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寝坊ではじまる朝:手術当日(手術前まで)

手術の前日は、通常業務や引き継ぎに追われて、仕事が落ち着いたのは夜の11時過ぎであった。

何日か忙しい日がつづいたので、掃除も最低限、明日の準備も全然できていなかったが、眠気には勝てず、そのまま寝てしまった。

明日、朝早く起きてやろう、と思いながら。。(大丈夫か?)


手術当日、朝の5時半にアラームで目が覚めたが、「後30分は寝れる」と思い、二度寝。(謎の自信&危険な誘惑)

その後、6時に起きて、「起きなきゃ。。」と思っているのに、目が勝手に閉じてしまい、次のアラームで目が覚めた時は6時半であった。

ひいい〜!遅れる!!

私は慌てて飛び起きた。

病院には朝の8時に到着する様に言われている。
家から病院までは車で30分程だが、行った事がない場所だし、タクシーで行くので7時ぐらいには家を出たい。

準備の時間が30分しかない。

大慌てで支度する。



スマホ、お財布、今までのカルテと領収書、パソコンも迷ったがバッグに入れる。着換え一式と歯ブラシなど。
(過去の手術経験から、待ち時間が長いので暇つぶしの為と、IDなどの証明書が入っているのでパソコンも持って行った)

慌ててきたら、もうお金とスマホとカルテさえあればどうにでもなる気がした(笑)

部屋はさっと汚い箇所だけ床をほうきではいて、
にゃんこ達のトイレをそうじ、お水とご飯をたっぷり入れる。
生ゴミを出し忘れそうになって、慌ててドアの横に置く。

そうこうしているうちに、7時になりそうだったが、根性でシャワーを浴びる。手術の細かいスケジュールか分がらないので(手術前にシャワーを浴びれるか、など)、今のうちに清潔にしておかないと。



7時10分過ぎに家を出ることはできたが、もう一つ寄るところがある。
友人の家に寄って家の鍵を渡さないといけない。
にゃんこ達のご飯をあげてもらうのだ。

友人の家のタワーでエレベーターを降りると、ちょうど友人のお母さんに鉢合わせした。私に会って喜んでくれるお母さんを家まで急かし、友人に鍵を渡す。(お母さんはちょうどプールに行くところだった)

その後、ソサイエティのメインゲートに小走りで向かいながらタクシーを呼ぶ。もう7時20分過ぎている。慌てすぎてゲートに向かえばいいのか、止まってタクシーを呼べばいいのかもう分からない。

コロナになってから、タクシーの台数が減って、すぐに呼べなくなったと聞いていたが、幸いすぐに一台見つかった。ただし、ゲートからかなり離れた場所に来たので焦ってしまったが(笑)

その後、運転手は一度道を間違えてヒヤリとしたが、朝は道路が空いていたため、なんとか8時前に到着。


手術をする病院はインド全土にあるブランドなので、かなり大きな病院を想像していた。しかし着いて分かったが、意外と小さく、車を止めるスペースはほぼ無しに等しかった。

車で来るか迷っていた私は、自分の判断が正しかった事に胸をなで下ろし、受付に向かった。


受付に着いて、今日が手術で、入院の予定がある事を伝えると、先にemergencyに行って何かの手続きをする様に言われた。

emergencyの場所が分からず、右往左往したが、スタッフに教えてもらい、到着。行けと言われて来たが、具体的には何をするのかよく分かっていない(笑)

え~と、私は何をしにここに・・・?

とりあえず、今日が手術の予定である事と、手術担当の先生の名前を伝えると、近くの椅子に掛けるように言われた。

所在なく待っていると、もう一度自分の名前を聞かれ、何の手術なのかを確認された後、PCR検査の為に細い綿棒の様なものを鼻に突っ込まれた。

もう世界がコロナに脅かされて数年が経つのに、実はこの検査は初めてだ。

恐れていた様な苦しさはなく、無事に検査を終えると、再び、受付に戻るように言われた。

受付ではいくつか紙の書類に記入する様に言われ、その後、オンラインでも入力。ああ、知ってれば事前にやってきたのに。。(先に教えてくれ)

朝8時だったので、静かだった受付も、徐々に人が増えてきた。聞きたい事がたくさんありそうな私は、他の人がいるのは分かっていたが、最前列に陣取る。手続きが終わるまでは、後ろめたくてもここを離れてはならない。

人が多いインドでは大事な事だ。
必要な時はいい人ぶって、他の人に譲ったりしてはならない。
その後自分の順番が永遠にまわって来なくなる。
(本当に緊急の人には譲るけど)

しかし、オンライン入力で「国籍」、「パスポート」が出てきた時点で、手が止まった。

あ〜スマホにこのデータを保存してたっけ??
パスポートやビザが必要だって言ってなかったじゃん・・・。
(ちゃんと言ってよ)

探すと無いので、ノートパソコンを取り出す。迷ったけど、持ってきてよかった。ナイス自分!

その後、デポジットの5,000ルピーを払い、部屋番号を教えてもらい、なんとか受付終了。


スタッフに案内されて部屋に移動する。
私の部屋は1階(日本で言う2階)の一人部屋だった。

手術前に案内された部屋の様子。(トップの画像も)
手術後は、別の部屋に移された。

部屋に入る時に、入院者用のパジャマを渡される。
テキパキした看護師さんに「下着も全部脱いでね。アクセサリーもダメだからね!」と言われ、(ああ、これだとやっぱり生理の時はムリだったなあ)と思うのだった。

パジャマはセパレートなのはよかったが、ズボンは紐で縛るタイプだった。
私はこれが嫌いなので、なんで未だにこれにしてるんだろうと思う。
紐で縛るタイプだとお腹が苦しい時があるし、トイレの時など地味に面倒だ。

パジャマの上と下の色がバラバラ。別にいいけど(笑)

それに実際に来てみないと分からないが、トイレの時に紐を緩めると、(気を付けていないと)あっと言う間に床についてしまう。

今後はウエストにはゴムを採用してもらいたい。



着替えたところで、元気そうな女性の看護師さん2名が来て、幾つかの書類に署名をさせられる。

本当は全部読むべきであるが、概要を聞いて署名した。
(これが自分のダメなところかな、とも思う。。)

(この辺りで、付き添いをお願いしていた、息子の友人H君が到着。)

その後、体重を測り、血圧や心拍数などを確認し、心電図の検査も実施。

これは・・・小学校の時に実施して以来では??

手足にクリップの様なものを付け、胸にペタペタと何かを吸盤でつけ、測定していく。数年前に手術しているので、その時にも実施しているはずであるが、記憶は小学校の時のものだった。

それらの検査が終わった後、点滴の為の管を入れる。看護師さんは左手の手の甲か、左手の親指下の手首辺りを考えていた様だが、手の甲に決めたらしい。

「刺すよ?いい?大丈夫、大丈夫、ちょっとだけだからね?」
「よぉ~し、がんばったね!!」と、なんとも元気だ。

こんなに褒められたのは、出産時以来かな。(笑)

が、次の瞬間、「oh, shit…..!」と看護師さんは顔をゆがめる。
どうもうまくいっていなかった様だ。

確かに、なんとなく、じくじくした痛みを感じる。

「やっぱり別な場所にするから。ごめんね。ごめんね。」と、
本当に申し訳なさそうにする。人の体は全員違うので、こればっかりは仕方がないと思うし、逆にすぐに気づいてくれたのでよかったのではないだろうか。(血管がどこにあるか分かりにくい人もいるし。)

右手も検討したが、結局、左手首、親指の下に点滴の管を入れてもらった。

その後、この病院のお医者さんが2名来て、簡単に状態を確認して帰った。
(手術を担当するお医者さんではなく、病院に直属のお医者さんの様だ。)

そのお医者さんに、「年齢?26歳?え、違うの??本当に??」とお世辞を言われて、ちょっと機嫌を良くする私(笑)

しかし、病院と言う場所は目的の為とはいえ、年齢、性別、過去の病気の記録など、体のセンシティブな情報がバンバン公開されていく。治療に限定されて活用されているうちはもちろん良いが、気にする人が多いのもうなずける。

最後に、麻酔担当のお医者さんが来て、いくつか質問をした後、今回の手術での麻酔の方法を決定し、説明をしてもらった。

今回は半身麻酔で、腰のところに注射を打って、麻酔をかける。
半身麻酔の為、意識はあるし、手術中に会話もできるレベルだそうだ。

え・・・やだ、コワイ。

手術中は麻酔が効いているのは理解できるが、はっきり言って、「腰に注射」って聞いているだけでも怖すぎる。腰なんて、注射できるところないじゃん、と思うのだが、論理上反論できるはずもなく、うなずくしかなかった。

その後、レントゲン検査に車いすで連れていかれ(歩けるんだけども。。)、部屋に戻った後は、手術の準備で手術室に移動するまで待つように言われた。

ベッドに入り、noteを見たりしていたものの、数日間の忙しさもあってか、やがてうとうとと眠りに入ってしまったのだった。






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