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読書感想 『推し、燃ゆ』 宇佐美りん 「今の生き方の記録」

 息を止めて、全力疾走した気がした。
 小説を読んでいるだけなのに、読み終えた時に、そんな感じがした。

『推し、燃ゆ』  宇佐美りん 

 考えたら、いつの間にか「推し」という言葉を、「追っかけ」より、よく聞くようになった。追っかけ、というような「行為の言葉」の時とは何が違うのだろう、と思う。

 どちらも同じように聞こえるかもしれないけれど「追っかけ」という言葉には、どこかに「いつか終わる」というようなニュアンスがあるように感じていた。

 だけど「推し」という言葉は、たぶん思想というか、生き方そのものと深く関わっていることを、より明確にしてしまっているから、だから、それには終わりがない。

 そして、この小説の主人公のように、本人が困難を抱えながら、どうやって生きていくか。という時には、その「背骨」として、推しが召喚される、というよりは、もっと内面化されて、生きていることに、常に不可欠になっていくのだろうと、この作品を読んで、思えるようになった。

 だから、「推し」がファンを殴った、といった危機的な状況には、「推す側」が、より「燃え上がる」のも、自然に感じられた。

「推しは命にかかわるからね」
生まれてきてくれてありがとうとかチケット当たんなくて死んだとか目が合ったから結婚だとか、仰々しい物言いをする人は多い。成美もあたしも例外でないけど、調子のいいときばかり結婚とか言うのも嫌だし、〈病めるときも健やかなるときも推しを推す〉と書き込んだ。電車が停まり、蝉の声がふくらむ。送信する。隣からいいねが飛んでくる。

他の「推し」との違い

 ここ何年かで、私の限られた情報に過ぎないのだけど、「推し」ということで思い出す作品が二つある。

 一つは、テレビドラマ「だから、私は推しました」

 もう一つは、アニメ・漫画の「推しが武道館いってくれたら死ぬ」。

 どちらも、一応は「大人」になっている女性が、「推し」に出会うことで、生き方が変わっていく話と言っていいのだと思うのだけど、その変化の極端さがより描かれているのが、「推しが武道館いってくれたら死ぬ」の主人公の「えりぴよ」だと思う。いつも高校の時のジャージを着ているのだけど、それは、それまでの服は売り払って、「推す」ために使っているからだ。「えりぴよ」は、コミカルに描かれているが、冷静に考えたら日常的な感覚を踏み外しているような集中力によって、周囲からも一目置かれているような存在になっている。

「だから私は推しました」も、「推しが武道館いってくれたら死ぬ」の、どちらも、「女性」が「女性」のアイドルを「推す」話だし、推しの矜持も感じるけれど、「推し、燃ゆ」と、どう違うかと考えると、「女性」が「男性」を「推す」という性別の違いだけではないようだ。

 この2作品が、大人になってから「推し」に出会うのとは違って、「推し、燃ゆ」の主人公は、自分の成長の糧として「推し」が存在している部分もあるので、良し悪しではなく、推しとの一体化の質が違うような気がする。

 フィクションとはいえ、すでに「推しネイティブ」といった存在が出てきていることを描いているようにも思えてくる。

熱狂と冷静の同居

「推し、燃ゆ」の主人公の、複数の行動には同時に適応できなかったりするような具体的な描写もあり、それには現代の医学的(もしくは社会的)な都合で診断名がつけられたりもしているようだ。

 そのことと直接関係があるかどうか分からないし、あまりにも「推す」ことが日常化しているせいなのか、元々の主人公の性格もあるのか、極端な熱狂と冷静が同居しているようにも感じられてくる。

 主人公の言葉として、「解釈」「認知」という、少し物事から距離を置いた表現が、おそらくは好んで選択されているし、「推し」の熱狂と同時に、かなり冷静な思考もあちこちに垣間見える。

 例えば、教室で、レポート提出の課題を忘れた時の振る舞い方について。

 前の席の男子がすらりと立ち上がって只野の机の前に行き、すませえん、忘れましたあと言う。周りがちょっとわらう。あたしもついて行ってすみません、忘れましたと言う。あたしはわらわれない。「おバカキャラ」とか「課題さぼりがちキャラ」になるには、へらへらした感じが、少し足りない。

 何より、「推す」ことについても。

 あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういう風に思ってないからなんだろう。推しが実際あたしを友好的に見てくれるかなんてわからないし、あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンション上がるけど。

 おおざっぱな言い方になり申し訳ないのだけど、この感じが現代なのかもしれない。

「坊ちゃん」

 その人の独特の生き方に巻き込まれるように読み進み、気がついたら、その思考に影響され、一気に読み終えるまで走らされる。この感じと、どんな作品が近いのかと思ったら、専門家の方や、読書家の方には怒られるかもしれないけれど、夏目漱石「坊ちゃん」と似ているように思った。

 橋本治が指摘していたように、「坊ちゃん」の主人公は、急にナイフで自分の指を切ってみたり、教室から飛び降りたりと、特に若い頃は極端な性格が際立っていて、そのことで、実はしなくてもいい苦労をするように思える。

「坊ちゃん」は、熱狂が見えやすいし、「推し、燃ゆ」は、冷静さが目立つところがあるけれど、他の人には理解されにくい自らの「プライド」に、何より本人が振り回されるような、その時代の人を描く、という意味でも共通点があるような気がする。

「推し」の色

 自分の欲望。内発的な何か。
 そんなことを、改めて確かめたい、考えたい人に、特にオススメできると思います。

 そして、読んでいて、気持ちのいい文章でもあると思いました。それは、まだそれほど知られていない新鮮な感覚を、文章のうまさで抵抗なく読ませてもらった、ということかもしれません。

 なお、カバーを外した本の装丁の色も、しおりの色も、おそらく主人公の「推し」の色になっていると思いますので、電子書籍だけではなく、単行本↑も、手に取りがいがあると、思います。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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