マイノリティーからの表現

常日頃、私が考察している事象の1つに “マイノリティー(少数派)でいることと、表現において伝わるインパクトの関係性”がある。そういった事を考えるようになったのは、結局意識するしないに関わらず、人間は誰しも他者との関係性の中で自らを表現しながら生きている、という人生観を持つようになってからだ。おそらく大学生時代辺りを境にそう考えるようになった。

大学生時代を振り返って、私にとって大きなターニングポイントというと大袈裟だが、1つの考えるきっかけになった出来事がある。それは、プレゼンテーションでの出来事だった。私が通っていた大学は外国語大学で、英語を専攻していた私達は、スピーキングという講義の中で学期ごとに英語でのプレゼンテーションを行う、という任務が課せられていた。私は高校生までは所謂優等生で、英語もそれなりに得意だという認識を持っていた。だがそれは井の中の蛙ゆえの全く誤った認識だった。また、当時の日本における英語教育の悪しき面(おそらく今でもあまり変わらないと思うが)ばかりを真に受けた典型的な一般学生だった私は、英語を誰かに話すという機会がほぼゼロのまま大学生になっていた。

大学に入ってすぐ、私は自分の英語レベルの絶望的な低さに気づき愕然とした。それは言うまでもなく、周りが変わったからだが。まさしくそれは小さな(当時の私にとってはそれなりに大きな)アイデンティティクライシスだった。これまで自分が信じてきた価値観がガラガラと音を立てながら崩れていくのを感じた。高校生までの私はどちらかというと学校という閉じられた社会の中では “強者”の側にいた。それが大学に入ると圧倒的に “弱者”の側になった。これはまともに同じ土俵で勝負してどうにかなるような話では無い、と私は入学して数ヶ月で悟った。私はこれまでの価値観の再構築を余儀なくされた。今振り返ってみると、大学生活の約2年半は(3年秋に中退している)、何を優先して生きるか、といった価値観の再構築に人生で最も悩み、考え抜いた期間だったのかも知れない。その期間というのは、その後の自分の人生における宝物になっている。

さて、ようやく前記のプレゼンテーションの話だが、私がやった事というのはほんの2,3言、片言の英語を話し、あとは講師に全部私の代わりに喋ってもらい、そのままプレゼンを終える、という無茶苦茶な物だった。端的に、また悪い言い方をすると、私は自分の出来なさを逆手にとり、講師を利用した。直前に決めていたのはただ一つ、 “講師に質問を投げる”ということだけだった。もちろん、その事を事前に講師は知らない。結果的に、そのプレゼンは周囲に衝撃と、意外性と、ある種の羨望の眼差しを向けられる様な受け取られ方をした。その日を境に、私自身は何も変わっていないのに、こんなにも周りの自分に対する見方は変わるのか、と驚いた。私はこのプレゼンにより、自分にとって居心地の良い環境を作る事に成功した。大事な点は3つある。1つ目は、自分の能力の無さをはっきりと認め、それを隠さず曝け出した事。2つ目は、点数という評価を全く気にしなかった事。そして3つ目は、予想外の状況に身を委ねるという、ほんの少しのリスクを取る勇気だ。あの時10名前後の学生が半分丸暗記の決して上手くも無い(普通の学生だから当たり前だが)英語で淡々と話す、予定調和の非常に退屈な時間と固い空気が流れる中で、唯一私だけが、 “ライブ”で “アドリブ”だった。その意味は今ならば言葉ではっきりと言えるが、固定化された空気、価値観に別の角度から風穴を空ける役割を果たす行為だった。ちょうど社会におけるアートの役割がそうであるように。点数とか、評価とか、そういった事ととは全く無関係に、あのプレゼンは “私だけが”出来るものだった。つまり一回性でオリジナルなものだった。

あの時の体験が、その後の私の人生にどの程度影響を与えているのかは分からない。あくまで数ある体験の1つなので、それほど大きくは無いのかも知れない。ただ、もしあの時、私が教室の中で圧倒的に “弱者”の立場でなければ、あのプレゼンは生まれなかっただろう。中途半端に、他の学生と同程度に話せたなら、私も同じ様に可もなく不可もなくのプレゼンを無難にこなし、私の体験として何の記憶にも残ることは無かっただろう。印象的で強い表現は常に、部外者、弱者、マイノリティーの側から生まれる場合が多い。表現とは何もアーティストに限られたことでは無い。表現を “生き方”と言い換えれば、それは誰もが当てはまる命題だ。私は大学時代に価値観を再構築して以降、出世や、権力や、体制側に立つ、という選択肢を捨てる生き方を選んだ。それはもう、確実に意識して。出来るだけ意識的にそういった場所から距離を置く生き方を選んできたつもりだ。私は成功者になりたい訳でも、権力者になりたい訳でも無く、ただ伝える可能性を模索する者、でありたい。そして、 “失敗が次の可能性に繋がること”や、 “異なる角度からの視点を持つことが、生きるのをラクに自由にすること”などといった自身の体験から得たヒントを周りの人に身をもって示し、伝える存在でありたい。

#表現 #マイノリティー #生き方 #店主

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