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危機意識について考えてみる

危機意識という言葉がある。これはどちらかといえばビジネスにおいて使用される機会が多い言葉かもしれないけれど、普段生活している上でも震災以降はよく聞かれる言葉になった。

災害や事故、障害なんかが発生した後というのは、とかくこの言葉が使われるのだけれど、よく見るパターンとしては3つほどある。

① 危機意識の足りなさが今回の被害拡大を招いた
②(大きなアクシデントの後で)再発を防ぐ上でも更なる危機意識が必要
③ やがて発生しうる災害に備え危機意識を強化すべきだ

これらのパターンを見ると、危機意識を持つ事によって得られる効用としては以下のとおりにも整理できる。

危機意識を持つ
① 既に発生したアクシデントの被害を抑える
② 一度発生したアクシデントの再発を防ぐ
③ 可能性のある事象に対して予め備え、未然に被害を防ぐ

これだけ見ると、めっちゃ危機意識大事やん!危機意識持たないと被害拡大するし、再発するし、予防も出来ひんやん!って思うんだけど、これがなかなか難しい。どうして難しいかはこれから説明していくけれど、その前に一つ興味深いデータがある。

これは内閣府が2016年に調査した「日常生活における防災に関する意識や活動についての調査結果」から抜粋したものだけど、将来に対して大地震や大水害が発生する可能性が高いと感じている人は、実に7割以上と高い回答結果なっている。

しかし、次の図を見て欲しい。

これは同じ調査において得られたアンケート回答なのだが、これを見ると災害が発生すると思っている人は7割強もいるのに、実際に災害に備えていると回答した人は4割以下となっている。問題を認識しているにも関わらずだ。この回答の背後にある理由はアンケートの詳細を見て頂きたいのだけれど、ここでは危機意識というものが、どうやって発生するのかを紐解いていきたいと思う。

危機意識は問題意識と当事者意識の掛け算によって成り立つ

「危機意識は問題意識と当事者意識、そのどちらが欠けても生まれない。問題意識があっても当事者意識がなければ課題は放置されたままになる。逆に当事者意識があっても問題意識がなければ何が危険かもわからない。」

これは僕の以前の職場で、とても有能な経営スキルを持った上司が何度も話してくれた事の一つだ。これを聞いた時に僕は「ななるほどなー」、と感心したのだけれど、危機意識を持つのって難易度高いな、とも感じた。なぜなら、何かしらの問題点を認識し、それを自分(達)が主体的に解決しなければいけないと感じる事が危機意識であるなら、当事者意識の及ぶ範囲でしか危機意識は生まれないという事だと気づいたからだ。

当事者意識を持つためには?

当事者意識を持つためには、目の前で起きてる事や自分が関わっている事を「自分事」にする事から全てが始まる。この「自分事化」が出来るかどうかで物事に対してのスタンスが「能動的」か「受動的」かが決まってくる。実は様々な場面で受動的な態度になってしまう事は多い。受動的姿勢でいる事はエネルギーも使わないし楽ちんだから。「能動的」に動くためにはエネルギーが必要だし、主体性がないと始まらない。

例えばお腹が空いた時、人間は能動的に色々な事を考える。何を食べようか?予算は?どこで?作るのか?買うのか?など。こうした事を考えるのはエネルギーがいるけど、食べなければ飢えてしまうので、空腹を問題意識として捉え、主体的にご飯を食べる行動を起こす。そして次にお腹が空いた時のために、食料を備蓄しようとか、外にご飯を食べにいく場所を予め抑えておくとか、食料費を用意しておく、とか考える。

事象の自分事化 → 問題の認識 → 主体的行動 → 危機意識醸成

こうして見ると「自分事化」から「危機意識」醸成までのプロセスがなんとなく整理できる。

問題意識を持つ事は容易く、当事者意識を持つ事は難しい

前述の空腹の例え話なんかだと、生理欲求に関する危機意識であれば人間はは意識せずに出来てる事が多い。空腹は自らの危険性に直結するし、毎日数回はやってくるから当事者意識も問題意識も欠ける可能性は低いから。だけどそうした生理的欲求や安全欲求の様なもの以外になると途端に当事者意識を持つ事は難しくなる。

世の中を眺めてみると、世界は本当に様々な問題で溢れているのがわかる。でもそれぞれの問題は結局は対岸の火事だし、自分自身が経験しない限りはリアリティは限りなく薄い他人事でしかない。こうした事に対して当事者意識を持つ事は「報酬が無いのに労働しろ」と言われているのと同義で、なかなかコミットできるものではない。自分自身も反省しないといけないのだが、様々な事に対して無意識に傍観者になってしまっているケースは多い。更に言うと自分が一度でも痛い目に合わなければ、気をつけようとは思わないのが人間である。だから防災備蓄のアンケート結果みたいになる。

一人の人間が経験する事象やコントロールできる範囲は限られているし、時間も有限だ。その中で重い腰を上げ、何に対して主体的に行動するか?を考える事こそが、自らの人生に対する危機意識醸成の第一歩なのではないだろうか?

そんな事を考えてしまった台風一過の次の日


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