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『シン・仮面ライダー』--------- 昔、見たかった「仮面ライダー」。

 かなり前から、気になっていた。

 『シン・ゴジラ』があって、『シン・ウルトラマン』があって、それは、昔の、その映画や映像を知っている人間にとっても、見てよかったと思える作品だった。

 『シン・仮面ライダー』も、庵野秀明がつくる、と知って、全部、庵野氏が関わることへの、どこかあきれたような気持ちと、一人だけに任せることへの重圧も想像したのだけど、それでも期待があったし、予告編を見て、これまでの「シン」の2作とは違うアプローチを感じて、それで、戸惑いも含めた気持ちになって、だからこそ、余計に、見たい気持ちになっていた。


『仮面ライダー』の時代

 現在も続く「仮面ライダー」シリーズが始まったのは、約50年前だったけれど、そのテレビ放映の開始は、「ウルトラマン」のあとだった。 

 そして、同時期には、「巨人の星」という野球をテーマにしたアニメが4年目を迎えていて、時間的には、土曜日の夜は、午後7時の「巨人の星」から「仮面ライダー」のつながりで視聴ができたはずだ。

 そのあとには、確か「8時だよ!全員集合」があったので、子どもにとって、今よりもテレビを多く見ていた時代だから、おそらくは、ちょっと幸せな土曜日の夜だったと思う。

 この頃の子どもにとっては、学校の教室で話を合わせるのも大事だったので、同じ番組を見ていないと、月曜日の会話が成り立ちにくくなり、その一方で、「巨人の星」と同時刻に、『スペクトルマン』という、特撮ヒーローの番組が始まったから、「ウルトラマン」が好きだった私のようなタイプは、宇宙がらみの、この番組も見ていたはずなのだけど、「巨人の星」が終盤に入り、少し飽きられていたせいか、実は多くの人が見ていたらしい。

 土曜日の夜は、そんなふうにいろいろなヒーローものが放送されていた。

『仮面ライダー』の人気

 「仮面ライダー」の人気は独特だった、と思う。

 私のような特定の世代が、嘘のように繰り返し語っているので、嫌になっている方もいそうだけど、「ライダースナック」というものがあった。それは、スナック菓子だったのだけど、そこにいわゆるトレーディングカードをつけた商品で、カードには、仮面ライダーのさまざまな姿や、毎週のように登場する「ショッカー怪人」が印刷されていた。スナック1個に1枚で、何が出るかは分からないこともあり、その収集に関して、一部の小学生はエスカレートしていたのも事実だった。

 その当時、小遣いを多くもらっている一部の子どもが、そのカードを集めるために、「ライダースナック」を箱買いし、そのスナックは、正直、それほど美味しいわけでもなかったせいもあって、全部を食べることなく、残りを捨てる。

 そんな行為を、クラスの他の誰かに告げ口され、教師に怒られる。

 そんな出来事が、自分の学校でもあったから、おそらくは、全国的に起こっていたはずだ。

(「ちびまる子ちゃん」にも、そうしたエピソードが描かれている)。


「仮面ライダー」の特徴


 「仮面ライダー」の特徴は、「ウルトラマン」などと違い、あくまでも等身大のまま、悪と戦うこと。アクションは、たとえば、高く跳ぶ時は、おそらくはトランポリンのようなものは使っているが、ほぼ人間がおこなっていること。それに関連して、その戦い方も、ビームなどは出さずに、圧倒的な肉体の力を使うという設定だから、基本的には格闘技のような戦いになること。そして、ヒーローがバイクに乗っていること。

 まとめるとすれば、「改造人間」という設定だとしても、人間同士の戦い、という迫力と魅力があった記憶がある。

 それが新鮮で、考えたら、「仮面ライダー」も、ヒーローとしては、とてもシンプルな名前で、ふと、あとになって思ったのは、「仮面ライダー」へのハマり方が強いほど、のちにバイクを乗り回す率が高く、それが、場合によっては、1970年代の暴走族の隆盛にも一役買っていないのだろうか、と思ったりもする。

 その後、テレビでも、特に平成以降は、「仮面ライダー」は、テレビシリーズも、そのストーリーは複雑に進化を遂げているようだし、そのルートとは別に、映画でも、何度か、「改造人間」の部分に焦点を当てた、一種のグロテスクな部分を含めての「仮面ライダー」も制作されているから、今度の「シン・仮面ライダー」は、どうするのだろう?と思っていた。

 ずっと少し気になり続け、2023年3月には、上映が始まり、これまでの「シン」シリーズの中では、それほど話題になっていなかったし、観客も少ない、といった噂も聞いていたし、あちこちの映画評で、賛否両論とはいえ、「否」の方を多く知るようになったので、迷ったけれど、やっぱり見に行くことにした。



(※ここから、「シン・仮面ライダー」の内容にも触れます。未見の方で、何の情報もなく、見たいという方は、ご注意ください)。





『シン・仮面ライダー』の登場

 映画は、最初、いきなり、バイクで追われているシーンから始まる。

「仮面ライダー」が追われているとしたら、相手は「ショッカー」で、一緒に女性がいたとしたら、ヒロインのはずだった。

 ただ、今回の登場人物・緑川ルリ子に関しては、最初のテレビシリーズでも登場していたのに、序盤で姿を見なくなっていたし、その後は、ライダーと怪人の戦いに比重が置かれていたせいもあって、そのヒロインの存在を完全に忘れていた。(ただ、それだけ熱心な視聴者ではなかったのかもしれない)。

 そして、「シン・仮面ライダー」でバイクに乗っていたのは、主演の池松壮亮だったので、これから変身するんだ、と思っていたら、いったん、バイクは破壊され、そして、ヒロインが捕えられたところで、「仮面ライダー」として登場する。

 それは、テレビシリーズの、初回の登場シーンのはずだが、いろいろな機会で、何度も見てきた場面でもあった。

「仮面ライダー」は、戦う時に、相手を殴る。

 それは、あまりにも強烈な力のため、ほぼ一発で、相手を殺してしまうような力で、流血もあるのはテレビシリーズではできない表現だったが、何よりパンチが重く見えた。
 それは、効果音や様々な映像処理のおかげだったのだろうけど、それでも、相手の体がバラバラになるような突き抜けた力ではなく、超人的なパワーという、とても絶妙な加減に感じた。

 そして、冒頭から、人を殺してしまうことに対して、当然のように持つ罪悪感や、さらに、仮面の下は「変身後」は、人間離れした姿になっていることも表現され、これまでの映画シリーズでは、すでに、そんな映像があったとしても、新鮮に見えた。

 だけど、「仮面ライダー」を「アップグレード」した緑川弘「博士」の説明は、あまりにも突飛だし、その言っていることの難解さも、ちょっと引いた気持ちにもなったが、そのあと、クモ「怪人」(この映画では、クモオーグと表現されている)と、再び、ダムで戦うシーンでは、ずっと仮面ライダーの必殺技だった「ライダーキック」が出るところで、また気持ちが変わった。

あの時に見たかった「ライダーキック」

「仮面ライダー」は、空高く跳び、そのあと、回転して力を増してから、相手を飛び蹴りする。

 それで、相手を破壊する、という過程が、テレビシリーズの時の記憶を思い起こさせた。初期の「仮面ライダー」は、アクションシーンが多く、そして、ライダージャンプから、ライダーキックまでも、実際に人が演じているし、そのジャンプの高さは凄くても、そこからの、ライダーキックには、相手を破壊するほどのスピードや重さを、感じなかった。

 そんな高さから、飛び蹴りをしたら、蹴った方も、蹴られた方も、演じている人間の安全性を考えたら、おそらく不可能だとしても、でも、視聴者としては、飛び蹴りの表現に、重さを十分に感じられなかった。ただ、そのあとに「怪人」が爆発してしまうのだから、その破壊力を、想像の中で補っていたのだと思う。

 でも、「シン・仮面ライダー」の冒頭の「ライダーキック」は、子どもの時に、本当は、見たかった「ライダーキック」だと思った。

 クモオーグに対して、パワーもスピードもピークのまま、「仮面ライダー」の片足が突き刺さるように、重さを感じる、飛び蹴りが入る。そこで終わるのではなく、「仮面ライダー」の足が、体に食い込むような体勢のまま、ダムの壁面が一部壊れるほど、クモオーグは体を叩きつけられ、絶命し、泡となって、消えていく。

 その場面には、CGも使われているはずだが、「ウルトラマン」のスペシウム光線のように、質の違う力ではなく、今回は使われていない表現だが、「改造人間」としての力に思えるくらいの、もしかしたら、安っぽく見える危険性もあるけれど、絶妙なバランスの「強い力」だと思った。

(ただ、オーグも、オーグメントの略で、その意味は、拡張といったことを示しているから、質を変えるということでなく、改造にニュアンスが近いかもしれない)。


 だから、それからの展開で、セリフやストーリーに対して疑問に思ったり、言葉が多すぎる違和感を抱くシーンもあったのだけど、最初に「あの時に見たかったライダーキック」を見せられたので、そのあとの見方が甘くなっていたのも確かだった。

「ショッカー」の目的

 確か、最初の「仮面ライダー」の「敵役」の「ショッカー」は、いってみれば、暴力による世界征服を目指していたはずだった。

 ただ、今回の「SHOCKER」の創設者は、最大多数の最大幸福を目指すのではなく、絶望している人間が幸せになるような世界を目指す、という、それでも、「世界をよくしたい」という願望から始まった、という設定になっていた。それが21世紀でもあるのだろうけれど、もしかしたら、初期の「ショッカー」も、似たような始まりだったのかもしれないと思わせた。

 そうした説明は情報量が多く、映画を見ているときに、正直、自分自身の理解が追いついていなかったと思うのだけど、その過程で登場するのが、過去のヒーローもののキャラクターたちをモデルにしているのは明らかだった。

 キカイダーや、ロボット刑事K、さらには、今回の最大の敵であるオーグも、サナギから蝶になるという設定も含めてイナズマンだけど、どれも見てきた記憶があるし、「仮面ライダー」も含めて、すべて石ノ森章太郎が生んだヒーローだった。

 この「SHOCKER」の目的の難解さが、終盤の戦いのテンポの悪さのようなものにも結びついてしまったと思えるのだけど、元々の石ノ森の作品にも、単純な勧善懲悪だけではない「暗さ」があったのは間違いない。

 なにしろ、「仮面ライダー」自体が、「ショッカー」で改造されて、そこから逃げ出して、「ショッカー」という脅威と戦うヒーローという設定なのだから、朗らかな存在ではなかったはずだし(この構造は、「タイガーマスク」と似ているが)、過去の作品を、現在の作品として、今の人たちに見てもらえるものにするには、こうした、「悪役の目的自体」を、改めて考える作業が不可欠なことを、示してくれたように思った。

 「シン・仮面ライダー」は、「よかれと思って」の持つ暴力性が、最大に拡大された存在としての「SHOCKER」を表現しようとしていたように思え、それが、21世紀の「悪役」としてふさわしいとは思ったものの、その暴力性への共通理解が、まだ社会に浸透していないこともあって、その表現がより難しく、そのことが、映画の終盤の展開が、明快さから遠ざかった理由かもしれない。

優しさと力

 「シン・仮面ライダー」で、その冒頭から繰り返し出ていた言葉が「優しさ」だった。

「仮面ライダー」として、バッタオーグにされる本郷猛という存在は、優秀だけれど、コミュ障なので、社会的には孤立して生きている、という設定だが、このオーグにされてしまう理由が、本郷の優しさだった。

 これまでのオーグたちは、自分たちの圧倒的な力をエゴのために使っている。だが、本郷には優しさがあるから、その力を人のために使ってくれるはずだ。だから、選んだ。

 そんなことを、オーグにされた緑川弘博士に、本郷猛は、言われていた。それも、とても身勝手で、勝手な理屈ではあった。

 本郷自身にも、人を守れる力が欲しい、という願望を持つ過去はあって、だから、なんとなく、本人も周囲も受け入れたように見えたけれど、行動を共にしていた緑川ルリ子は、その優しさについては、組織と戦い続けるためには弱点にもなるかも、という見立てをしていた。

 その言葉通り、人を簡単に殺せるような力を得た本郷猛は、当然ながら、葛藤する。「仮面」には、優しい心を麻痺させ、攻撃性を増幅させる機能もついているにも関わらず、そこに抵抗するように、相手がオーグであっても、殺さない選択をすることもあった。

 そうした本郷猛の行動のせいか、実はオーグでもあった緑川ルリ子の心にも影響を与えて、感情や表情が豊かになっている表現も出てくる。次から次へオーグが登場することで、時間を使い、そうした気持ちの変化の描き方について、物足りなさもあるものの、力があるものほど優しさが必要ではないか、という基本的で、どこか青臭いようなことも、描こうとしているのは伝わってきた。

 本郷猛が、終盤で、緑川ルリ子との関係を、信頼と言い切っていたのも、印象に残っている。そして、最期まで、本郷猛は、人のため、具体的な誰かの願いのために戦い続けていた。


「優しさと力」といったテーマは、ヒーローを表現するのであれば、未来になるほど必要ではないか。それは、古来より「健全な魂は、健全な体に宿って欲しい」と願いのように、言われていたらしいから、永遠のテーマなのかもしれない。


 「シン・仮面ライダー」では、その描き方については、まだ不十分さを感じる部分もあるが、冒頭の「ライダーキック」を見せてもらい、サイクロン号の気持ちのいい加速表現もあり、いったん満足してしまった評価の甘くなっていた映画鑑賞者としては、「優しさと力」というテーマを明確に示してくれただけで、少しうれしい気持ちになっていた。

 もしかしたら、とても感傷的すぎ、こじつけかもしれないけれど、それも含めて、昔見たかった「仮面ライダー」だったせいかもしれない、などと思っていた。


 映画を見てから、遅ればせながら、このテレビ番組↑を見る機会があって、恥ずかしいことだけど、自分自身が、石ノ森章太郎が漫画として描いた「仮面ライダー」を読んでいたつもりで、何もわかっていなかったことを、改めて知った。

「シン・仮面ライダー」は、石ノ森章太郎の「仮面ライダー」に、とても忠実だった。確かに、この「原点」を徹底することは、「シン・ウルトラマン」で、成田亨のウルトラマンに忠実であろうとしたことと同様に、これまでは、あまり試みられてこなかったことかもしれない。



(「仮面ライダー」を知らなくても、映画の前に、こうした漫画↓を読んだ方が、「SHOCKER」について、感情移入がしやすくなるかもしれません)。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえると、うれしいです)。



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