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地獄でなぜ悪い

以前、友人が不意に、
「“指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます”、ってあるじゃん。あれ私ずっと、ハリセンボン飲ます、だと思っていたんだよね」
と言い始めたことがあった。
その場にいた友人たちは、そのカミングアウトに、へぇそうなんだ、と特段面白みのなさそうな雰囲気で、適当な相槌を打っていた。しかし私は、心拍数が急に上がるのを感じていた。

なぜならそれまで私はその部分を、何の疑問も持たず、「針千本伸ばす」と歌っていたからだ。針を千本も伸ばすなんて、相当地道な作業であるし、そもそも針という、細くて伸びにくい素材を伸ばすのには、かなりの労力がかかるだろう。そのため、約束を破った末路には、地獄のように地味な作業が待っている、という認識だった。そして当然、それが世の共通認識でもあると、思い込んでいたのである。

それがここにきて、私が今まで「指切りげんまん」をしてきた友人たちが、一方的に私に針を千本飲むことを強要していたことが判明したのである。彼らは、約束を破った際には、地味な作業を延々にすることを誓いながら、私には針を飲まそうとしていたのである。しかも千本だ。なんとか言い逃れをし、粉々に砕いて針を粉末状にできたとしても、何らかの中毒を起こしそうな量である。それにしてもその内容の割に「針千本の〜ます!」はあまりにも軽快なリズムである。これで万が一にも約束を守れなかった場合、「針千本、飲ますって言ったよね?」などと責められ、50本くらいの針の束を20回に分けて飲まされるのだ。間違いなく地獄である。私が、「針を千本を伸ばす際にはやはりトンカチの使用も致し方ない」などと悠長に考えている間に、そのようなことを言われていたことに愕然とするばかりであった。

それにしても、「バカ」や「○ね」などは先生や親から注意されるのに、具体的な手法を述べている指切りが取り締まられないのは不思議である。もはや、あんなにも無邪気な笑顔で、軽快に「の〜ます!」と子供が言っている様子に、サイコパスみを感じずにはいられない。

そもそも、指切りげんまんって何なのだろう。私は得意の知的好奇心を発揮し、Safariで新しいタブを開き検索をかけた。
その結果、小指を切るだの、ゲンコツで1万回殴るだの、原始的な武力行使に関する記述があった。指切りげんまんが意味する超ド級のメンヘラ加減には脱帽である。っていうかゲンコツで1万回殴ることを「げんまん」って略しちゃうんですか〜〜カジュアル〜〜!と言いながら後退りし、その場から逃げ去りたい気持ちである。

というところまでを考えて、「へえ、そうなんだ」と、私も友人らと同じように、特段気にする様子を見せず対応した。まだまだこの世には、私が気づいていない地獄が、たくさんあるようである。

芥川によれば、人生は地獄よりも地獄的である。しかし、星野源の歌詞を借りれば、ただ地獄を進む者が、悲しい記憶に勝つらしい。



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