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私と体重との危うい関係。


只今、絶賛ダイエット中でございます。

ジワジワ肥える

私は身長が163.5㎝で、マイベスト体重は58キロくらいだと思っています。
筋肉質で骨も太いのでそのくらいの体重で十分スッキリ見えるのですが、今はなんと・・・64.5キロくらいあります。先日まで66Kgいっていました。。

昨年の9月頃から体重は増加傾向で、そのままクリスマスシーズンに突入し、知らぬうちに体重計に乗ることもなくなり、ハタと気がついた時には体重が66キロになっていました。

人は1キロ太ると自分で気がつき、3キロ太ると他人に気づかれるのだそうです。
それなのに、私は6キロ以上半年かけて増えて行ったのに全然気がつきませんでした。
いえ、気がつかないふりをしていました。

「人間は自分の見たいものを見る」生き物ですが、自宅にあるよく見る鏡もアテにしてはいけないのです。
なぜならその鏡はもう客観的に映す機能を失っている可能性があるからです。

家の鏡は何割り増しかで映してくれるのです。

鏡に魔法でもかかってしまうのでしょうか。

ちょうど1年前も体重を減らすのに躍起になっていたはずでした。
間食も控え、運動を小まめにして60キロを切るところまでは行ったと記憶しています。
それなのに、1年後には逆戻りどころかもっと肥えているとは・・・。

思春期の悲哀

思えば思春期の頃から体重には難儀しました。

小学校高学年まで通っていたスイミングを止めたのと、第二次性徴が重なってみるみる肥てゆきました。

父母は痩せ体型で若かりし頃は、二人合わせて100キロくらいだったそうです。
(100㌔カップルと言っていました)

特に母とは、親子とは思えないほど体型に違いがあります。思春期の頃、一緒にお風呂に入るたびに、

「ほんまに私から生まれた娘とは思われへんわぁ・・・」

と私の胸あたりを眺めて母はよく呟いていました。

身長はほぼ同じですが、母はスリムで華奢。
私は父をすっ飛ばし、早死にした祖父に似たようで、胸板も厚くボイン華奢とは程遠いという母とは全く別系統の体型に出来上がりました。

ちなみに、若かりし頃の父のタイプはエリザベス・テイラーだったらしく、華やかでセクシーな女性が好きだったようですが、母はオードリー・ヘップバーン系の女性ひと
そんな母の好みはガッチリマッチョタイプだったので、お互いに真反対のタイプを選ぶところはよく似ていたのだと思います。

思春期の頃の体重にまつわる哀しい話はたくさんありますが、忘れられない出来事を二つnoteに記しておきたいと思います。
思い出すと今でも胸の辺りがチクチクするので、書いて皆さんに読んでいただければ、当時の思いもきっと成仏する気がします。

一つ目、「コロの勘違い

小学4年生の頃から外飼いをしていた、コロという雑種の犬がいました。
洋犬とのミックスで長毛気味で子犬の頃からコロコロした体型のまま成犬になり、上から見ると四角形をしていました。

ある日、伯母が遊びに来た時に庭にいたコロがいやに激しく尻尾を振って大喜びをしていたそうで、室内にいる母たちは不思議に思ったそうです。

コロがあまり親しくない人を見て歓びの仕草をすることはなかったので、しばらく「珍しいわねぇ」とコロを見ながら伯母達は談笑を続けたそうです。
けれどあまりにもしつこく尻尾を振って喜びをアピールし続ける姿を見て、

「あぁ娘と勘違いしてる・・・」と気がついたそうです。

あまりよくない犬の視力を持ってして、体型だけでコロは伯母と一番可愛がっていた飼い主の私を取り違えたようです。

当時の伯母はもう十分にオバサンでお世辞にも美しい体型とは言い難かったので、その話を聞かされてガックリしました。

けれども間違ったのは自分の愛犬なのですから、やり場のないモヤモヤは残ったまま、また次回の伯母訪問時に同じことが起こるという喜劇(私的に悲劇)が起こりました。
そんなコロも十分に肥満犬なのでした。

二つ目、「スカートどこで買ってるの?

小学6年生の時に同じクラスだった“しまちゃん”はかなりポッチャリ体型でした。
音楽会の準備で舞台裏に行ったときに、しまちゃんがコッソリしかし唐突に聞いてきました。
その日履いていたスカートは祖母の手作りだったのでその様に伝えるとあからさまにガッカリした表情を浮かべました。

帰宅し母に、

「ねえねえ、今日ねしまちゃんからスカートどこで買ったん?って言われてん。そんなにこのスカート素敵なんかな?でもおばあちゃんが作ったって言ったらがっかりしてたわ、なんでやろ?」

この報告を聞いた母はしばらく考えこんだ後、笑い出し如何にも残酷なことを言いました。

「それって太った子用のスカートをどこで買ったのか知りたかったんちゃう?」

私のなかでしまちゃんと自分は決して同ラインにいませんでした。
体型的に全然違う!と自負していましたが、そう思っていたのは私だけで、どうやらしまちゃんは同族意識を持ってくれていたようです。

自分に寄せてもらって嬉しくない、と感じた初めての経験でした。

オバサンライン

自分のなかで超えたらマズイというライン、それはたぶん62㎏です。

それを超えるととたんにオバちゃん臭くなる。
体感的にこのラインを越えるか越えないかで、視覚的に全く印象が違ってきます。

幸い母と違って胸が豊かですが、胸が大きいと太ると上半身がモッサリした残念な印象になります。

ここまで体重が増えてしまった言い訳としては、昨夏に右足を酷く捻ってしまいジョギングができなくなってしまったことです。
近くにスイミングプールがありますがこの流行禍で閉まっているか、陰性証明書を取らなくては入れない時期も長く水泳もできませんでした。

末っ子を産んだ翌年に、筋トレとジョギング、水泳でかなり体重を絞ったことがありますが(57㎏までいった)、その時はHIITも取り入れかなりストイックに減量に挑みました。

でも減量そのものより、その体重を維持することの方が何倍も難しい。

ある統計によれば減量した後、その体重を3年後も維持できているのは全体の2割以下だそうです。
そう言われれば私も3年以上維持できませんでした。

もうあの時のように57㎏を目指そうなんて思っていません。健康的で維持が可能な体型を目指して、生活習慣自体を見直さなくては結局同じことの繰り返しでしょう。

若いころから太りやすい体質を恨めしく思っていましたが、村上春樹の「走ることことについて語るときに僕の語ること」に書いてあった一文を読み考えが変わりました。

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僕は何もしないで放っておくとじわじわ太っていく体質である。

・・・しかし考えてみれば、そういう太りやすい体質に生まれたことは、かえって幸運だったかもしれない。

つまり僕の場合、体重を増やさないために、毎日ハードに運動をし、食事に留意し、節制しなくてはならない。

しんどい人生だ。

しかしそのような努力を怠りなく続けていると、代謝が高い水準で保たれ、結果的には身体は健康になり、頑丈になっていく。
走ることことについて語るときに僕の語ること


だから最後の「絶賛ダイエット中」


何のために痩せるのか?という目的に対して、上記のことともう一つ「美意識」を上げたいです。

サウナによく行きますがが、ドイツサウナは男女混合スッポンポンの世界です。
自分の見苦しい裸体を晒したくないし、鏡に映る自分を見てガッカリするのは、日常のなかで大きなストレスになる事に気が付きました。
節制もストレスですが、醜い自分を見続ける方がストレス。。

幸い足首の痛みも完全に無くなったので、ジョギングを再開し、大好きな白米も減らして良く噛んで食べるようにしています。

60㎏になれたらnote でご報告したいと思います。

だれか一緒にダイエットに励みませんか?
心のダイエット仲間募集します (笑)

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