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診察室から 1-2

こんにちは。診察室から1-1の続きです。
一緒に綴ってもいいのかもと考えたのですが、
読むのが辛いとき、ぼんやり自分と向き合うとき、
長いと疲れてしまうので、別々にすることにしました。

女性の公認心理師さんAさんとの診察では、最近あったことを話しました。
私にはたくさん怖いことがあります。

ちょっとした物音でも身体が震えるぐらいにびっくりしてしまいます。
毎日こうあるべきだという自分の考えに捉えられてしまいます。

でも、こうあるべきっていう指針は、
ほとんどが「夫はこういうかもしれない」「夫に怒られるかもしれない」ばかりです。

え? と驚かれるかもしれません。
私の中で、夫の視線や気配がこびりついて離れません。
何をしていても夫はどう思うかが先に立ちます。

結婚前、独身の時はどうだったかというと
囚われの対象は夫ではなく「母」「両親」でした。
結婚したらそれが「母、両親、夫」とひとつになり、
いろんなことが重なって実家と絶縁し、
最後に「夫」が残りました。

前回のカウンセリングの時に心理テストを二種類していました。
心理師さんはそれを見ながら教えてくれました。
抑うつが酷いこと、そしてトラウマ症状が酷いこと。
トラウマ症状はほぼ満点に近い数字でした。

どうやら私は、フラッシュバックと乖離を頻繁に起こしているようです。
ずっと誰もが同じと思っていたのに、ない人には無いと知り驚きました。
無い生活が考えられないのです。

結果を基にぽつぽつと夫と母との話をしました。
不思議なことに、こういうとき、自分にあったことなのに他人事のように思えるのです。何の感情もなく、思い出をなぞる作業は空虚です。

Aさんは私の話しを聞き
「悪気はなかったのだろうと考えて、嫌だ、辛いと感じる自分を否定する必要は無いんですよ。わかのさんはいろんな辛いことがあったのに、それを跳ね返してこどもたちを大事に育ててきている。すごく頑張っているんですよ」
と言ってくれました。

トラウマ治療についてそこから話しをいただきました。
どこから手をつけるのかが問題ですと仰いました。
話して辛くなりすぎると良くないからと。

診察からの帰り道、自転車を漕いで鈍色の空を見上げると、
雨の線が見えて、私の目の中に入りました。
なんだか泣きたくなったのに、でも泣きたい気持も全て偽物のように思えました。
辛くなるようなら感情は要らないんじゃないかなと、ふと思いました。

複雑性PTSDは未だ治療方法は手探りのようです。
がんばらないといけない、とぼんやり思いました。


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