アルコールを道具として必要とする人々

 中島らもの『今夜、すべてのバーで』という、アルコール依存症についての小説を読んだ。まあ、自分がアルコール依存症の自覚(きっと他覚も)ともにありありで悩んでいて、Amazonでちょうど今日、目についたのでkindle版購入して、面白くてソッコーで読了。

 アルコール依存症になるかならないかの違いって、ほとんどのところ、以下に引用した文章に集約されるんでないかな。酒が好きだからアルコール依存症になるわけではない。酒が好きでも節度を保って飲める人はたくさんいるのだし。
(世間で、「アル中」「アルコール依存症」の概念があまり正しく理解されていないことについては、後回し)

アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。
肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。

 まず、一例として、睡眠薬代わりの利用。
 この飲み方、はじめは良くてもどんどん耐性を増していくから、量が増えていく。しかも、酒を飲んで眠ると睡眠が浅くなるから悪循環も悪循環。そんなんするなら、風邪薬の抗ヒスタミン作用使って寝ろ、と言いたいが、それも問題あり。なんで、しっかり眠り方を覚えたほうがよい。
 肝臓やらかして入院しているこの本の主人公、酒なしでの眠るコツを掴んでいる。

夜はあいかわらず寝つけないが、眠るコツのようなものをつかんできた。メディテイションのセオリーから借用してきたのだが、「凡」なら「凡」という字についてずっと考え続ける。考えるというよりは脳裡に見るのだ。そのうちに凡の字に関連のあるようなないような、非現実的なイメージが一瞬浮かんでくる。「夢のしっぽ」と呼んでいるこいつをつかまえるのだ。この退屈な手順に慣れると、酒がなくても眠れることをおれは発見した。

 自分も眠るコツを掴んだ時期があって、まず、首を上向きに上げて気道を広く確保して、意識的に呼吸を深くする。続けて、昔、自分が中学~高校の時に作り上げた空想の世界を想像する。するとリラックスしてわりと眠れるようになる。体内時計通りに眠くなって布団に入って自然に眠る、という最も健康そうな流れが訪れることはもうあんまりない。

 次に、自分の話で恐縮だけども。
 コミュニケーションの道具としてのアルコールの利用。
 それだけなら当たり前の話だけども、自分は若い頃、かなり大人しくてシャイで、それどころか挙動不審で、酒がなければまともに人と(特に女性と)会話ができなかった。むしろ、酒があれば、普通の人よりもスムーズに上手くコミュニケーションが取れるんじゃないかくらいのコミュ力の落差。酒飲んだ時に仲良くなった人と、シラフの時に会ったら全く喋れなくて離れていかれた時の悲しさ……。
 結局、通常は酒なしで日常生活を送らなければならないわけで、それでも将来は迫ってきて、そのストレスから逃れるように、安い日本酒1リットルパックを毎日空ける日々が続いて、原因はともあれ、結果的に二十歳の時にうつ病になった。(アルコールがうつ病の大きな原因だということ、知られなさすぎでは? 憂さ晴らしの道具として肯定的に捉えられすぎでは?)

 本文にも的確な表現があった。

リアリティに対してもともと抗性のない人間が、アル中なり薬物中毒になるのかもしれない。

 そういう種の人間がいる。
 自分はうつ病の治療の過程で、酒がなくてもだいぶ対人関係にストレスを感じなくなったが、それでも異常な寂しさからは逃れられなかった。
 出会い厨になって、ネットで女性を求めて、体の関係に持っていくために、これまた酒を必要とした。
 シラフで口説けないから酒に頼るクズでしかない。
 今から15年前、自分は某国立大在学で若く、また、会う女性側も同様に若いか年上で寂しさを感じている人が多いから、オフパコは意外に上手くいくことが多かった(今の自分のスペックではもう上手くいかない)。
 若い時なんて性欲の塊、性欲モンスターなんだから、酒から享受するこのメリットはとんでもなく大きく、絶対に手放せないものとなった。性欲の力はすごい。

 自分でここまで書いてて思うが、酒を飲むための言い訳をダラダラと綴ってきたようにしか思えない。アルコール依存症は「否認」の病気(自分はアルコール依存症だと認めない病気)と呼ばれている。自分は自覚しているつもりだが、どこかでまだアルコール依存症を否認している、アルコールを飲んでも大丈夫と考えているようだ。「ようだ」ではなくて、間違いなく、「そうだ」。

中毒におちいった原因を自分で分析するのはけっこうだが、"みじめだから中毒になりました"というのを他人(ひと)さまに泣き言のように言ったって、それは通らない。それでは、みじめでなおかつ中毒にならない人に申し訳がたたない。"私のことをわかってくれ"という権利など、この世の誰にもないのだ。

 最高に格好いい。
 中島らもは、他の本でも同じようなことを発言していたから、彼の本心だろう。
 最近、ようやくアルコール依存症は、意志が弱いから、という問題ではないという理解が進んできたが、そこに寄りかかってばかりではなくて、矜持は保っていたいところである。
あーあ、前に記事にしたアルコールの減酒薬、早く届かないかなあ~)

 後回しにしてきた話。
 アルコール依存症のイメージについて。
 世間一般では「単なる酒好き」程度に思われていることが多い。別名で最近出てきたのが、「アルコール使用障害」。この呼び名は最適だろう!と感動! 今後、これに統一してほしいと思っている。

 下に、本書で利用されていたテストを貼り付けた。自分は大丈夫、と思っていながら、重篤問題飲酒群になる人は案外多いのではないかな。

2点以上…きわめて問題多い(重篤問題飲酒群)
2~0点…問題あり(問題飲酒群)
0~-5点…まあまあ正常(問題飲酒予備群)
-5点以下…まったく正常(正常飲酒群)

自分は15.5点で、まあこういう客観的なテストで評価すると重篤だなと他人事のように思うのであった。

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