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二つの「9.11」~敢えて振り返られるべき歴史の流れ~

 9月11日。
 私は二つの「9.11」を思い出します。
 2001年の米国貿易センタービルでの「9.11」。
 そしてもう一つは、1973年チリでの「9.11」。

 米国「9.11」の映画といえば、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」がありましたが、父親をテロで亡くした息子が、父親の遺した「宿題」の答えを見つけるために街中を探し回り、人々の温かさに触れていくという感動の話でした。

 テロの背景とか「敵」の話とか、そういったものはほとんど描かれず、父子及び家族と、少年が出会う人々の話になっていて、語弊を恐れずに言えば、テロが「天災」のごとく描かれている印象すらありました。
 「宿題」の答えを見つける、という話ではあるが、明確な「答え」が見つかって云々という話ではない。
 
 これは私の飛躍交じりの推測ですが、「9.11」を境に(特に第二次世界大戦後に)米国が繰り返してきた「狂気」を最後にもう一度、米国が繰り返していく訳ですが(混迷のアフガニスタンとか、イラクとかまさにそうですね。後自国民や世界中の人々への盗聴や、監視ネットワークの構築等)
同時に、自分の国も含め内省して、変えて行こうという、素朴だが強い流れも、徐々に増していったのではないか。(銃規制運動やサンダース旋風等)
 そしてその良き素朴さに共通するものが、この映画の中には確かに存在したように感じました。

 そしてもう一つの「9.11」。これは1970年に世界初の、民主的選挙で選ばれたアジェンデ大統領の社会主義政権が、それを敵視する米国の反政府派への資金援助等により、経済的ボイコットやメディア操作等を通して混乱を引き起こされ、最後はピノチェト将軍のクーデターで1973年9月11日に崩壊させられる出来事です。

 その後のピノチェト政権は、最初は上手くいっていたが経済を破綻寸前に追いやり、大量の行方不明者や処刑、拷問を生み、様々な映画のモデルにもなった悪人な訳ですが、私が観たのは、アジェンデ政権が崩壊するまでの過程を描いた『チリの闘い』です。
 1~3部まである計五時間近い長大ドキュメンタリーですが、人が倒れる瞬間や群衆のパワー、様々な陰謀や人々の動きが臨場感を持って描かれている名作です。
 民衆や対立者との無茶な調整に苦戦するアジェンデを通し、困難な状況下での組織構築について学べるかもしれません。民主主義は常にギリギリの存在だということも。
 米国は諸外国の、資源面で米国が利権を持っている政権や、富裕層や権力層と繋がっている政権が倒れたり、諸外国で米国にとって危なそうな政権が権力を握ったりすると、その国の反政府派に大量の資金を秘密裏に流したり、メディアを利用して、不都合な政権を攻撃したりして、最終的に崩壊に追い込んできました。

 イラン、グアテマラ、キューバ、チリ、ベネズエラ……成功したものも失敗したものも、現在進行中のものもありますが、今挙げた国々の他にも、米国が政府転覆に関わったと疑われる事例は数えきれないほどあります。
 そして大概の場合、不幸や流血にまみれた状態がもたらされました。崩壊に追い込まれた政権の中には、上手く妥協して交渉すれば、一部米国の利益を残したまま、対立せずにやっていけそうな政権も少なくありませんでした。
 
 そしてソ連に侵略されたアフガニスタンでソ連と戦う人々を米国が支援した結果、イスラム反ソ勢力が増強され、ビンラディン等の流れに繋がっていき、様々な要因で反米となり、「9.11」に繋がっていくのは皮肉としか言いようがないですね。

 世界はもちろん陰謀だけでできている訳ではなく、行き当たりばったりさや矛盾が動かしてしまう面も多いですが、陰謀も愚かさも矛盾も全て飲み込む巨大なサラダボウルのような、我々には感知しようもない流れが世界にはあるのかもしれません。
 しかし月並みな言い方ですが、「敵」「危険」と流布されているのが本当にそうなのか、考え続けることが大事なのかもしれません。

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