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「にゃんぱく宣言」で、「さだまさし」の凄さを、改めて考えさせられた。

 なんだか、ずっと「にゃんぱく宣言」はテレビで流れていたので、ポスターもずっと貼られていると、油断をしていたら、駅の「ここ」↑  にあったはずなのに、今は、何も貼られていなかった。

「にゃんぱく宣言」を、コロナ禍の中で、やたらと聞いた。このCM自体は、2019年の7月から放映されていたらしいが、今回のコロナ禍の影響で、広告が引き上げる中で、やたらと聞くことが多くなったようだった。だから、ポスターも、ずっとあると思っていたのは、錯覚だけど、久しぶりに、さだまさしの歌声を、何度も聞くことになった。

大ヒットした「関白宣言」

 さだまさしのことは、特にファンでないとしても、昔から知っていた。世代によって、いろいろと印象の違いがあるとは思うのだけど、この「にゃんぱく宣言」が、すぐに「関白宣言」のパロディだと分かったのは、ヒットした時のことを覚えているからだった。

 もう40年も前のことなので、昔の話で申し訳ないのだけど、「関白宣言」は、1979年の発売で、いわゆる「大ヒット」していた。当時、学生だったのだけど、同級生の女性にも、熱心なファンがいた。

 それは、推測に過ぎないけれど、「関白宣言」でファンになったというよりは、それ以前の、古典的な少女マンガのような「雨やどり」や、他の、もっと叙情的な曲が好きだったり、細身で長髪で、いつもヴァイオリンを持っているような繊細なイメージが訴えかけていたのだと思う。男子学生には、遠い存在だったが、当時のヒット曲は、長く売れていたし、「関白宣言」は、好きでも嫌いでも、どんな歌なのかは、おそらく、とても多くの人が知っていたと思う。

 結婚前の男性が、結婚相手に、結婚に関しての、こうしてほしい、という条件を出していく、という歌詞は、1979年当時でも波紋を呼んだ。男尊女卑といった言葉も向けられていたと思う。同時に、コミカルに仕上げていたり、相手への愛情があると、擁護されるような見方もされていたりもしていたが、どちらにしても、月並みな表現だけど、学生の時の私には、作者本人の「心の叫び」という感じには思えなかった。

長く活躍している「さだまさし」

 その後も、ドラマ「北の国から」の音楽を担当したり、1990年代の半ばには「関白失脚」という曲を出したり、そんなに関心がない私でも知っているくらい、ずっと音楽家として、活躍し続けていた。

 2000年代になって、NHKの深夜に「今夜も生でさだまさし」として、急に出てきた時は、少し驚いたし、芸能人としての粘り強い力みたいなものを見せつけられたように思った。(ファンの方には、当然の流れなのかもしれず、申し訳ないのですが)。


「にゃんぱく宣言」で、考えさせられたこと

 だから、今回の「にゃんぱく宣言」も、戦略的な視点から、勝手に考えてしまっていた。

 自らのかつてのヒット曲を、他人ではなく、本人が作りかえている。それも、依頼があって、そこに合わせるように完璧に応えているように見えた。「関白宣言」も、自分の作った大事な曲のはずなのに、それを自らが、いじるようなやりかたをしていて、それも含めての話題作りも狙っているように感じた。そうした仕事のやり方は、ビジネスに徹する凄さに思えた。

 しかも「にゃんぱく宣言」も、当時賛否両論を呼んだ「関白宣言」の、「上から目線」を踏襲している。今「関白宣言」を、その通りに発表したとしたら、おそらくは炎上しそうだけど、ネコは、現代でも「上から目線」が許されている、というよりは、どちらかといえば、そのことを望まれているような希少な存在でもあるのだから、それも含めて考えていると思えた。だから「関白宣言」をもとにしたのではないか、とまで思った。

 個人的な感覚に過ぎないけれど、私自身は、さだまさしのことを、とても冷静な人だと思っていたのを、今回の「にゃんぱく宣言」のことで、改めて気がついた。

さだまさしの歴史 

 今回、熱心なファンの方や、詳しい方には失礼なのだけど、いろいろと検索をして、さだまさしのことを、すでに芸能生活40年を超える歴史を、改めて考えた。

 その中で、少しは知っていたつもりだったのだけど、映画で何十億円という借金を背負うことになり、それを返し続けていたこと。そのためにもライブ活動を数多く続けてきたこと。さらには、長崎生まれであり、平和に関しての活動もしていること。小説も書いて、それが映画化もされたこと。ヒット曲も、記憶よりもたくさんあったこと。

 とても幅のある存在だった。

 さだまさしのことを、あまり知らない一人の人間の好き嫌いだけで、語れるような存在でないことは、分かったように思う。

 今回、もっとも自分の印象や記憶とズレがあったのは、東京藝大出身ではなかったことだった。いつもヴァイオリンを持ったジャケットのイメージがあったから、勝手に藝大だと思っていたのだけど、実際は3歳からヴァイオリンを弾いていて、目指しながらも挫折したこと。デビューしたものの当初は売れず、それでも「グレープ」というグループとしてヒットを続けたが、自身の病気のせいもあり、解散。その後、ソロとしては「関白宣言」が最大のヒット曲だったこと。映画で借金を背負い、返済のためにも活発な音楽活動。さらには、落研出身であり、そのトーク力でも仕事を広げ、すでに45年以上のプロとしての生活。

 そんな、幅も深さもある、いろいろな経験をした人の見てきたものや、感じたことは、想像しにくい。そして、私が見てきて、勝手に考えてきたことは、さだまさしの、ごく一面でしかないことも、と改めて知った。

 長く生きてきた人間の蓄積は、いろいろな層を作っているから、見る側の力量によって、どこまで理解されるかが変わってくる。当たり前だけど、どんな人にもそういう複雑な層があることに、改めて思いが至ったので、好きとか嫌いとかではなく、さだまさしの存在は、すでに「凄玉」(©︎村松友視)になっているのかもしれない、と思った。

活躍し続ける「有名人」が伝えてくれること

 自分が、若い頃に一方的に「有名人」として知っていた人がいて、それから、しばらく見なくなって、忘れていく、それが普通というか、多数のはずだった。

 そんな時間の流れの中で、さだまさしは、ずっと見る側との距離感が変わらない印象がある。もちろん「有名人」のままでもある。それは、個人的な感覚に過ぎないのかもしれないが、今、時々、目にする時は、たとえば、そのトークの力は、昔の感じと、ほとんど変わらないように思う。

 時代が変わって、変わらないと思うのは、もしかしたら、1・5倍は進歩しているのかもしれないが、どちらにしても、歌を聞いたり、テレビなどで話すのを聞いて、その受ける印象は、もちろん老けたにしても、基本的に、あの「関白宣言」の時に感じた冷静さみたいなものも含めて、今もきちんと現役のプロに感じる。それは、想像以上に「すごい」ことだと改めて思う。

 そうした姿を見ていると、自分が生きてきた何十年かも、ただ老いるだけのものでなく、意味があるようにさえ感じるから、長年、活躍して、人の目に触れ続けて、変わらずに現役の「有名人」であり続ける、ということは、想像以上に、数多くの人を支えているのでは、と思えた。

 そして、そうした「有名人」が見せているのは、使うのは難しい言葉だけど、なにより「人生」であって、長く生きるほど、説明し難い凄さが増していくのかもしれない。

 2年前に亡くなった義母も100歳を超えて、妻と私で、介護をしていたから、いろいろな思いはあったのだけど、夜中にそばでみていて、なんだかわからないけど、小柄な義母に「厚み」を感じ、長く生きてすごいと、理屈ではなく、思うことが、確かにあった。

 そんなことも、今回、「にゃんぱく宣言」のことを考えていたら、思い出したので、さだまさしは、私にはとても全部は理解できないけれど、すごい存在なのだと、思うしかなかった。




(参考資料)



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言葉を考える③「亜人」…「世界」をつくるタイトル

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