見出し画像

憤りと怒りを正しく使えるようになりたい。【マイノリティであること・女性であること考】

怒髪怒りて天を突く、とは、さもありなん、良く言ったものだ、と、最近とみに思う。

世知辛い人の世、その不条理をいくらも受けないで大人になれるひとはそうそういない。

ご多聞に漏れず、じぶんのなかのマイノリティな部分は、特に子どもから思春期の周辺と、結婚・出産後舐めた女の悲哀、みたいなので相当なダメージを食ってきた、ということに気づき、憤っている。

怒りでワナワナする、というのはこれか、と思うほど、その怒りのエネルギーは胸のあたりを上がりながら手を震わし、やがて頭頂に達する。

怒りの蓋を外さないで押しとどめていると、肺か、もっと下の生殖器を痛める、と経験的にわかる。

「怒りに我を忘れてる」

は、某宮崎映画の有名な台詞だけど、それはなんだか勿体ないことに気づき始めている。

さんざ、震えるほどの怒りを、怒りのままに、出し、それをひととおりやると、「怒るって疲れるな」とうことに、どんな阿呆でも気づくんじゃないだろうか。

いや、そのまま昇華して悪役になるやつもいるけど、あたまわるいなぁ、いや、めぐまれてなかったんだろうな、可哀そうに、と心から思う。そういう人をちゃんと支援して助ける社会じゃないと、悪玉菌ばかり生まれて統制がそちらに偏ったり、どう考えても弊害の方が多いだろうに。お偉方、あたま使って働けよ、って思う。

 ↑ ↑ ↑
健康な怒り。多分(笑)

・・・そう、希望の光が見えてきたぞ。

きっと、健康な怒り、を、まっとうな形で発露させてゆくことができれば、この世はもっとずっとマシになる。



ご多聞に漏れず、じぶんのなかのマイノリティな部分は、特に子どもから思春期の周辺と、結婚・出産後舐めた女の悲哀、みたいなので相当なダメージを食ってきた、ということに気づき、憤っている。

…と書いたが、たとえそれらの刺激が外からやってきても、もし、それを跳ね返すことができる、もしくは受け取らないこちらの状態があったならば、そんなんへそで茶ー沸かすわ、とばかりに笑い飛ばして終わりでしょう。

怒りを出し切ったなら、グリーンエネルギー政策というか、再循環型というか、そういうエコな方法を探っていったらいいと思うし、某もそこに足をかけつつあるように思う。

でも、まだ、はぁ!?って感じるから、それはそれとして、認めてあげたい。

だって、子どものわたしが、どうやってそういう、意識的にしろ、無意識にしろ、悪意と疎外の意図に満ちた外的刺激に対して、抵抗力を持ち得ていただろうか?

わたしは、彼女のために、ちゃんと怒って、彼女をこそ養護し、なぐさめ、安心させ、励まして勇気を与えてやらなくちゃいけない。

それを人に与えようとした青年期前半だったけど、自分を癒さずに人を癒そうとしても、何だか危うい。足元が、おぼつかないし、それは傍目に見ても苦しいし、なんかあれ?というたぐいのものに映るだろう。


健康な怒りを、それを発露し、有効利用するに値するすべての人へ。




令和三年三月三十日
最近好戦的なすかーれっとより。






怒りを、創造性に変える本




投げ銭は、翻訳の糧になります。