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イナカの子(1)

街の少女、イナカへ行く

【第1話: イナカの血】

アラタの母は、街の人だった。

家庭は複雑だったようだが、
神戸で生まれ育った、
生粋の街っ子だ。

だから、アラタの見た目は
母似だけれど、性格や好みは
父親に似たのだろう。

幼い頃から、オシャレな服に
エナメルの靴を履き、
白いレースのソックスで、
髪にリボンを飾るのも苦手だ。

その格好で、子供向けの
人形ミュージカルとか、
ディズニーの名作アニメを
観賞させるのが、母の好み。

アラタだってアニメは好きだ。
しかし、それよりも
時折、父に連れられて
タンクトップに短パン、ズック靴
首から虫籠、手には捕虫網。

そんなワイルドないでたちで、
山歩きをする方がワクワクした。

例え、帰りの虫籠の中身が
セミの脱け殻ばかりだとしても。

母は、本心では
嘆いていたのかも知れない。

娘は、理想より大幅に
野性的なオテンバに育っていた。

文学少女化計画だけは
成功していたようで、
アラタは幼くして、本の虫。

与えられる本は、編集後記まで
くまなく何度も読み尽くし、
読書中は返事もしなかった。

変人の片鱗。

母が買い与えた書物の中で、
アラタが最も好んで手に取るのは
子供向け百科事典セットの中の
『植物』『昆虫』『宇宙』『魚』
『動物』あたりに偏る。

母の溜め息が聞こえるようだ。

神戸でも、当時の須磨は割と、
生活圏と自然が近かった。

家を出てすぐ、
川沿いに公園が多く並び
草木が沢山繁っていたし、
少し歩けば、鬱蒼とした
神社の森もあった。

幼いアラタはその中を駆け、
本で見た虫や草を見つけては
心躍らせる野生児に育った。

そう。

彼女の中に宿る血は、
父譲りのイナカの血が
濃縮されていたようだ。


小学校の半ばの冬、
母を病で亡くした。

アラタは幼い弟と共に、
父方の祖父母が住む
父の故郷へと転居した。

そこは、見事な田舎であった。

夏休みと正月には、
アラタも毎年訪れていたので、
友人との別離は悲しくとも、
イナカ暮らしの始まりは
彼女にとって苦ではなく、
むしろ冒険の始まりのような
ワクワクとドキドキで
一杯だったのだ。


バレンタインデーという行事を
教えてくれたのは、母だ。

まだ、当時はそれほど
メジャーなイベントではない。

オシャレな神戸っ子の母が、
最後にアラタに教えた
少女らしい行事として、
仲良しの男子にチョコを渡すと
アラタは田舎へと旅立った。

遊んだ公園や神社が
車窓から遠ざかって行った時、
ちょっとだけ、涙が出た。

さよなら、須磨の街。

さよなら、友だち。

さよなら、学校。


さよなら

お母さん…


イナカの家は、大きい。

そして、古い。

天井が恐ろしく高く、
巨大な丸太が何本も
梁として使われている。

トイレも風呂も戸外にある。

昼間は良いが、夜は怖い。

真冬には、風呂からダッシュ!
体から立ちのぼる湯気で
目の前が白くなった。

真っ暗な夜空には、
プラネタリウムにも勝るほどの
星が輝いていた。

(フランクフルトから戻った時の
ハイジはこんな気持ち
だったのかもなぁ…)

文学少女アラタが顔を出し、
しばらくは、木製の汁椀で
牛乳を飲むのが彼女の
マイブームになった。

朝、庭へ出た。

昨日は平らだった土が、
少し盛り上がっていた。

足を上げ、軽く踏んでみる。

サクッ!

初めての感触に、足を上げると、
土に混じって、糸のように細い
氷の束が、キラキラしている。

「…霜柱?!」

百科事典で見たけれど、
本物は初めて目にする。

嬉しくなって、サクサク踏んだ。

アラタは、イナカの血を感じ、
ここでの生活を楽しむと決めた。

悲しみはある。確かにある。

それでも、自然は美しく、
発見と魅力に満ちている。

こうしてこの朝
イナカの少女が一人覚醒した。







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