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結局は「コミット」次第という話

こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。

8月のお盆も終わり、いよいよ秋の気候に移り変わりの時期。

こういう長期休暇になると自分の「やっていること」を振り返れる時期になる。

経済雑誌とかでも、お盆前は、倒産危機の企業リスト、とかの特集を出して危機を煽るくせに、お盆明けると未来のベンチャー特集とかを組んでたりする。ビジネス雑誌にはそういう社会人の気持ちのサイクルを予見して特集を組むところがあるよね。

こういう長期休暇というものは、雑誌の特集がそうであるようにに、自分の「やっていること」を振り返れる時期になるので、自分のキャリアだとか、そういうことのウケが良いのだろう。そして、SNSなどを中心に、内省する投稿をよく見かけるタイミングでもある。

今日はそこで感じた私の気持ち、つまり、タイトルの結局は「コミット」次第という話をしてみたいと思う。

最初は「やりたい」でスタートすることもいつのまにか気持ちが変わる

最初は「やりたい」でスタートすることも、そこへのコミット度が薄いと、いつのまにかやっていることを「メリット・デメリット」で振り返るように変わっていき、メリットが薄いから、という最もらしい理由でそれを辞める方向に進んでいったりするものだ。それを続けられるかは、だいたいは本気度次第。

これは、お金儲けの話ではなく「やりたい」でスタートすることを、大人が辞めるときの”理由”、つまり言い訳の話。崇高な想いでスタートすることも、辞めるときの理由は最もらしい言い訳に変わってしまう。メリット・デメリットはどんな分野でも出てくるもので、何をするにも言い訳は簡単につくれるものだ。

儲けの、ある・なしを考えれば、どのマーケットでどんな成長が見込める場所かも、参入して続けていく上では大事な環境要因ではある。ゆえに事業単位で考えれば「やりたい」だけではどうしようもない場合も存在することは確か。でもだいたいのケースで、それを論じるほどコミットせずに辞める方が多い。

「うまくいけばいいな」くらいのコミット感では厳しい

「うまくいけばいいな」くらいのコミット感で、十分な時間をかけず、失敗したらやばいという崖っぷちの状況に身を置かず、中途半端なチャレンジで終わってしまう場合がほとんどだ。どう戦うか?という戦略も大事な要素だが、それよりも大事なのは、そこで成果を必ず出す、という意思と環境づくりの方。

「そこで成果を必ず出す」という崖っぷちであれば、アイデアをひねり出さざるを得ないし、自分の余す時間の全てをそこに注ぎ込むはずなのだ。メリット・デメリットで振り返ることも大事だが、それを”続ける前提”で考えるのか、辞める理由を探すためのものなのか、では、全く違った答えが出てくるはず。

崖っぷちだと、自分のメリット・デメリットを考えてる余裕もない

「そこで成果を必ず出す」という崖っぷちだと、自分のメリット・デメリットどうのを考えてる余裕もないのだ。それを考えている時点で、まだ余力がある。むしろ、デメリットの方を考え出した時点で逃げ腰であり、辞める理由を探り出しているし、自分の最初の「やりたい」気持ちの変容に気がつくべきだ。

「そこで成果を必ず出す」という環境に変えるべし

根性論に近いが「やりたい」からスタートさせることを「そこで成果を必ず出す」という環境に変えない限り、いつでも辞めやすいし、いつでも逃げやすくなる。「やりたい」を、必ず結果を出さなければいけない境遇に変えない限り、コミット度が薄いままになりがちで、中途半端で終わる可能性が高くなる。

「中途半端」な気持ちで、中途半端な時間だけかけて、中途半端な結果しか出ていないのに、やっていることを、メリット・デメリットで測り、デメリットの方を強調して、それっぽい辞める理由を論じる。これが大人がモノゴトを辞めるときのパターンだ。それっぽい理由が言えるから、納得感は演出できる。できてしまうのだ。

でも、それでいいのか?そんな辞め方、かっこ悪くないか?

つまり、繰り返すが、「やりたい」のコミット度は「やらなければならない」という境遇にならない限り、中途半端で終わる可能性が高くなるのだ。

どうしてもやりたいのかどうか。「やらなければならない」にその環境を変えられるのかどうか。それがうまくいくかの大きな分かれ道であると思う。

やることの成否に関して、結局は「コミット」次第だと思っている。

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