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本に繋がる全てのものへ

このエッセイは昨秋、noteを始める前に公募用(本や読書がテーマ)に書いたものです。
落選でしたが、初めて心に留まっている大切な想いを形にしてみよう、と決心して書いた文章でした。

『私と読書』を考えた時に、大きな影響を受けた人がいます。
瑛さんという、30数才年上だった友人は5年前、逝ってしまいましたが、このエッセイの中で私の心の中で今も確かに存在しています。
彼に読書の幅を広げていただきました。

字数制限のため書き切れなかったエピソードもありますが、リライトせずに全文をnoteに載せたいと思います。

本にまつわる小さな物語について、皆さまに読んで頂けたら幸いです。


読書や本について何かを想ったとき、ほぼ条件反射のように思い出す人がいる。
今は亡きその人は、友人の叔父で私が二十代半ばの頃に出逢った。

「本好きなあなたに紹介したい人がいる」と友人が繋いでくれたのが、その後20年近く続く交友関係の始まりだった。
出逢いの記憶はもう朧気なのだが、今でもよく思い出すのは、私が帰省するたびに三人で会った日々のことだ。
彼だけかなり年が離れていたが緩やかな連帯感のようなものが、私達三人を束ねていた。

今となってみればその空気感は、本と向き合う時の優しく穏やかな気配とどこか重なる。

彼は音楽や映画にも造詣が深かったが、とりわけ本というものに対して深い愛情を持っている人だった。また折に触れ蔵書から本を贈ってくれ、それらは後に移動する先のささやかな私の本棚に必ず並べられた。

「アフリカが好きならこの本は、絶対に読んでないとアカンよ」

と、最初に贈ってくれた「アフリカ農場」は私にとってかけがえのない一冊になった。

7年前ケニアで働く女友達を訪ねた折に、この本の著者であるカレン・ブリクセンの博物館へ行く機会に恵まれた。
ブリクセンが経営していたコーヒー農園の家がそのまま保存され博物館になっているのだ。

そのときに一貫して私のなかにあったのは、この場に立つべき人は他に存在する、という想いだった。すでに高齢でその上、少し前に大病を患い、死の淵を彷徨った彼がこの遠いケニアの地に立つことは、今後も決してないだろう。
彼なら今どういう気持ちでここに立ち何を見ようとするのかを想像した。

映画化もされた有名な物語の舞台が、時を超えて残されている場所に、代理人のように自分が立っていること。そしてその風景に二重の目線が重なるような、既視感にも似た不思議な感覚が離れなかった。

いつの頃からか私は「ここに居ない誰かを無意識に想う」ことを、本を読みながらするようになっていた。

良い本とは、心を打つ本とも言えるが私にとってのそれは、ページを開き文字を追いながら、そこに他者の気配を感じる時である。
かつてこの文章を読んだ人が、確かに存在したということ。本を通して繋がる無数の人との交流は、ある悩みから私を救うことにもなった。

 あるとき図書館に来ていた私は、圧倒的な数の本に眩暈を覚え、突然深い虚無感に捉えられたことに動揺した。

 「一体自分がこの人生で読める本は果たして何冊なのだろうか・・・」

このたった一つの棚に並ぶ本すら一冊も読むことなく、私の人生は過ぎてしまうのだろう。そして日々膨大な数の本が出版され続けている。

決して追いつくことができない、という焦りと虚しさ。それは圧倒的な孤独感とも言えるものだった。

どんなに一生懸命読んだとしても、この図書館にある何千、何万分の一にも満たないのなら、そこになんの意味や価値があるのだろうか。
 
「読書量」という数値的なものに囚われ、本を読む意味を見失った私を救ってくれたのは、本の中で出逢う他者の気配だった。

読書とは、知識を収集するためだけでも、より多くの情報に触れるためだけの手段でもない。それは引き寄せられるように手に取った本が、かけがえのない人生の一冊になることにも示唆される。

「本に呼ばれる」とは何だろう?と考えたとき、本そのものが持つ強い力を想う。それは、人との出逢いと同じく「出逢うべき時に出逢っていくものである」とも言えるかもしれない。

私達は、本を通して見知らぬ他者にも出逢っていくに違いない。それは過去にそのページを通り過ぎた人々の影かもしれないし、いつの日かこの本と向き合う誰かの気配なのかもしれない。

紙面は究極の二次元であるはずなのに、一冊の本の厚みは、時空を超えるパラレルワールドやタイムマシーンでもあるということ。それを知った今、どんな大きな図書館へ行こうとも、あの時のような孤独に再び陥ることはないだろう。

本を読む意味とは、過ぎ去った時間や人生に再び逢える豊饒さに触れることでもあると、私は今感じている。
本棚に並ぶ彼の蔵書を読めば、若かりし日にその本と向き合った彼の気配を感じるだろう。

きっとそのなかで、遥かケニアの地にもあの人は立っているに違いない。



ンゴング山の麓、ナイバシャにあるカレン・ブリクセンが住んだ家
玄関ポーチに飾られたパネル、若き日のカレン
彼女は油絵も描いた(両脇のポスターはカレンが描いた人物画)
1917年



《あとがき》

このエッセイに書き切れなかったことを少し。

ブリクセン博物館を訪れた翌年が、名作映画『愛と哀しみの果て』から30年の節目の年で、博物館全体が何かウキウキした印象でした。
オンタイムでは観ていませんが、中学生の頃にビデオを借りて見た時の感動を思い出しました。

サバンナでメリル・ストリープの髪をロバート・レッドフォードが洗ってあげるシーン...あれから30年が過ぎたのだと思いました。

売店で買った、カレンのアフリカ時代の写真のポストカードで、ナイロビから瑛さんに手紙を送りました。
それは出発前から決めていたことでした。

ひと月以上かかって、無事に日本に着いたのはクリスマスも近い頃だったそうです。

“病気療養であまり外にも出れず、天気も悪くって塞ぎがちになっていたある日、アフリカから手紙が届きました。驚きと嬉しさで部屋までがパッと明るくなるようなそんな気持ちでした”

そんな風に書かれていたと思います。

瑛さんは何年にも渡り、ドイツにマメに手紙をくれていましたが、私は忙しさにかまけて毎回は返信をしていませんでした。
定期的に来る手紙は、彼の近況や読んでいる本について、映画、時折クラッシックコンサートに行った...という内容でした。
いつもの不精のお詫びに、アフリカから手紙を送れたことは私にとってもとても良い事でした。


「1回は時間を作ってもらわんと!」と、帰国を伝えるとそう言ってくれ、必ず1、2回は会い色々な話をしました。
思えば、どの女友達よりも毎度毎度キチンと会っていたと思います。

ある夜の呑み会後、夜道を歩きながら酔いに任せて少し興奮気味に、けれど朗らかに話された言葉があります。

独りの寂しさなんて、そんなん当たり前やなぁ
寂しいなんて当たり前や
そんなん誰だってそうやと思うよ

そういう寂しさなんて、こう踏みつけてやっていかなぁな!

彼はある事情により一生独身を貫きました。
今、私の手元にある手紙にはこう綴られています。

「(前略)私から見て、既婚者も独身者も、それぞれに大へんで、それぞれの良さがあるので、どちらでもいいように思います。私自身はこれでよかった、と断言できます。」


友人と3人で会うこともありましたが、みんなの予定が合い辛い時や、2回目は始めからふたりで会っていました。
友人からは「私の叔父さんなのに、なんなん?!」と笑いながらもチョッピリ妬まれることも...

「瑛さん、ともちゃんのこと好きやからなぁ...」

30数年の年齢差がありましたし、彼から異性を匂わせる言動を感じた事はただの一度もありませんでした。
ただあの頃を思い返したときに、自惚れかも知れませんが、きっと好いていてくれたのだろうな...と思います。
純粋に「会いたい」と真っ直ぐに言い続けてくださった事に、今心から感謝しています。


3人での日帰り旅行の帰り道、珍しく饒舌に話してくれたことを、あの頃よりも年を重ねた今、幾度もその意味を思い返すことがあります。

同じ景色を見ていてもきっとボクは、走る列車の後ろに乗って流れ去る景色を見てるんだ。
後ろ向きに。

でもキミたちは列車の前で、これから出逢う景色を見てるんだね。


帰国するたびに蔵書から贈ってくれた本たち


リベリアにもケニアにも持参した、最初に贈ってもらった愛読書 
原題:アウト オブ アフリカは映画
「愛と哀しみの果て」の原作


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