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世界のクライマーの溜り場camp4

アメリカ、サンフランシスコ州ヨセミテ国立公園にcamp4というキャンプ場がある。今から20年ほど前、ほとんど英語も喋れない私はそのキャンプ場に集まるクライマーの輪の中にいた。

クライマーは世界中から集まってくる。ビッグウォールを目指す者、クラックを登る者、ハイキングを楽しむ者、クライマーの話を聞きに集まる野次馬まで、様々な人種がいた。

そんなCamp4ではクライミングの自慢話、岩場の情報交換、ビレイパートナー探し、金の無いクライマーの中古品販売、酔っ払いと、浮浪者のような格好のクライマーで賑わっていた。多くのクライマーのシャツはワイドクラックによる損傷で穴だらけ。ハイカーも混じっていたが、彼らも何日もシャワーを浴びておらずひどい匂いを発している者も多かった。

話の内容で多いのが、どれだけ危険な目にあったかという自慢話。アメリカではどれだけ危険な橋を渡って生き延びてきたのか、というエピソードが人々の心を惹きつける。多くの内容は忘れてしまったが、よく覚えているものを挙げると、クラックを登っていてプロテクションを使い果たし、ホールバッグに放りこんであったまだ開けていない缶ビールをプロテクションに使った話。滞在期限を無視して刑務所に放り込まれた話。キャンプ場内のビュッフェで金持ちそうな家族の残り物で腹を満たした話(これは私もよくやった)。それから月曜だったと思うが、フリーコーヒーの日にただでコーヒーが飲めるのを狙って、ついでにレストランの塩や胡椒をくすねてきたケチな話。そういう話が出るたびに、大きすぎる焚き火の周りに集まった汚らしい格好の奴らの笑い声がCamp4に響いた。

ちなみに私は、ハイキング中に食料をほとんど食い尽くしてしまい、マスを釣りながら食料を確保して、そのマスを焼くたびにブラウンベアーがのそのそ遠くの方で動くのが気になったという話をした。その話で盛り上がったかどうかは記憶にないが、私にとっては間違いなく青春の1ページだった。

1人でのハイキング

あの時camp4で私が味わった自由は、あまりにも徹底的だったように思う。刑務所にぶち込まれた男も、私が感じた海外での孤独も、どんなに不幸な話も、みんなで笑い飛ばすと救われた。camp4にはそれから何度も通い、ヨセミテだけではなく、アリゾナ、ネバダ、ユタ、多くは砂漠だったが、西海岸を中心に薄汚れたステーションワゴンで手当たり次第に岩を登りまくる長い旅を何度も続けた。

旅で出会ったクライマーの幾人かは、治らない病気やアフガニスタンの任務中に亡くなったという話も後になって聞いた。でも不思議なことにクライミングで死んだという話は聞かない。それは、皆それぞれ一流のクライマーだったことの証だと思う。彼らにはもう何年も会っていないが、時々、昔のフィルム写真を出しては懐かしんでいる。

地元のリサイクルショップで買った1人用テント

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