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「文化の壁」

数年前、インドネシアに数週間滞在した。

目的は、「防災活動の普及」である。
学生団体の活動の一環として、現地に赴き、災害を専攻としている大学生・大学院生のグループと協力しながら小学校にて防災訓練を行った。

多くの保護者や地元住人を巻き込みながら行い、新聞などのメディアにも取り上げられ、防災訓練自体は一定の効果を挙げたと言えよう。


しかし、自分には、一つ引っ掛かったことがあった。


インドネシアはイスラームの国である。特に、私が訪れた北部のアチェ自治州には、敬虔なムスリムが数多く暮らしている。

そういったムスリムの中には、災害を神の意思と捉え、避難行動を取ることを「神の意思に反する」と嫌厭する人も、数は少ないながら存在するそうだ。


自分にとってこの話は衝撃的だった。
自分にとって、「絶対的な善」だと思っていた行動が、ある人々にとってはそうではない。
フラットだと思っていた自分の視点が、ある人々にとってはそうなり得ない。

価値観の違いといったものをこれほどまでに感じたことはなかった。
そして、悩んだ。
「文化の壁」というものの、あまりの大きさに。


災害を神の意思と捉える敬虔なムスリムに、防災訓練を教え自分の命を守らせることは「正しいこと」なのか?
ある文化で生まれ育ち、ある価値観を備えた人に対して、外からその価値観を否定し、矯正することは「正しいこと」なのか?


答えは出ていない。

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