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コーヒー飲みに来てください

親しくないと思っている人に「あなたってこういう人だよね」などとコメントされても違和感が大きいけれど、数が増えるごとに慣れて流せるようになる。
単純に驚きのほうが大きかったのは、学生の頃卒業式に来た全然親しくない子の保護者に「お世話になりましたぁ〜今度是非家に遊びに来て!」と話しかけられたときと、コロナ渦前に行っていた美容室のオーナーに「コーヒー飲みに来てください」と言われながら見送られたとき。
「また」だったか「今度」だったか詳しく思い出せないがこういう風にネットに書けるのは、言った本人がもう忘れているだろうと思えるからだ。
学生時代の卒業式のほうは、たぶんそのお母さんは何か勘違いしてたか、ほとんどの人にそう言って去るスタイルの人だと思う。その人の家も知らないし学校以外で会ったこともない子だったから。
美容室のオーナーは、おもてなしの心を見せたい人かな。利益も計算してるけど、表面上は隠して交流したかったのかも。その日はスタイリストが予定を勘違いしていて私のカット終了時刻が予約したときより遅くなるというちょっとしたミスがあったので「遅くなってすみませんでした」というお詫びと、その後にすぐ「またお待ちしてます」とは少し言いづらくて「コーヒーうんぬん•••」で締めたのかなぁと思えた。時間がおしてしまった私は急いでいたし、もちろん突っ込まないまま見送られた。

カフェ併設でもないのに、コーヒー飲みにだけ美容室に行ける人いないだろう。

美容室の施術メニューを実行した上でオプションで選べる飲み物でしょうが!
としばらく思っていたが、施術メニューのお客ではなくて美容室商材のメーカーのディーラーさんなんかは営業や打ち合わせで美容室に来てコーヒーを出してもらえているようだった。
一般客の私も望めば、一度だけはその扱いをしてもらえたのだろうか…
言ったオーナー本人もその日のうちに忘れてしまうようなことだから、翌日に行ったとしても「今日は何しにいらしたの?」とぽかんとされてしまうだろう。オーナーの言ったことを説明したとしても「ほんとに来たんだ•••」という驚きとひかれた雰囲気になって一杯のコーヒーはいちおう渡してもらえるかもしれないが、その美容室から帰るまで腫れ物に触る扱いを受ける気がする。
その後、全然関係ない出来事でも不条理な思いに浸ってしまったとき、そんな妄想をしてみるのだった。
歳末の振り返り、助け合い、火事場の馬鹿力などなどいろいろなことが駆け巡る•••

考えることが沢山あるときに妄想に逃げてしまう人も多いが、信仰を持つ人はどんなときもぶれずに強い。
その美容室のオーナーは深く悩まずに、友好関係を築く姿勢をみせることでトラブルを回避したりビジネスの神を信仰したりしているのだろう。
サービスを与えてもらえる機会や権利をどう活用するか、そういうことにも考えを巡らせてみる。

「おもてなしのコーヒー」は気持ち。


私はいつでも飲みたいほどコーヒー好きじゃないし、選べるときは紅茶をオーダーしてるんですけどね。

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