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超短編小説:うるうる

 よく晴れた昼間のこと。お日様は照っているが、どうにも寒い。家を抜け出した三毛猫のフランソワは、ぴょんとお隣の塀に飛び乗った。
「ごきげんよう!フランソワ!」
 塀の下から、明るい声が聞こえる。声の主は、お隣に住む大きな白い犬のマリィだ。
「ごきげんよう、マリィ」
 フランソワはひょいと塀から飛び降りると、マリィにくっついた。案の定、マリィの白いもふもふした毛は暖かい。
「くすぐったいじゃない」
 マリィはくすくす笑うが、フランソワはお構いなし。暖まることが最優先だ。
「ね、フランソワ、また勝手にお家を出たんじゃないの?恭太郎さんが寂しがるわよ」
 笑っていたマリィは、ふと心配そうに尋ねた。恭太郎、というのは、フランソワの家に暮らす人間のことだ。
「いいのいいの、あいつ、いつもあたしにベッタリだから。いい加減自立してもらわなくちゃ」
 フランソワはふん、と鼻を鳴らした。
「でも…」
「ねえねえ、恭太郎のことはいいから、何か面白いお話をして」
 もふもふの毛に身体を埋めながら、フランソワは言った。マリィはとても物知りで、よくフランソワの知らないお話をしてくれるのだ。なんでも、マリィと一緒に暮らしているおじさんが、いろいろ教えてくれるらしい。
「うーん、じゃあ、特別な年のお話をしようかしら」
 マリィが話し始めたので、フランソワは座り直した。

「今年は四年に一度の特別な年、うるうる年なんですって」
「うるうる年?なあに、それ。なんでうるうるなの?泣いてるの?」
 以前、人間は泣くときの声を「うるうる」とか「めそめそ」とか表現しているらしい、とマリィが言っていたのを思い出しながら、フランソワは早口に尋ねた。
「四年に一度、二月が二十九日まである、特別な年なのよ」
「どうして二十九日まであるの?」
「昔の賢い人が、そう決めたんですって」
「なんのために?」
「そうするといろんなことがちょうど良くなる、って、昔の賢い人が考えたそうよ」
「みんな、うるうる泣くの?」
「それはわからないわ」
 でもね、とマリィは続けた。
「これは私の憶測だけどね…、その、四年に一度の特別な二月二十九日にだけに会えるカップルがいたんじゃないかしら。それで、嬉しいのと寂しいのでうるうる泣いてるのよ」
「ふうん」
 フランソワは、ゆっくりうなずいた。
「それは素敵ね。でも四年に一度だと、マリィが昔話してくれた、一年に一度しか会えないオリヒメとヒコボシより、寂しいわね」
「そうね」
 マリィがうなずいた。なんだか寂しげな話し方をするから、フランソワまで寂しい気持ちになってしまう。
「ねえ、うるうる年があるなら、めそめそ年もあるの?」
 気分を変えようと、フランソワは少し大きな声で尋ねた。
「さあ、聞いたことがないわ。でもめそめそより、うるうるの方がロマンチックな気がしない?」
「確かに。めそめそはなんだか、情けない感じがするわ」
 フランソワとマリィはお互いに納得して、大きくうなずき合った。

「おーい、フランソワ!」
 そのとき、塀の向こうから声がした。恭太郎である。
「ほら、やっぱり、恭太郎さんが心配してるわ」
「もう。あいつ、ほんとに寂しがりやなんだから」
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、フランソワも寂しかったのは、絶対に秘密だ。
「帰らなくていいの?」
「そうねぇ…」
 フランソワがもったいぶっていると、大好きなおやつのCMソングが聞こえてきた。恭太郎が大声で歌っているのだ。マリィはけらけら笑い、フランソワは赤面した。
「あいつ!ほんとにばかなんだから」
「まあ良いじゃない」
 帰ってあげなさい、とマリィに言われ、フランソワはしぶしぶ、というように塀を越えた。
「あっ!フランソワ!探したんだから」
 恭太郎の手におやつが握られているのを確認してから、フランソワは彼に近付いた。手を伸ばしてくるので大人しく抱かれてやる。ひとりで歩くより、少しは暖かいから。

 恭太郎の部屋でおやつを食べながら、フランソワは壁にかかるカレンダーを見た。マリィの言う通り、二十九日まである。
「フランソワ、カレンダーを見てるの?さすが、天才だなぁ」
 あんたよりは賢いわ、とフランソワは鼻を鳴らす。
「そうそう、今年は、うるう年なんだよ」
 フランソワの頭を撫でながら、恭太郎が言った。
「うるう年?違うわ、うるうる年よ」
 そう言ったけれど、恭太郎はフランソワの言葉がわからないので、相変わらずにこにこしながら撫でている。
「ばーか」
「えー、なになに、フランソワ?」
「ばか」
「かわいいねえ、フランソワ」
 ほんとに、ばかなんだから。でも、おやつをくれるし、暖かいし、許してやろう。
 おやつと一緒に、恭太郎の指もちょっとだけ舐めてやった。






※フィクションです。
 閏年ですね。





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