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若年層の自殺を考える(エッセイ)

「金が問題なんじゃない、金がない事が問題なんだ」が口癖のカンボジア人の友人がいる。この言葉が興味深くていつも「それ名言だよ」と私は応えている。カンボジアの貧困問題とかいろいろあるけれど、長い話になるので、今回は別視点で未成年者自殺率が常に高水準の長野県について書いていく。ちなみに先進国の中でも若者の死因第一位が自殺なのは日本だけ。その中でも高水準の自殺率だ。さらにそれが長年続いている状況にあるのが長野県。世界的な視点から見れば、社会全体の在り方になんらかの問題があることは想像に容易い。

「金が問題なんじゃない、金がない事が問題なんだ」というように、問題の根というか、分割して考える能力はけっこう重要だと思っていて、問題解決能力の向上と視野の広がりに貢献していると思う。

問題というのはいくつもの層が重なった構成物みたいなもので、目に見えているのは1番上の層だ。2層ぐらいの重なりで問題が発覚すれば解決も楽なんだろうけど、多くの問題はたくさんの層が重なってからでないと問題として認知することが難しい。それで、問題はいよいよ我々の頭を悩ませる。

問題として認知したら次は解決に向かう必要がある。重なった層を一枚一枚剥がしながら最初の一枚に辿り着く作業だ。ここで分割する思考がないと、表面の問題だけを解決しようとして長い時間足掻いた挙句、結局解決しないどころか、より問題が複雑になってしまう。いじめ問題なんかも、分割的な思考がないと絶対に解決しないと思う。そして、そういう現場に携わる人に限ってこういう思考が苦手な人が多い。

何年か前に、長野県は未成年者の自殺率が日本でトップという事実を知って、一度だけ、県の自殺に関する相談窓口にどんな対応をしているのか電話して聞いたことがあった。答えは「自殺したくなった人の相談を電話で聞く」というものだった。

解決には「死が問題なのではない。未成年者が自ら命を落とす事が問題なのだ」という原点に立ち返る覚悟が必要だ。電話で救える命もあるだろう。だが、その傍らで、問題の根を特定して断つことが出来れば、もっと社会は住みやすい場所になるに違いないと私は思う。

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