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ことばを掬うひと

 手書きよりもキーボード入力が好きになったのは高校生の頃で、頭の中で考えているのと同じ速度で文字を打ち込めることや、その速度で綴っても字が乱れずに後からいくらでも見やすいことに魅力を感じたからです。こんなにも便利なものがあるだなんて。ハンドレタリングなども今だに好きではありますが、考え事に適した書き方はキーボード一択だとその時強く感じたものでした。

 その後、大学の論文や今の仕事など、話の流れを大切にする作業が増えてからは、デジタルテキストの切り貼り機能に助けられることが増えました。いま頭の中にあるものを順序に囚われずいち早く書き起こすことができますし、推敲も容易です。

 キーボードでの入力は頭の中を流れるいくつもの考えを、どれもこぼさずに堰き止めようとする感覚に近いです。

 手書きは手が疲れるし、字の美しさを気にしてしまう分、速度もうんと落ちます。そのゆっくりとした書く時間のなかで、すでに推敲が行われ淘汰されたものだけが紙面に残る感じ。濁流の中から清水を掬い取って飲む行為に、それは似ているような気がします。

 では、フリック入力はどのような感じがするのだろう、と思い、いつもはキーボードを使って書くところを今回はフリック入力でやってみているところです。キーボードのような速さはなく、手書きほどは疲れず、それでも入力の遅さから多少の推敲は行われている、というところでしょうか。切り貼りができるのは手書きのものよりも随分とありがたく、今回もその機能のお世話になっています。

 ひとが頭の中に抱える、絶え間のない考え事はどういう回路で言葉になり、そして外の世界に放出されるのでしょうか。時間をかけて濾過されたり、漏れないようにと根こそぎ吸い出されたり。そして、それらのうちどの方法が一番、もとの水に近い形なのでしょうか。

 その水の清さも量も、余さず掬えるようになれたら、と今日も憧れてしまうのでした。

 

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