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【AIの著作権問題、AIが生み出す世界は「表現」?「アイデア」?それとも、、、】

文化庁は「著作物」を"思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの"と定義しています。
 
一方でアイディア (作風・画風) に当たる表現は著作物に該当せず、著作権法では保護されません。つまり、○○風というのは著作権侵害とはしない。
なのでAIが描いた画像や物語はアイデアに当たるので、〇〇風にとかのプロンプトから生成された画像は著作権侵害には該当しないというのが文化庁の見解です。

また、AIが学習するためにWeb上で収集してきた膨大なデータには当然著作物も含まれます。数十億点にもなる大量の学習用データについて個別に許諾を得ることが困難・非現実的という課題が生まれます。また、これを規制してしまっては生成AIは精度は上がらず、いつになってもAIが持つ能力は発揮できません。
AIが学習するために著作物が入力される段階と、出力される段階とを分けて検討 する必要があること。また、学習の段階では著作物の表現を享受しない利用であると考えられ、著作権者への不利益は通常生じないと考えられることとして、結果的に、、、

AI開発のための情報解析のように、著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用行為は、原則として著作権者の許諾なく 行うことが可能です(権利制限規定)。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/pdf/93903601_01.pdf

次に、AIを利用して画像等を生成 した画像等をアップロードして公表、生成した画像等の複製物(イラスト集など) を販売する場合。

AI生成物に、既存の著作物との「類似性」又は「依拠性」が 認められない場合、既存の著作物の著作権侵害とはならず、 著作権法上は著作権者の許諾なく利用することが可能です。

ただし、既存の著作物との「類似性」及び「依拠性」が 認められる場合、そのようなAI生成物を利用する行為は、
① 権利者から利用許諾を得ている
② 許諾が不要な権利制限規定が適用される ……のいずれかに該当しない限り、著作権侵害となります。

その場合、著作権侵害として、利用行為の差止請求・損害賠償請求と いった民事上の請求をすること※、刑事処分を求めることと いった対応が考えられます。

結論として、

《AI開発・学習段階》
AI開発のための情報解析は、権利制限規定により、原則として許諾なく 可能です。
《生成・利用段階》
AIを利用して生成した場合でも、その利用が著作権侵害となるかは、人がAIを利用せず絵を描いた等の場合と同様に判断されます。
《AI生成物が著作物となるか》
AIが自律的に生成したものは、著作物に該当しないと考えられますが、 「創作意図」と「創作的寄与」があり、人が表現の道具としてAIを使用したと 認められる場合は、著作物に該当すると考えられます。

端的に言えば、AIが学習するためには著作物であろうが、勝手にWEBや様々なデータから拾ってきてAIに学ばせていいよ。
でも、そのAIが生成した音楽や絵画などが、あんまり作家の作品に似てる場合は著作権侵害でAIで作った人を訴えてもいいよ?(なかなかいないだろうけど。。。)

例えば、自分でプロンプト入れて作ったキャラクターには著作権が発生するかということについては、人が表現の道具としてAIを使用したと認められる場合は、著作物に該当すると考えられます。
つまり、こういうことです。
Microsoftの画像生成AI"image creator”に
「ドラえもんとのび太の喧嘩」とプロンプトをいれるとこうなります。

(笑)

これを藤子・F・不二雄プロが私を訴えるか?という問題です。流石にこれは訴えないとして、


image creatorに「ドラえもん」だけ入れてみた

これを訴えるか?という問題です。面白いことにキャラクターを特定しているにもかかわらず、知っているのに敢えて違うのを出してくるところに著作権対応があるのか?と思ってしまいます。

2021年にアーティスト集団であるObviousがAIのオープンソースのアルゴリズムを使用して制作した作品「Portrait of Edmond de Belamy」は世界的オークションハウスであるクリスティーズにて 440万ドル(約4894万円)という破格の値段で落札され、AIが描いた作品としては史上最高額となっています。

作者名は「min G max D x [log (D(x))] + z [log(1 – D (G(z)))]」と記載されている


つまり、これは作者が創作意図をもってつくった創作物なのでクリスティーズは芸術作品と認め、作者に著作権はあるということになります。

話は逸れますが、
最近ハマっているのがTikTokの「〇〇という意味がまだわかっていないAIが作った〇〇」という動画が、凄くて、ある意味で悪夢の様な動画なんですが、見方によってはめちゃくちゃクリエイティブでシュールな作品です。

このシュールな動画を見ていると夢の中で見た光景に似ている事に気付きました。鮮明ではなく、所々劣化していたり顔がなかったり変な挙動をしたり、、、(ってこれ自分の夢だけなのかな?)

この夢の印象はフランシス・ベーコンの画風にも感じたことがあります。

それは、夢の中の曖昧な記憶から生成される不条理なシーンや情報量の荒さ(ノイズ)みたいなもので、脳内記憶に頼って生成される夢とフランシス・ベーコンの絵画とAIが生み出した動画とどこか共通している様に感じています。もしかすると、この3つに共通するのは意味や価値といった私たちが日常生活で見ている、感じている客観的な世界の一つ手前の意識の内側に見える風景なのかもしれない。そういう意味でAIが生み出す発展途上な意識の段階は人の意識に近くなっている様にも思えてきて、このAI動画には刺激を受けました。・

話を戻しましょう。
AIの進化は芸術家にとって脅威なのか?
AIを筆とキャンバス、もしくはイラストレーター、フォトショップといったソフト同様に「道具」として使うことが認められた時点で、AIが仕上げた作品がアートの創造性として鑑賞されるようになりました。人間が創造した作品なのか、AIが創造した作品なのかその境界は曖昧で判別ができなくなってきています。

もしかすると、AIが仲介した作品がアートか否かという議論をしている時点で既に時代遅れなのかもしれません。

かつての美術史においても、写実主義を極めて人物そっくりに描ける技術が身についた時、貴族たちはその芸術家のパトロンになり、芸術は栄えました。ところが、写真機が発明されると、貴族たちに画家は必要なくなりました。だからと言って絵画がなくなったでしょうか?人そっくりに描かなくてよくなったことで芸術家は自分の内面と対話し自由な表現を手に入れます。そこで抽象画が生まれ芸術そのものの破壊と多様な表現が生まれ現代アートにつながってきます。

同様に、リズムボックスが発明されたことでドラマーがいなくなったでしょうか?そこにはクラフトワークやYMOといったクリエータやテクノ、ドラムンベースといった新たな音楽表現が生まれています。

ひとつ言えるのは、誰でも簡単に作品が作れることは創造性の解放でもあって、とはいえ、人間が作っている作品の価値が唯一性が担保された作品となると、その時間の経過もしく文脈、または描いている瞬間にこそアートが存在しているのではないか、、。つまり、作品そのものより、その作品が生まれるプロセスや思想、社会的文脈が色濃く作品に表現される様になっていくのではないでしょうか。そして、何より大切なことは「描きたいから描く、創りたいから創る」この衝動や自律性と継続こそ人が為せる領域だと思います。

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