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「走る理由」を探し求めて

ぶっちゃけ、原監督には三浦しをん『風が強く吹いている』(新潮社)よりこっちを推して欲しかった。いや、出版社違うから仕方ないんだけど!

2008年、箱根駅伝の予選会に落選した青山学院大学の原監督は、関東学連選抜の監督として箱根駅伝の走路に立った。そしてなんと、シード権内に入るどころか上位争いまでしてしまったのだ。
今ではルールも変わって、チーム成績も個人成績も参考記録にしかならないし、箱根を2回以上走った選手は選ばれないようになっている。要は「経験値」のためのチームになった。原監督が率いたのはそうなる少し前、今よりは結果に期待をもてた頃。そして、「何のために走るのか」が少し曖昧だった頃の話だ。この小説も、そんな時代に出版された。

堂場瞬一『チーム』(実業之日本社)

これは駅伝の小説と思わずに読んだ方がいいとわたしは勝手に思っている。難攻不落、ど偏屈、傲慢。山城悟というラスボスを2ヶ月、1冊の本をかけて攻略する乙女ゲームだ。
何せ、致命的に社会性と協調性と共感性が低かった。一般企業の面接だったら「お前それでよく就職しようと思えたな」と唖然とするレベルだ。いや、自分をよく見せるつもりもないから、面接の前にESで弾かれるだろう。
まぁ、就活談義はいいとして。この本を誰かに勧めるたびに、山城悟が足枷になった。彼のせいで本編の7割がギスギスしている。読みながらわたしは幾度となく疑問に思っていた。
こいつ、本当に主人公の片割れなんだよな?

山城と対照的に描かれているのは、浦大地。もう一人の主人公だ。これがまた生まれ持ったキャプテン気質で、だから見事に山城とそりが合わない。合うはずがない。
顔を合わせるたびに水掛け論の言い争い。相容れないと分かっているのなら、ほっときゃいいのに。わたしは無責任にそう思うけど、ほっとくわけにもいかないのがキャプテンってやつなのだ。
1年前の大会で、浦は大ブレーキになりシードを落とす結果を呼んだ。そして脚には古傷を抱えている。賢い読者はおわかりだろう。
フラグでしかねぇ。
しかし彼のまとった悲愴感は仲間を呼んだ。上りのスペシャリストとなった門脇、主務の青木に1年生の朝倉。重たいものを背負った浦大地という存在は、仲間たちに「走る理由」を与えていく。要するに、浦はめっちゃ人望が厚かったのである。

駅伝系の小説は哲学的になりがちだ。展開を動かすために順位を無闇に乱高下させるわけにもいかないし、景色の描写だけでうまくやるには無理がある。だから割とよく問われるのだ。
何のために走るのか。
学連選抜は、ばらばらの大学の集まりだ。彼らには揃いのユニフォームもない。「母校」を背負っていない分だけ、その問いに関して切実だった。
なぜ走る。自分のためだと頑として言い切った山城だったが、それでいて浦の存在にどんどん煩わされていく。そして、ラストスパート。走路で負傷し痛みを背負った山城は、やっとのことで気が付くのである。

お前、苦しんだんだな。(p.341)

【朗報】ラスボス山城、ようやくデレる。

ここまで読めたらあとは一気だ。同じように痛みを受けてようやく他者の苦しみを知る致命的な視野の狭さが、むしろ愛おしい。悪態をつきつつも走り終えた山城は浦の元へ向かう。最後の言葉をかけるために。

結果は言わずにおこうと思う。ネタバレだしね。そして山城が浦にかけた言葉も、できれば自分の目で見て欲しい。ただ一つ言えることは、ラスボス山城の乙女ゲームを、浦は身を犠牲にしてクリアしたということだ。
続編の『ヒート』『チームⅡ』『チームⅢ』では、山城がどんどん浦に懐いていく。腐女子歓喜。薄い本がコミケで売られててもぶっちゃけおかしくない出来だ。腐女子受けを狙ってるのかどうかは作者のみぞ知るところである。
『風が強く吹いている』もめっちゃいい小説だが、あっちが「集団の中の個人」を描いているとしたら、こっちは多分「個々人の心に芽生えた集団意識」。そういう意味でも、この本のタイトルは『チーム』だったんだよなと、わたしは勝手に思っている。

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