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縄文映画:マッドマックス 怒りのデス・ロード

映画「天気の子」の考察がたくさんの人に読んでもらったので、こんな記事も。

縄文映画とは、その作品中に「縄文」的な要素が濃厚に含まれているものを「縄文映画」と、勝手に認定しています。実際に監督が縄文を意識しているかどうかはあまり関係ありません。これは映画を見る一つの視点です。

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A:縄文映画といえば、やっぱり『マッドマックス 怒りのデス・ロード』だ! V8V8V8!
B:見た見た、すげえ面白かった! いやあ最高だよな。でもこれ縄文映画? そもそも日本でもないし。
A:そういうことじゃないんだよ。とにかくこの映画はここ何十年を考えてもトップクラスの名作、映画史に残る名作だったんだ。
B:まあ、いいよ、そこで言ってた「V8」ね。車のV8エンジンを神のように崇めているってやつ。
A:まずは話を簡単に説明すると、核戦争によって汚染され、文明の滅びてしまった近未来。独裁者イモータン・ジョーの子どもを産むことを強いられている「妻たち」と一緒に逃げるフュリオサという女隊長、そして主人公のマックスがこの世界にいかに立ち向かうか、という話なんだ。
B:フュリオサ役のシャーリーズ・セロンも最高にかっこよかったな。
A:資源も底をつき、何か新しい工業製品を一から作ることができない世界。もちろん新しい車も存在しない。その中に人類は放り込まれてしまったんだ。水とガソリンが貴重な資源となり、人々は生きるのに必死だ。この限定された世界で生き抜くために重要なのは道具。そして道具としての車。人々はその道具と車に、実用を突き詰め、さらにはとうてい実用的とは言えないようなディティールを施しているんだ。
B:確かに車や出てくる道具すべてが個性的でめちゃくちゃ魅力的だった。楽団まで出てきて(笑)
A:そう、その道具の魅力がそのままこの映画の魅力でもあり、そしてこの映画の縄文的なところなんだ。
B:縄文的?
A:縄文時代、おれらを取り巻く世界は今よりももっと過酷で人間がコントロールできるようなものではなかった。それでも人は生きるためにはすべてを受け入れて対抗しなければならなかったんだ。そんな中だからこそ、あの(とうてい実用的と言えないようなデザインの)火炎土器(下写真:火焔型土器クロームメタリック)を生み出したり、いろいろな土器や土偶を考え出したりしたんだと思うんだよ。


B:たしかに何に使われていたのかわからないし実用的でもない。
A:それってマッドマックスの世界とものすごく似ていると思わないか? あのめちゃくちゃな車たちで、彼らは世界と対峙して、おれらはこの火炎土器やミミズク土偶で世界と対峙していたんだ。つまりは道具に道具以上の意味を込めていたってことなんだ。ほら、完全に縄文的だろ。
B:なるほど、この映画のDIY感に対してなんとなく親近感があるのってそういうことなのかもしれないな。
A:道具だけじゃなく、この映画はその対峙すべき世界の土台作りにも手を抜いていない。映画ではろくな説明もないし、描かれもしないんだけど、世界の成り立ちやパワーバランス、人物配置から、新しい文化に新しい戦い方。すべてにアイデアを込めているんだ。そして、ここがまたすごいところなんだけど、すべてのアイデアにその世界の文脈を感じることができるんだ。文脈は歴史と言ってもいいし、もちろんストーリーと言ってもいい。この世界で人がどう生きてきたかの想像力と言い換えてもいい。
B:お、おう。なんかずいぶん真面目な話が続くな。
A:今回は言わせてくれ。でも皮肉なことに、この映画の大きなテーマはズバリ「私たちは道具ではない」なんだ。道具が重要だからこそ、人までもが道具のように扱われている世界。その上で主人公のマックスたちが道具じゃなく自分として生きることを選ぶから感動するんだ。〝自分の人生を生きる〟。なんて強いメッセージなんだろう。縄文人だとか縄文映画だとか関係なくものすごくプリミティブで人の元々持っている渇望には大共感だよ。だからストーリーはものすごくシンプルで、全編すげえアクションの連続なのに、おれ、泣いちゃったからね。もうボロ泣き。身体の芯にガツンと刺さるんだよな。
B:この映画がすごいということは完全に同意するよ。でも、読者がだんだんお前のこと、面倒くさいやつだって思いはじめていることも忘れるなよ!

この記事は縄文ZINE2の「縄文人オススメの映画」からの改変抜粋です。

http://jomonzine.com/pg212.html

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