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「信頼」

その言葉を使わなくても。


わたしは、他人を信じることができない。
それは、他人を信じた途端、何度も何度も酷く裏切られ続けたことが原因。

そして、他人を信じたことに対する自分自身への怒りや呆れもある。
だから、わたしは自分自身も信じられない。

他人から、

「自分に厳しすぎる」

と言われるのはこういった理由があるのかもしれない。

実は、ほんの少しだけ人間不信が治りかけていた。
しかし、あることが引き金となり人間不信に戻った。
戻ったどころか、より悪化した。

それでも、【信じる】とか濫用する人がいる。
わたしを知ろうとしないのだから、そうやって押し付けて来たんだねと今になって思う。

反対に、わたしを知ろうとしてくれる、わたしの立場に立って考えてくれる人は【信じる】や【信頼】を使わない。

「信頼とか、信じるなんて言葉を使わなくても、今こうして話している瞬間、既に信頼関係ができている。」
「お互いに信頼関係なんてなくったって、ここで話しているだけで、関係性は生まれている。」

確かにそうだなと思う。
そして、わたしが人間不信であることで【信じる】という言葉がとても重たく感じている。
そのことも、【信じる】などの言葉を使わない人たちは分かっている。

わたしのことを理解してくれる人たちの存在は、本当にありがたい。


信じられなくても、関係性は作られる。
そのことを行動で教えてくれることに感謝。
言葉よりも、行動の方が誠実さを感じてしまう。

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