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言葉を考える②「不自然な?インデペンデンス」

 今回は、急に英語になり申し訳ないのですが、independenceと書いて、その意味は、「独立」とか「自立」と訳されています。この意味自体が、現代では、すごくプラスな意味で、さらには「independence day」は、アメリカにとっては7月4日の「独立記念日」でもあって、もしかしたら、日本で想像するよりも、このindependenceという言葉は、もっと高揚させるものかもしれません。「インデペデンス デイ」という映画もあったので、さらに、意味が大きいのだろうと想像できます。

 Independenceという単語を、もう少し細かく見れば、アタマにin があって、これは接頭辞とよばれ、それは、そのあとの単語の意味を変えるもの、と言われています。つまり、もともとは、dependenceであって、それは「依存」といった意味ですが、そこにinがついて、このin は漢字でいえば、不可能の、「不」といった意味合いなので、「依存」の否定として、「独立」や「自立」といった言葉の意味になるようです。

「インデペンデンス」は不自然?進化?

 ここから先は、語学については素人である人間の素朴な疑問なので、だから間違っているかもしれませんが、言葉として、最初に登場したのは、接頭辞がない方ではないかと思います。
 つまり、最初にdependenceがあって、それは「依存」という意味でもあって、そこに接頭辞として、inがついて、その意味を否定するかのように独立や自立の意味になった。

 つまり、繰り返しになりますが、言葉として最初にできたのは、接頭辞をつけられる前のdependenceではないでしょうか。

 ここからは、さらに推測に過ぎませんが、そして、言葉をどう考えるか、によって、それこそ分かれてくるところなのでしょうが、私自身は、最初に生まれた言葉のほうが「自然」だと思っています。
 ということなので、dependenceという、「依存」と訳される状態のほうが、人間にとっては、自然だから、先に生まれたのではないか、というように考えています。


 肉体的には弱い存在で、他の動物に生存を脅かされていたはずで、そこから生き残り、今は地球上を支配している、といっていい状況にまで人類が登り詰めたのは、知性という能力と、どんな時でも基本的には群れを作る社会的な動物だったから、といわれています。

 そこでは、「依存」という、お互いに支え合うようなことは、自然で必要なことのはずだから、そこでdependence「依存」という言葉が生まれたのではないでしょうか。

 だから、当初、independenceという言葉が生まれた時は、不自然な状況を指す言葉だったのではないでしょうか。それこそ、群れからはずれる、といった「孤立」に近いニュアンスだった可能性もあるように思います。

 ただ、independence「独立」や「自立」をすごく肯定的に捉えている人にとっては、その言葉の変化は、自然から不自然というよりは、「進化」に見えるかもしれません。
 野蛮な状態の時は、「依存」dependenceだが、人間が文明を進化させることによって、「独立」「自立」independenceが可能になったから、より望ましい状態、と考えれば、それは、とても素晴らしい言葉であり、概念でもあるように見えるのでは、と想像できます。

歴史の影響

 このあたりは、語源や、語学について分かっていないので、無知を振り回していたら、すみません。ただ、第2次世界大戦後、世界のトップのような国になってしまったアメリカ合衆国が「独立」「independence」に対して、その歴史上の出来事とともに、高揚感という非日常的な感情とともに、あまりにも支持し過ぎたがゆえに、元の「依存」の重要性までが、あまりにも軽くなってしまったように考えることは、可能ではないでしょうか。

 人間の生涯としても、「自立」independenceが実現できる時期は、実は、思ったより長くない、と見ることも可能です。生まれた時から何年間は、依存するしかなく、老いて衰えたときも、依存状態になる。怪我や病気によって「依存」を余儀なくされることもあるでしょう。それを「よくない状態」として規定をしてしまったら、生まれてくる新しい人への祝福も減る気がするし、怪我や病気という不運な状況も責められそうですし、長く生きていくことが、否定的なことになってしまう可能性まで出てきます。

 そういう意味では、今は、自己責任という言葉とともに、あまりにも「独立」「自立」independenceの価値のみが偏重されているように思います。もともとの言葉の発生順から考えたら、「依存」dependenceのほうが自然ではないか、と思うようになったのは、そんな時代の空気のせいもあります。

 おそらく、それ以外の言葉の接頭辞がついた場合は、接頭辞がついていない方が自然に近いように思えそうなのに、この「独立」や「自然」をあらわす言葉だけが、そうではない、と思えるのであれば、それは、言葉だけでなく、そうしたアメリカという国の、歴史的な価値観の影響も大きいように思います。

困った時は、お互いさま

 日本でいえば、「自立」や「独立」につながる言葉で、比較的、昔から使われているのは、「人に迷惑をかけない」ではないでしょうか。
 これは、independenceな言葉だと思います。

 ただ、基本的には、昔からの言い伝えは、たとえば「2度あることは3度ある」と同時に「3度目の正直」という言葉が共存しているように、それだけ、物事は単純ではないし、両義性があることを、示しているようにも思います。

こうした視点から考えると、
「人に迷惑をかけない」と同時に使われていたと思われるのが
「困った時は、お互いさま」であって、これは、dependence な言葉ではないでしょうか。

 「人に迷惑をかけない」と「困った時は、お互いさま」の両方が存在するのが、人間の自然で豊かな社会だと思ったほうが、少しは生きやすくなると感じるのは、気のせいでしょうか。

 それは、とても個人的な考えで、語学や歴史から見たら、間違っているかもしれませんが、「自立」や「独立」はできたほうがいいけれど、でも、人間にとっては、「依存」が自然というように考えたほうが、いいのでは、と思っています。少なくとも「独立」と「依存」が自然に共存できるほうが、社会が、もう少し楽になるような気はします。それを、dependenceとindependenceという単語の構造そのものも、教えてくれたように思いました。


『「助けてください」と言えたとき、人は自立している』と帯に書いている書籍もあります。これも、依存と自立は、どちらかに割り切るものではない、といったニュアンスも含まれているように思います。この書籍も、今回のことを考えるきっかけを作ってくれたように思います。


 ここまでの記事は、語学的にはまったく素人なので、もし違っていたら、すみませんが、ただ、こうしたことも考えなくてはいけないほど、あまりにも今は「自立偏重」になり過ぎていると、思っています。

 いつにもまして、無知と未熟を振り回してしまったように思いますが、もしかしたら、同じようなことを考えている人がいるのでは、と思ったので、こうして投稿することにしました。


(参考資料)


(他にも、いろいろと書いています↓。クリックして読んでもらえたら、うれしいです)。


言葉を考える①「ファーストフード」と「ファストフード」

読書感想 『21世紀の資本』 トマ・ピケティ 「200年分の事実」

AIに、人類が滅ぼされない方法を考える



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