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ミッドサマーをようやく観ました〜感想文

2020年に公開されて賛否両論だった映画『ミッドサマー』をようやく観た。
※詳細はなるべく書かないつもりですが、まだご覧になっていない方はご注意を。

アメリカの主人公を含む学生たちのグループがスェーデンに旅をし、90年に一度行われる祭りに参加する。
その祭りというのが、牧歌的にスタートするものの実はカルト的で死者も出る(というか、あえて出す)ような奇祭だった。
異変に気がつきながらも次第に巻き込まれていく主人公たちの様子が、ファンタジーのように(可愛らしく、美しく)そしてホラーのように(おぞましく)描写されていく。

私はこの世の中、美しいものばかりでも醜いものばかりでもない、どちらもが混在しているものだと思っている。
そしてその両方ともがきちんと描かれている映画や小説やドラマが好きだ。
その両方の間で、私は「生きる」ってことを実感しているような気がする。

この映画には「死」と「生」の対比がバンバン出てくる(死体もオンパレードだ)。
「死」を思うときは同時に「生」を思うときだ。
でもこの映画の中では、「生」を考えることがなかった。
生贄としての死だったり、しきたりとしての自死だったり、「死」が強制的だったせいかな。

始終描かれるのは、その祭りが行われる閉鎖的なコミュニティの様子。
祭りの儀式だけではなく、そのコミュニティの思想やしきたり。
宗教的で民族的なその辺りの表現が、ドラマの『トリック』に似てると噂された。
確かにちょっと滑稽ではある。
特に集団で行動するとき、人はときとしてヘンテコなことをしがちだ。
現実の世界でも「おかしいっていう奴いなかったのかよ」って思うことってある。
その中にいる人にとってはありがたくて真剣なものも、部外者にとっては滑稽であったり距離を置きたかったりする。
でも中の人はそのコミュニティを守ることに必死で、だからこそなんだかヘンテコなことを生み出しちゃうのである。
いや必死という感覚すらないだろう、だってそれが唯一絶対なんだもの。
宗教であってもMLMであっても自己啓発セミナーであっても、いやごくごくフツーの企業であっても。

かなりグロい映像がいっぱい出てくるこの映画、私は耐性があるのかさほど驚きはしなかった。
ただ、1箇所ゾッとした部分がある。
それは、終盤主人公が恋人に裏切られて傷つき憤り泣き叫ぶシーン。
そのコミュニティの女性たちが同調して同じように嗚咽し叫ぶことで、主人公の怒りや悲しみがどんどん抑えられていく。
最初は主人公の荒い呼吸に周囲が同調していたのが、次第に主人公が周囲の息づかいに同調していく。
それがマニュアルであるみたいに描かれていて、とっても怖かった。
周囲はあくまでも主人公を救うためにそうしているのだ。
彼女を押さえ込んでコミュニティを守ろうなんて微塵も思っていない。

さらにその先、生贄の「死」に泣き叫んで同調することでそのコミュニティ内では「殺人」さえも崇高な「死」に置き換えられてしまう。
そのコミュニティ出身の仲間の男子学生が、かつて自分も周囲に助けてもらったと語るシーンがあったけど、こうして取り込まれていたんだろうと想像できる。
男子学生の過去でもうひとつ気づいてさらにゾッとしたんだけど、それは映画を観るとわかると思う。

ふと思う。
現実でも、人をとりこむときってこんなふうにしていないか。
誰かの悲しさや怒りにあたかも寄り添うようにして、仲間意識を植え付けていつの間にか自分たちのコミュニティやグループに誘い込む。
もしくは自分の不幸をわざとさらけ出して相手を同情させて、自分に繋ぎ止めておこうとする。
感情に同調することを上手く使う人たち、いっぱい見てきたなあ(遠い目)。

って、この映画がほんとに描きたいことが結局なんなのかよくわからなかったけど、私の感想としては、

「人の気持ちに寄り添うことの危うさはいつも頭の片隅に置いておく」

です。








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