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代表取締役からフリーランスになって20年~今が一番良い生き方だと思う

🥭創業から有限会社経営まで

 40歳で飲食のコンサルタント業で創業して、2年目の時に酒屋さんの経営するレストランの仕事をした時に、1年分のギャラを前金でいただきました。昭和の時代の130万円。このお金から30万円を使って有限会社を設立。

名刺の肩書が代表取締役。コンサル業は足元を見られる仕事ですから、
肩書、乗っている車のランクや新車かボロイか、服装や靴や時計が目を
引く程度のものかどうかで、受注力が違います。

初対面の経営者の方が、儲かる仕事をしていればお金の余裕があるはずと
思う見方を逆手に取って、私は謝金をして車と身なりを整えて、仕事を多く確保して成長しました。

年商400万円から年商1800万円まで。同じ1800万円でも、初期は、内装工事、冷蔵庫販売、食器販売まで手掛けての売上でしたが、創業から10年目で、100%コンサル収入で1800万円に達しました。

そして日本の景気後退期に入り、年商が1000万円を切り、どんどん下がって
きて、有限会社の域ではなくなりました。

🥭有限会社を捨ててフリーランスになった
 

 私にとって「有限会社」などの個人の持つ法人格は、車と同じく、
必要な時だけ使えばいいと思っています。

法人をやめて個人事業に切り替えた
 税理士契約をやめて➡自分で自己申告し始めた。(コストの削減)

月収の落ちを我慢できた
 今でも覚えていますが、1800万円の年商があった頃は、粗利益率94%
毎月の入金が120万円前後ありました。
それが数年で、・・・・なんと契約が2件で75,000円まで落ちました。

助かったのは、国民年金の5万円と、
夜間に居酒屋を経営して60万円~80万円の売上があったことです。

一度収入のどん底を経験したので、怖くなくなったのです。
今はミニマリスト的な生活もすっかりなじんできています。

🥭57歳と67歳の2回、コンサルの勉強を再度
 行いました

 この自らを根本から見直して、否応なしにブラッシュアップすることがなければ、コンサルの仕事がこの高齢期でもちらほらと来ることはなかった
でしょう。

 

時代の最先端の自分でいたい
 これができてこそ、人のお役に立てる

本当にこの気持ちが強かったのです。

創業の時に、知恵ない・金ない・人手がないという
小さな飲食店(パパママストア)の手助けをする
ことを創業の理念にしていたからです。

今でもその気持ちはしっかり持っています。

🥭圧をかけた支援から理解力を育てる支援に
 変わった

 後ひとことだけ。
私の身近な友人のコンサルの方は、契約をされる方に、

私を信じて私の言うとおりにしてください。違えればすぐに契約をやめます」と言って契約をするそうです。

私も思い起こせば60代半ばまでは、支援が楽なこの方法でしていたと思います。しかし、あるとき、
自分が離れたら、この人は自分で判断してちゃんと前に進むことができるだろうか?』と思ったのを機に、

理解してもらいながら共同歩調で前に進む

 支援の形に変えました。2倍も5倍も手間がかかり、時間がかかります。
しかし、理解が進む分だけ、自分で判断できる力がつきます。

この形に変えて10年近くなり、
このスタイルが今は最高の支援のスタイルと自覚しています。

(了)





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