いじゃん」

起きても無いことを想像して不安になるのは想像力と感受性豊かな私の長所が悪く働いてしまっているのだ、と分かっていながらも、

不安な気持ちになること自体は不快でしかない。
その気持ちにズブズブの時は辛くて苦しいし泣きたくなる。


そして私はそういう気持ちは一度寝たり泣いたりすればスッキリするという、他人から見たら「あれはなんだったの??」というスタイル。

勝手に不安になって、勝手に落ち込み、勝手に立ち直り、勝手に開き直る。
そういう人間だ。


「まあもし別れるってなってもそのために財布は別だし私は働いてるし実家も近いしイケるイケる〜!⭐︎」

「まあ彼じゃなくたって彼と同じくらい素敵な人いるだろうしね」

そんな風に心底思って、元気になる。


そう。そうなのだ。

彼じゃなくたってきっと素敵な人はいるって、私の頭は分かっている。

だからきっと、もしものことがあってもきちんと立ち直ってまた新たな恋愛をするだろう。



彼じゃなくても私を好きになってくれる人はいる。

彼じゃなくても彼と同じくらい優しい人はいる。

彼じゃなくても彼と同じくらい面白い人はいる。

この思考は事実で、「彼以上の人はこの世にはきっといない」よりもずっと現実的な考え方だ。

だって失恋した友人を見た時に、多くの人々は必ずそう思うから。



「彼じゃなくても〜」は、もしものことがあった時に自分を強く保つための呪文のようなもの。

でも、そういう呪文を知っていて、冷静な思考を持っていても、
自分の気持ちに素直になればなるほど私は彼のことがとても好きだと思う。


代わりがいるって分かってるのにそれでも好きなのってナゼ??って考えると

もちろん今明確な離れる理由が無いのはあるけれど

それよりも確実に“彼の命”が好きなんだって気づく。


彼と同じくらい私のことが好きで、優しくて面白い人がいようとも、
むしろそれ以上の人がいようとも、彼の嫌な部分を見て「それ嫌!!」って言おうとも、

ようやく“命”まで好きになってしまったのだ。
この表現が、私の気持ちに一番マッチする。

「ひゃー!!!!ロマンチックだ〜〜〜〜〜!!!」とか言っていたあの頃の自分が知り得なかった気持ちをようやく知ることができたんだと思うとなんだかくすぐったいような、自分が大人になったんだなあという実感やら色んな気持ちが湧いてくるけれど、

何よりもあの時読んだ“命が好き”という表現を覚えていて良かったと思う。

歳を重ねて色んな悲しい事情や残酷な世界を知っても、
そういう詩的な言葉を記憶しておくくらいの余裕を残しておきたい。

意外な時に思い出して、「これか〜!」って私を納得させてくれるから。








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