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「写真美術館の3時間」--------- 『東京都写真美術館 3つの展覧会』。

 しばらくなんとなくバタバタしていて余裕がない毎日が続いて、一段落ついて、やっと乗り切れたと思って、そして、アートに触れたいと思った。

 ただ、あまり人がたくさんいる場所に行くのは、様々な感染症が怖かった。体調がそれほど好調なわけでもない。

 それで、いくつか行きたい場所を考えたのだけど、少し迷って、写真を見たいと思った。それは、このところ写真の展覧会にあまり行ってないせいもあった。


恵比寿ガーデンブレイス

 写真美術館があるのは、東京都の恵比寿ガーデンプレイスという場所だった。

 このエリアができたのは、随分と昔になるけれど、それでもそれができたときに、これまでとはちょっと違う場所ができた、という印象は覚えている。その中に写真を専門とした美術館がある、というのは、その違う場所、という感覚を支えている要素の一つだった。

 今振り返れば、その場所が誕生したのが1994年で、翌年に阪神淡路大震災とオウム真理教事件があって、確実に空気感が変わったのを覚えているから、その前年で、崩壊したとはいえ、まだバブルの余韻が残っている頃だったから、より華やかな印象でスタートできたのだと思える。

 それから、30年が経とうとしている。

 そのエリアでは、様々な変化があって、今は華やかさよりは、落ち着いた雰囲気になってきているから、今回も、人混みを避けたいときにも行く気持ちになれるのだけど、写真美術館が変わらずにあり続けるのは、この場所に、わかりにくいかもしれないけれど、特別な力を与えているような気がする。

 そう言いながらも、このガーデンプレイスに行く時は、恵比寿からも結構距離があって、隣の目黒からも歩いて行けるので、自宅からの路線を考えると、目黒で降りて歩いて、途中で自動車教習所などを横目に見ながら10分ほどかけて、たどりつくことの方が多い。

 そのほうが、大勢の人がいない、といったコロナ禍以来の習慣のようなものもあるのかもしれない。

写真美術館 2階ロビー

 道路を歩いて、あまりガーデンプレイスの気配もないのだけど、右に緩やかな広い坂道を上ると、その向こうに写真美術館の建物が見える。

 この目黒方面から来た方が、正面の入り口になるのだろうか。階段を上ると、2階から入ることになる。

 ここには展示室もあるけれど、ミュージアムショップもあって、パッと見ただけでも、魅力的な商品が並んでいるのも見えるけれど、とにかく展示を見てから、と思って、だけど、確か、この場所にはカフェがあって、鑑賞の合間に利用するにはよさそうだったけれど、もう丸いテーブルとイスが並んでいるだけになった。

 でも、こうして座る場所が多いのはありがたく、今日は平日の昼間なのに、若い人が多く、もしかしたら、学校の見学のような行事があるのだろうか、などと思ったりもするが、もっと空いていると思ったので、意外だった。

 ここに来る前に、どんな展覧会があるのかはサイトで確認をしていた。

 だから、今は3つの展覧会が開かれていて、その前に、2階のロビーには座り心地のいいソファーのようなイスもあるので、そこに座って、ここまで歩いてきたから、少し休んで、そして、どの順番で見るのかを考えて、最初は、地下1階の展示から観ようと決める。

 そこは観覧料が無料の展示だった。

『プリピクテ「HUMAN /人間」展』(〜2024.1.17)

 Prix Pictet(以下プリピクテ)は、写真と地球の持続可能性(サステナビリティ)に関する世界有数の賞です。2008年にピクテ・グループによって創設され、写真の力をつうじてサステナビリティという重要な問題に人々の関心を集めることを目的としています。今回で10回目となるプリピクテは、各回ごとにサステナビリティに関するテーマが設定されています。

 プリピクテ「HUMAN /人間」展では、ショートリストに選ばれた12人の卓越した写真家の作品が展示されます。作品はどれも、「HUMAN /人間」というテーマが提示するさまざまな問題を、人々の心に訴えかける強烈なイメージと共に探求するもので、最終選考に残った写真家たちは、それぞれ独自の方法で、私たちが共有する人間性と、人間と世界との関係性という大きな問題点を掘り下げています。今回展示される作品は、ドキュメンタリー、ポートレート、風景、光とプロセスの研究など多岐にわたり、扱うテーマも、先住民の苦境、紛争、幼少時代、経済構造の崩壊、人間の集落に残された産業開発の痕跡、犯罪組織による暴力、国境の土地、移民に至るまでさまざまです。それぞれの写真は、”地球の世話役"としての私たち人間の役割を冷静に評し、15年前に創設されて以来、プリピクテが重視してきた地球のサステナビリティという重大な問題に光を当てています。

 2023年9月、今回の世界巡回展の最初の開催地であるヴィクトリア&アルバート博物館で行われたオープニング・セレモニーでは、インドの写真家ガウリ・ギルがプリピクテ第10回「HUMAN /人間」を受賞したことが発表され、賞金10万スイスフランが授与されました。ギルはプリピクテの審査員たちによって、ショートリストに選出された12人の中から選ばれました。

 ギルの作品からは、コミュニティと一緒に活動し、コミュニティを通じて活動するという、彼女が「アクティブ・リスニング」と呼ぶ信念が強く感じられます。20年以上にわたり、彼女は北インド、ラジャスタン西部の砂漠地帯にあるコミュニティと親交を深め、ここ10年はマハラシュトラ州の先住民アーティストとたちとも交流してきました。

(「東京都写真美術館」サイトより)

 そのギルの作品は、このサイトに載せられている。

 少女が二人、一人が木の枝から逆さまにぶら下がっているので、ややトリッキーな印象を与えるが、基本的には、とてもオーソドックスな写真が並んでいる。

 他の11人も、世界の各地で、様々な問題について取り組み、ウクライナのことから、自宅の庭での出来事まで幅広い出来事を記録した写真で、それぞれ、違うテーマでありながらも、どれも必然性のようなものがあって、強い画面に思えた。

 こうした貴重で意味が重い作品を無料で見られるのは、さらにありがたい気持ちになった。

『即興 ホンマタカシ』(~2024.1.21)

 ホンマタカシの写真は、約20年前から少しずつ見ている。

 美術館で展示されていて、そのときは、郊外の子どもが無表情にこちらを見ている作品だった。

 その時代のことを表しているようで、新鮮に思えた。

 その後も、ただ目の前のものを撮る。でもなく、撮りたいものを撮影する。といった感覚的なものでもなく、写真とは何か。今の時代に写真は必要か。そういった知的な関心を優先させる、かなり批評的な視点の写真家だと思ってきた。

 それがすべてではないだろうし、全部を理解しているとは思わないけれど、写真史というものを考えたときに、あと何十年か経ってから、より重要な写真家になるとは思っていた。

 それでも、この人だけの展覧会を見るには、どうも、少しためらってしまうのだけど、ラジオを聴いていたら、ホンマタカシが出演していて、意外でもあったのだけど、今回の展覧会のことも告知していて、その行動によって、やっぱり見ようと思った。

 地下一階の展示を見て、目黒駅から歩いてきたせいか、気温が低いのにやたらと汗をかいて、このままだと冷えてカゼをひきそうだったので、トイレで着替えてから、2階に上る。エレベーターもあるのだけど、ボタンを押してから到着するまで、やたらと時間がかかるので階段を使う。

 わりと、密室感のある小さめのらせん階段を上って、2階に行き、チケットを買おうと思ったら、1階のチケット売り場でないと購入できません、と言われる。そういう表示はなかったと思う。

 また1階に戻り、2つの展覧会のチケットを購入したら、少し割引になっていて、また2階に戻って、会場に入る。入り口が、通常の展覧会とは逆になっていて、そこに順路のように矢印があった。

 最初に会場に入ると、ぼんやりした映像が並んでいた。

 数字も写っていたりする。

 何を写しているか、わからない。

 そのうちに、建築物や、都市を撮影しているのが分かったのだけど、どれもはっきりと写っていなくて、とても古い画像にも見えた。

 暗い部屋があって、そこの窓をのぞくと「9」が見える。

 展示室に大きく都市が撮影されていて、そこの部屋には鏡がいくつもぶら下がっている。

 最後の展示室には、富士山の写真もある。

 暗い部屋は、会場の真ん中にあるようで、どの小さな窓から見ても「9」のようだった。中には「Revolution」もあったかもしれない。

(※見出し写真は、このホンマタカシの展示の光景です)。

解説

 たぶん、これは何か、これまでにない試みなのだろうと思ったが、やっぱりなんだかわからなかった。

 それで、チラシと一緒にもらった「東京都写真美術館ニュース 別冊ニャイズvol.00000155」を、展示室から出て、グレーのソファーに座って、読んだ、というよりも見た。

 それはカレー沢薫のマンガだった。

(こうした作品↓を描いている作家さんのようです)。

 この「別冊ニャイズ」によって、この「即興ホンマタカシ」展で、何をしているのかは、分かった。とてもありがたい解説だった。

 建物の一室をピンホールカメラのようにすると、外の風景がさかさまの写真になる、ということらしい。だから、そういう逆立ちしたような建物の写真が多かったことと、部屋を、しかも最も古典的であろうピンホールカメラの原理で撮影するのだから、画素数といったものから考えたら、粗くなって当然だった。

 このエピソードを、何年か前に、どこかで読んだか、聞いたことがあるかもしれない記憶がうっすらと蘇るが、その感覚まで、この作品の延長のようだった。

 そして、そのホンマの試みは、今回も写真そのものを問うような作品であるのは、こうした解説を読んで、やっと少し分かった。

 さらには、テーマが即興で、偶然性を生かして、ネガフィルムが空港のX線検査のために一部変色してしまったことなどもそのまま使用したり、会場は通常とは逆回りで、その矢印をフライヤーを作家本人が折って制作したということも、この「別冊ニャイズ」で知った。

 そして、このやたらと現れる「9」も、ビートルズの「Revolution 9」へのオマージュだったり、会場の真ん中にある暗い部屋に楽器が見えたのだけど、そこにあるピアノを、ホンマタカシが訪れて演奏することもあると知った。

 そうしたさまざまな情報や意味合いを少しは理解した上で、時間を置いて、もう一度回った。

 部屋をカメラにして撮影したのか、と思うと、その写真の意味は違ってきたように頭では分かったけれど、それでも、写真から受ける感じは、それほど変わらなかった。

 ただ、こうした情報を知らないままよりも、はるかに多くのことを考えられた。やはり、知性に訴えかける写真家、ということなのだろうと、改めて思えた。

『「見るまえに跳べ」 日本の新進作家vol.20』(~2024.1.21)

 そこから、もう1階、階段を登って、次の企画の展覧会に向かって歩く。

 自分の中では、この企画を目標にしてきた部分があって、「日本の新進作家」というシリーズで、こうして、新しい写真家で展覧会を続けているのは、とても意味があるし、だから、写真美術館の存在意義がある、と思っているせいもある。

 入る前に、撮影はできますが、一部禁止のところがあります。それに暗幕がありますので、それをかき分けて、どんどん次に行ってください、といったことをスタッフに言われて、写真の展示で、そういうことを言われるのも珍しいと思って、最初の展示室へ入ったら、そうした注意事項を言われるのも納得がいくような気がした。

 壁には、写真を大きく伸ばし、それを短冊のように切って、展示室の壁いっぱいに、それが貼り付けられ、壁の面が見えなくなっている。写真が降り注いでいるような気がした。それは、そこに来ないと分からないと思われる雰囲気だった、

 その中に、いわゆる人物写真が並んでいる。

 その人たちが、どういう人間なのか、それは最初の少し長いキャプションで説明されている。

 そこには、この展示室の写真を撮影をした淵上裕太が生まれた場所や、その後の生い立ち。大学を卒業し、車の整備士として働き始め、知り合った女性と結婚する未来を夢見ていたのに、その女性が姿を消したことから、仕事を辞め、写真の専門学校に通い始め、その頃から被写体になってもらっていたのは路上で知り合った人たちで、今は上野公園でさまざまな人を撮影している。

 この展示室にあるのは、上野公園で撮影された人たちの写真だった。

 それは、みんなこちらをまっすぐにみていて、その作品を鑑賞している人間も、見られていたり、にらまれていたり、ということではなくて、写真の前に立つと、その人と向き合っているような気持ちになれる。

 この展示室のキャプションも、この写真がここに並んでいる必然性につながっているし、壁を埋め尽くす細く切られた写真も、その中でこそ、一枚、一枚の人物写真も生きているような気がするから、今は、写真の展示も、その空間も含めて考えないといけない時代になったのだと思った。

 それは、写真は、以前よりも日常にあふれるようになってからも年月を重ねてしまったのだから、わざわざ、その場所に来ないと味わえないような展示をすることが、これからは常識になっていくのかもしれない。

 これも「別冊ニャイズ vol.00000154」によると、「作家から予想のナナメ上をいく提案も受けました。諸事情により諦めた内容もありますがほぼ作家たちの意向通りです」というコメントもあったので、写真家自身の発想ということを知ると、なんだか心強く、それこそ「将来性」という言葉が似合うようなことだと思った。

ウクライナ

 そこから、暗幕を通って、暗い部屋に進む。

 その部屋の前の壁には、「戦争だから」という手描きの大きな文字があった。

 夢無子。『戦争だから、結婚しよう』

 2022年。ロシアの侵攻を受けたウクライナに2度に渡って現地に行って撮影した記録だった。

 小さめの映画館くらいのスクリーンに、その時の写真と、さらには、作家の思いが言葉として、そこに並べられていく。そして、観客は、ヘッドフォンをつけて、ウクライナの現地の音を聴き続けながら、そこにいる。

 写真や、作家の現地での、後ろめたさや怖さも含めての率直な言葉や、写真や、さらには耳からの音によって、安全な場所にいる観客にも、なんともいえない不安定な怖さが伝わってくる。

 こうした大きいテーマを写真家が扱うことや、外の国の人間が現地に行くことに対して、色々な思いも浮かぶし、さまざまな批判もされそうだけど、でも、ずっとその部屋にいて、2つのスクリーンに映し出される夢無子の作品を見続けていた。

 観客は、とても安全な場所で、こうした作品に接することができるのは作家のおかげなのは間違いなかった。そして、やはり、とても強い印象が残った。

写真の展示

 そこから、さらに3人の写真家の作品を見た。

 それぞれの展示が、かなり明確に分かれていて、山上新平の展示室も、照明を落として、作品に集中できるようにしていたし、星玄人は、西成や新宿や横浜など、普段生活していると、あまり接しないような人たちの姿を撮影していて、さらには、自身が母親から受け継いだ喫茶店を今も経営しているらしいこと、その店自体が被写体になっていることに、急に必然性のようなものも迫ってくるような気もしたのは、それを情報として知ったからなのか。観客としての自分自身の気持ちを振り返ったりもできた。

 そのあたりも含めて、山上も、も、観客として知らない世界が、そこに、ただ収まっているようにはしないように、できたら体験に近いものになるように展示しているようにも思えた。

 展示の最後は、フライヤーのメインビジュアルでもある うつゆみこの作品だった。

 合成かと思った「鳥人間」のような写真は、再び「別冊ニャイズ」によると、作者が珍しい動物を飼っている人に頼んでいるらしいので、この動物たちの写真はCGのようなものではないらしい。といったことを知ると、やっぱり少し見方が変わる。

 展示室の中には、小屋のようなものが設置されていて、そこにビーズののれんのようなものをくぐって入ると、一つ一つを丁寧に鑑賞すると言うよりは、その世界に入らせてもらう、というような、やはり体験に近いものになっていたように思い、ちょっと楽しくもなっていて、奈良美智も、こうした小屋のような作品があったことも思い出す。

 
 こうして別の作家のことを並べるのは失礼かもしれないけれど、今回の5人の写真家の展示を見て、特に写真は「展覧会を見なくても写真集を見ればいいや」と思ってしまいがちなのだけど、これだけ写真が日常になった現代では、展覧会をわざわざ見にくる意味が、以前よりもよりなくなってきているのは確実なことを前提に、とにかく、ここに来る価値のようなものを、5人ともきちんと考えているように思えた。

 それが、美術館側からすれば「ナナメ上をいく提案」に感じたのかもしれないけれど、観客としては、そうた作家の提案によって、来てよかったと思えた。


 図書館も含めて3時間は、この写真美術館にいた。本当はもう少しゆっくりして、それぞれの展示を2回だけではなく、もっと見たかったのだけど、個人的に通勤ラッシュの満員電車が怖いので、その前に帰ろうと思ってしまった。

 写真美術館を出たら、夕焼けの色がいつもよりもきれいだった。



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