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2023年のこと、そして感謝と。

2023年は大きな節目の年でした。

17年間の支援の終わり

18年前にリベリアで出逢い、2006年から支援を続けていたマーサが日本の大学院を卒業することで、私にとって大きな安堵を伴う節目の年になるなぁ...と、2月くらいから漠然と、しかし強く感じていました。
卒業式の日に30歳になった彼女を、2006年初めて治療のために日本に連れてきた時、私は同じ30歳だったのでした。
この符号に、なにか運命の輪が廻っている様な不思議な感覚になりました。

17年という振り返れば途方もなく感じる時間が過ぎて何かがちゃんと終わった事が、今の私の人生の推進力になったのだと、今年が終わろうとしているなか感じています。

2月に断食道場で10日間の断食をして、生まれて初めてヒプノセラピーを受け心身ともに大きな変化がありました。
断食を経験したことで、食への向き合い方が劇的に変わることになりました。
子供の頃からストレスで過食する傾向にあり、年齢と共に体重コントロールができず、始終ダイエットを続けていた生活が変わりました。
一日に摂取する量が目に見えて減り、何が今の自分にとって適量かが実感で解るようになりました。
定期的に一日断食も続けながら(月3〜4回)ベスト体重に到達できました。このベストだと感じる体重は、2014年に末の子の断乳後に行った減量と運動で一度体重が減った時期を除いて、20年くらい到達できずにいました。もう年齢的に無理なのかも知れないと諦めかけていましたが、何歳であろうが、癖や思い込みを正せばベストだと思う体重に行けることが分かり自信に繋がりました。

ヒプノセラピーについて

ヒプノセラピーはその体験が大きかったが故に、なかなか記事にすることができないままでいます。
医療従事者でもあったのでヒプノセラピーについてはかなり前から知識として断片的に知っていましたが、実際の経験は言葉を超えるものでした。
今まで自分が「自分だ」と思っていたものがとても浅い領域のものに限定されていたこと、人間の精神世界 無意識の世界が遥か深い所にまで達し存在するのだということを知る経験でした。

まさに自己に広がる深海への旅であり、そこは他者とさえも繋がれる宇宙的な世界でもあるのだということ。セラピーの最後にみた光の世界は「愛していきなさい」と私に語りかけてきました。
それは他者を、そして自分を愛していくということなのだと体感的に理解できました。
今までの人生では生き急ぐように“やらなければならない”事に邁進し、その想いが私をここまで連れて来ました。

アフリカへ行く夢
そこで出逢った夫とのドイツでの生活
親になること

全てを叶えてしまいこの後何を目標に生きていけばいいのか...それが見えなくなって足掻いていたウツの時代。その5年の時間の後に見え始めた世界を私はやはり必死に泳いで来た気がします。

今はただ、もっと人生を味わい周りにいる人たち、自分が人生で出逢っていく人たちを愛して、そして自分自身を自分で愛していく時間だなぁと思います。その中にnoteでの出逢いも含まれ、noteの世界から見えるものが、たしかに在るのだと実感しています。

補習校の理事長になる

5月には日本語補習校の理事長になってしまいました。これは予想外のことで、私にとっては大袈裟ではなく清水の舞台から飛び降りるような覚悟でした。
思えば今まで何かのトップの立場になったことはなく、いつもどこかでほかの人に最後の責任を任せていたので、自分がその責任を持つ立場になったことは、私にとってはとても大きなドイツでの生活の変化でもありました。

保護者で運営される日本語補習校には長女が3歳から通い始め、これからもまだ5年長ければ8年以上通うことになるかと思います。
理事会に入っての仕事は完全ボランティアですが、その域を超えての仕事や責務があり現在も来年度の人事の仕事がたくさん控えています。
11月くらいから来年度の人事について葛藤することが多々あり、人事課のサラリーマンのような状態になっています。12月は思わぬトラブルもあり心が休まらないと思う時間もありました。

2年の任期はまだ始まったばかり、ちゃんと出来るのか...と不安も多々有りますが、今まで経験した事のない数々の事柄は、それ故に貴重なはずだ...と自分に言い聞かせています。

得たもの失ったもの

夏に離婚しました。

4年前の2019年に夫の再度の不倫問題から別居生活が始まりました。それに対しての終止符が打たれた事になりました。
離婚届が受理された時、この瞬間をよく覚えておきたいと思いました。涙が込み上げて来たその時の気持ちを階段を降りながら独り噛み締めました。

たくさんのたくさんのことが在った関係の終わりが悲しくない訳がない、泣いて当然だから...

静かで呆気なく、しかし大きな実感を伴ったその時をきっと私は忘れないと思います。
それは“良い記憶”“悪い記憶”というカテゴライズされない、ただ在るが儘の瞬間、本当の終止符が打たれた瞬間でした。

元夫との間にあった葛藤や心の闘いについて書き残しておきたいという気持ちから2021年の秋にnoteを始めました。
当初は自分の中だけのこと、できるなら自分が経験したことを書き記すことでなにか人の役に立てたらいいな、という程度でした。
けれどそこから始まったnoteの世界を通して私が得たものは、想像を遥かに超える豊かで深い流れとなり、自分自身の人生もその流れのなかで大きく動き、流れていくことになりました。
noteが人間関係の幅を大きく広げ、未知の世界に生きる他者の人生の手触りを感じ、中にはリアルで出逢うことができた方々もおられます。

つくづく思うのは、人間の小さな頭で考えられること、予測できることは、ほんの限定的なものだということ。本当リアルの人生は予想もつかない方法で流れ、広がっていくものだという事をここまで生きてきて、初めて知ることが出来ました。

noteの記事から知ることができる人達の生活を、自分の生きる世界から眺め、励まされ、時には背中を押されるような応援の力を感じることがあります。
インターネットで繋がる世界は、決してリアルではなく架空の産物であり虚無的なのもの、という私の認識は鮮やかに覆され「リアリティ」というものが自分の身の回りの世界だけではないという事、より厚みを持って世界を捉えることができるようになりました。

私は多くを得て多くを失ったと思います。

それは生きていく以上誰しもが経験していくことでもあるかと思います。得るものの多さに感謝し、失ったことにすら“ありがとう”と言えるようなりつつあります。

今秋に、ある仕事を通し人の死に間近に関わることになりました。
それは数年の間、熟考し関わることに決めた世界ですが、看護師として自分ができる範囲でこれからも関わっていきたいと考えています。

長い長い時間、私はなぜドイツに居るのか?という疑問と共に生きていました。
それは自分の伴侶がドイツ人であっても、自分の3人もの子供がこの国の血を引くもの者であっても、なお消えていかない問いでした。
ずっと根無し草のような、旅の中継地点にいるような心許ない思いが拭えず、何をしても私の中に根深く居座っていました。
今はこの問いへの答えが見えつつあり、大きな必然に導かれて此処に居るのではないか...と感じています。
きっとこれから生きていく中でその答えを見つけて行くことが、これからのチャレンジであり愉しみである気がしています。

2024年について

noteを始めて3年目の来年は、書きかけで下書きに仕舞ったままの記事を、丁寧に言葉に綴り立ち上げていくことを、ひとつの目標にしていきたいと思っています。
現実には大き過ぎて複雑で書けないことも有りますが、私にとって書くことは快復しながら新しい自分を見つけていく事でもあります。
人間の魂は死ぬまで成長したいと望むものであり、私は他者とそして自分自身と出逢っていきたい、それが自分の生きている願い、目標なのではないか、と思っています。

このnoteというリアリティー溢れる世界の中で自分を見つめる場所を持てることに深く感謝しています。
子供の時に私が切望していたものは「親からの眼差し」でした。愛されていなかった訳ではなかったと、今になって理解できてもその渇望感はずっと胸にあった気がします。noteがとても居心地が良く感じるのは、この世界でその温かな眼差しに多く出逢うからかも知れません。

それぞれの人生を互いに帆走する者として、私自身がその一員でいられること。深い感謝の念をここに書き記し、新しい年に向かい合っていきたいと願っています。
来年は年女でもあり、龍のように上昇気流を掴み生きていけたらとも思います。

2023年、本当にありがとうございました。
どうぞこれからもよろしくお願いします。


ドイツから愛と感謝をこめて。






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