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惑星のまなざし

※ 物語の最後に重要なお知らせがあります。


2024/04/23 17:00
[From] yanagi sawa
[Sub] Re:Re:Re:Re:「この庭から、星へ」
[bit] 9000 (spend about…20min)



-惑星のまなざし-


反覆の物語を始めよう。

0.

 ふと、頭上に視線を感じロードレーサーを路肩に寄せて見上げてみると夜空があった。一等星のシリウスが観測者を見下ろしている。
 深夜一時過ぎ、まだ営業中の居酒屋がちらほらとある。空気は澄んでいて星の輝きを遮る雲はない。だが下界をのぞく一等星でさえどこか所在なさげに見えるのは、観測者の周りにいくつも光源があり、都会の夜空が満天とは程遠いからだろうか。
 およそ8.6光年。
 この長さが地球からシリウスまでの距離だ。数値化したとてイメージできない距離感。とりあえず遥か先にある星は自らの力で輝いている。観測者の視点、シリウスの光点、その間には赤滅点。旅客機はアメリカへと向かっている。地球は自転し、世界はこうしている間にも確実に朝へ向かっている。

 そんな時の流れを束の間、観測している青年は仲間内からルカっぺという愛称で呼ばれていた。どこか抜けている彼の性格がよく現れた愛称だ。おもしろいから以降、彼のことはニックネームで通そう。

 ルカっぺはロードレーサーに再び跨がる。ここから先は下り坂で、春の生温い風を裂きながら走るのはいつだって爽快で、最近はそのためにバイトをしているのではないかと思ってしまう。
 ルカっぺはミネラルウォーターを口に含み、ペダルに足を乗せグリップを握る。走り出すと真ん中に分けた前髪が風で揺れ、予想通り今夜も気持ちがいい。

 だが、そんな瞬間でも心のどこかでは、『このままではいられない』と思っている。

 ゆるい雰囲気が嫌いなわけではない。
 特段、焦ってもいない。
 つもりでいる。
 それでも目尻に溜まった涙が風に流されていく。

 誰にも言えない涙の理由は、
 ここではあまりにも見えない星、つまり惑星が多すぎるからだ。





1.

 睡眠時間のコントロールができていないせいか、普段、起床している時間より二時間遅く起きてしまった彼は罰を受けるように苦手な電車を待っていた。
 今日も朝のホームには人が押し寄せる。本当にこれほどの人数が車両に入りきるのだろうかと思ってしまうが、入るのだ。それは何処かで誰かが我慢をしているからで、そういったことを考えてしまうルカっぺは電車通勤が嫌いだった。

 駅のホームに立つ人々のほとんどがスーツを着て、男も女も関係なく清潔感を纏っている。そんな中でルカっぺはロングTシャツの上に半袖のバンドTシャツを重ね着し、下はオーバーオールというラフな服装でバイトへ向かおうとしていた。

 
 持て余した右手でルカっぺはカメラロールを遡る。
 彼が大学を卒業して一年が経つ。在学中にやったことといえば、スナップ写真を撮ること、母親のツテで大学一年生から始めたレストランのアルバイト、それと同期に誘われたオンライン麻雀くらいだ。
 麻雀はやってみてもハマらなかったが、それでも就職していった同期達の近況報告を聞くためだけにアプリは消せないでいる。

 ルカっぺは周りを見回す。
 まだ通勤ラッシュの時間で、どこを見ても黒の中でルカっぺの服装はどうにも目立つ。そんな彼以外にも目立つ存在がいた。
 それは直立できずにずっと小さく揺れている中年男性の会社員だ。
 残業続きなのだろう。周りから明らかに煙たがられている中年男性の頭皮を見つめているとルカっぺは黒々と生い茂った後頭部に五百円玉ほどの禿を見つけた。
 中年男性の会社員は立ったまま、隣に並ぶ女性にぶつかりながら居眠りをしていて、女性は小さなバッグを守るように身体の内側へ寄せる。細身のグレーのパンツスーツ。少し折れ曲がった右膝が小刻みに揺れている。

 だが彼女は男の五百円玉禿を知らない。
 いつだって人の頑張りは見つけてもらうまで分からないのだ。

 もし知っていたのなら、彼女は態度を変えただろうか。そう思うとルカっぺは中年男性の後頭部を自分だけでも覚えておきたくなった。
 撮りたい、という衝動に駆られるルカっぺのスマホには親戚でも友達でもない他人の一瞬がストレージを圧迫するほど詰まっている。

 でも、怒られるだろうな。

 中年男性の会社員がよろける度に禿が不規則な弧を宙に描く様をルカっぺは目で追っていると、なぜかキアシドクガのように見えてくる。蛾にしてはかわいい見た目の蛾だ。

 もう、撮ってしまおうか。

 と、悩んでいるうちに地下鉄が停まる。
 リュックを前に背負い忘れた彼もまた車内の人々から怪訝な視線を向けられた。



2.

 出勤用のプレイリストを聴きながらバイト先に辿りつくと店主の背中が外に見えた。

「おはようございます!」

 ルカっぺより背丈が頭一つ分小さい店主の男が木製の椅子を修理している。釘を打つ店主の腕はルカっぺより一回り太い。低くてどこか気品のある声がイヤホンを外した彼の耳に入る。

「ああ、おはようございます。悪いんだけど、僕はコレ直してから厨房に戻りますから準備よろしく頼みますよ」

「わっかりました!」

 店の裏口の扉を開け、荷物をロッカーに突っ込む。今日はランチもディナーも働くのでルカっぺは少しきつくエプロンの紐を結んだ。掃除から取りかかり、しばらくすると店主が戻り、言われるがまま、仕込みを熟していくとあっという間に営業時間だ。

 ルカっぺのバイト先は基本、調理は店主一人、ウェイターはシフトによって二人になったり、一人になったりする。
 今日はディナーのシフトに店主の妻の友人が手伝いに来るため彼は厨房とフロアの仲立ちとして動かなければならない。つまり店主の指示を聞きながら、アルバイトに指示しなければならなく、手間が一つ増える。
 そのため一人でフロアを回していた方が単純に動け、煩わしくないようにも思えるが、ルカっぺはそういった面倒が好きなため特に苦には感じなかった。

 もう五年も勤めているバイト先だ。忙しい中で言葉が少なくとも、店主が何を言いたいのかがすぐに分かり、あとはその流れに身体を乗せていくと、あっという間にランチの営業が終わった。

 ディナー営業までの休み時間、約、二時間半をルカっぺは大抵、スナップ写真を撮ることに費やしている。

 今日、レンズを向けたのはコンビニ前で人を待つ女子高生や、並木道、桜の花弁が貼り付いた道路などだ。どれも今朝ほど心は躍らず、保険を残すようにルカっぺは景色を切り取っていく。
 彼のバイト代は貯金分を含めなければ、ほとんどが写真の現像代に消えている。だが、目の当たりにした感動と、実際にできあがった写真の仕上がりが一致する事など希だ。
 ルカっぺは仕上がりを確認する度、それが悔しくもあり、楽しいのだと、賄いを食べているとき店主に吐露していた。

「そんなに好きならちゃんとやればいいじゃないですか。ほらコンテストとか、」

 フォークを押さえる店主の中指は太く、第二関節に指毛が数本生えている。気さくだが店主と話していると、ルカっぺの背筋は自然にぴんと張ってしまう。

「まぁ、そうなんですよね。えへへ」

「ルカくんのね、そういう朗らかなところ僕は大好きですけど、笑って逃げるのはかっこ悪いですよ」

 東京が実家だからと安心するルカっぺがいて、東京が実家だからと憂うルカっぺもいる。彼の中で両者は店主の言葉に相づちを打つ度に裏返る。

「そうっすよね」

「言っておきますが、この店のシェフは僕一人でいいんですからね」

「俺、不器用だし、それは大丈夫です」

「断る理由はそこですか……」

 頭を抱える店主の向かいでルカっぺは再び、えへへと笑った。怒られはしなかったが、力なく立ち上がった店主の背中はいつもより丸まっていた。

 そんなことを思い出しながら一眼レフの重さを首の後ろに感じる。足を引きずりながらレストランへ戻っているとき、ルカっぺは賄いで食べた牛肉のたたきの味がまだ口の中に残っていることに気付いた。



3.

「ああ、いらっしゃい。リコち、」

 目配せすると、

「うん」

 彼女がいつも通りじゃないと彼は思った。

 だが、店の忙しさがピークを迎えており、常連客に構っている暇がない。ルカっぺはリコち、と呼ばれる少女に声を掛ける間もなく厨房に戻った。

 次から次へと料理ができあがる。今日の店主の動きはいつもの倍速だ。ルカっぺはギアを合わせられないまま、流されるように料理を配膳し、アルバイトに指示を出す。
 それでも注文ぐらいは自分で訊ねに行こうと、フロアに出る度に彼は右奥の四人掛けのテーブル席を注視しているとリコちの父親が顔を上げた。

 リコちの父親はカツレツとシーザーサラダ、母親は生ハムとレタスのピザを頼み、姉はトマトリゾット。
 リコちの家族は料理が揃ってから少しずつ共有し合ってそれから各々が頼んだ料理をゆっくりと食べ進めるお決まりのパターンだ。フルコースのピースをはめていくような注文だなと思いながらルカっぺがいつも通り伝票に品名を書き込んでいく。
 ふと、見てみるとリコちは黙ってメニューを両手で持ち、固まっていた。

 彼女の髪はしっかりと脱色されており、金色がよく映える。何度も髪を染め直しているせいで毛髪は細くなり、そのせいで猫っ毛になっている。今日は上手くセットできなかったのか、前髪の先をよく触る彼女を見て、ルカっぺはさりげなく今日のおすすめを呟こうとしていた。

「リコきまった?」

 姉に急かされるが彼女は下唇を柔く噛み、さっきからずっと同じ場所を見つめているが何故かそれを注文しないためルカっぺは戸惑っていた。

「ほら、ルカくんも忙しいんだから」

 ルカっぺがえへへと項を掻く。
 迷ったあげく、リコちはボンゴレビアンコを頼んだ。

 すべての料理をテーブルに配膳し終えると、家族は一斉に手を合わせ、一斉に盛りつけ始める。全員が出し合ったフルコースが一列に並び、リコちはボンゴレビアンコを頼んだが、アサリはすべて姉の皿に移していた。

 夜10時が過ぎ、客が段々と減っていく。厨房もピーク時に比べて静かになり、ルカっぺはもう一人のアルバイトの女性と談笑しながら洗い物に取りかかっていた。

 そのとき、後ろからエプロンを引っ張られた。

 身だしなみが整っていなかったのかと思い、振り返って謝ろうとすると、視界の少し下にリコちがいる。こんなにかと思うほどルカっぺには彼女が小さく見え、紫のカーディガンからはみ出た右手が震えている。

「どした?」

「ちょ、きて」

 ルカっぺはエプロンの端を摘ままれたまま、ムーンウォークのような後ずさりで厨房を出て行く。そんな姿を呆れつつも店主は見過ごし、アルバイトの女性は厨房を出て行くルカっぺの代わりに残った洗い物を始めた。

 腰を下ろしたテラスデッキからは今夜もシリウスだけが光る。

「今度ね、わたしね、描くことになったんだ」

「え。いつもしてるじゃん」

 そうじゃなくて、と否定するリコちはなんとなく言いづらいことを抱えている気がして、ルカっぺは夜空を眺めながら言葉を待つ。

「頼まれたの」

「だれに」

「マスターに」

「まじか師匠に? やったじゃん」

「でもね、自信がないんだ」

 ルカっぺはリコちと知り合って二年経つが、こんなにブレている彼女を見たのは初めてだった。リコちはいつも勝手に決め、勝手にやり、結果を勝手に報告する。
 その冒険譚を聞く時間がルカっぺにとって憩いでもあり、励みでもあり、嫉みの対象でもあった。

 だからこそ言葉が尖ってしまう。

「そんなの誰だってそうでしょ」

 思った以上にきつい言い方になってしまったと思い、ルカっぺは隣を見る。
 夜空を見上げる彼女の瞳は黒く、大きい。何かを求めるように長い睫毛が夜空に向かって伸びているが瞳も横顔も何も語らない。
 脇腹を突いてみようと思ったがそんな雰囲気ではなく、ルカっぺは同じように空を見上げた。

「どうして自信がないのよ?」

「だって、今までのは『たかが、ラクガキ』だったでしょ? だから、」

 まるで親友を突き飛ばすような言い方だな。
 そう、ルカっぺは思った。

 リコちは中学校に通っておらず、その代わりにオンライン教材を使って勉強をしている。彼女は幼い頃から絵を描くのが好きで、そういった興味が講じてSNSを介して知り合ったグラフィティライターのクルーに所属していた。
 もちろん家族にそのことは言えていない。よって彼女の秘密を知っているのはルカっぺだけで、そして好きなコトについて話しているときの笑顔を知っているのも彼だけだった。

 その笑顔すらも嘘だったのだろうか。

 抑えようとも、怒りが身体の外に漏れるのは彼女がそうであるように、彼にも今、好きなコトがあるからだ。真剣に向き合う程、コントロールが効かず、それでもやめられない。

 そんな苦しみを共有できていたつもりだった。
 彼は彼女を同じ穴の狢だと思っていた。 

「じゃあ、お遊びのままでいいんじゃない?」

 随分と軽率に怒っている。
 そう思いつつも、ルカっぺはもう、口にしてしまっていた。

「なんちてね」

 言動を省みて取り戻すかのようにルカっぺはえへへと笑ってみたが、がさついた笑い声が夜に響くだけだった。夜空を見上げていたはずのリコちはテラスデッキの縁にスニーカーの先を揃えて両膝を抱えている。

「そうだよね」

 彼女を始めて知った時、ルカっぺは夜を駆ける野良猫のようだと思った。
 だが今は違う。
 月光に首の後ろを押さえつけられているように彼女は俯き、そんな姿をルカっぺは老いた飼い猫みたいだなと思った彼は彼女に裏切られたように感じていた。



4.

 帰宅して、部屋に閉じこもったルカっぺはスマホに保存した動画を見漁っていた。

 十秒にも満たない長さの動画は、たとえば女性会社員が今朝齧ったであろうおにぎりをホームに落としてしまう瞬間だったり、ショッピングモールの買い物の付き添いに疲れた夫がソファで熟睡する姿だったりだ。

 眠気のせいで手の力が緩み、スマホが顔面に落ちてくる。思ったよりも痛く、ルカっぺは長い、長い、溜息を吐く。

 いつか、だれかの役に立ちたい。

 そう思って、彼は生きている。
 バイト先の店主にとってそれは料理で、リコちにとってはグラフィティで、多くの人間にとっては家族なのだろう。みんな何かのために生き、自分らしいスタイルを得ているように見えてルカっぺは誰もが羨ましかった。

「もっと焦った方がいいよ」

 過去に言われたリコちの言葉を思い出す。彼が躓くと足下には必ずその言葉が落ちていた。
 ルカっぺはなんとなく就職する気にはなれなかった。周囲には「お前はなんとかなりそう」と言われ笑って返したが本当は不安だった。それでも自分の意志でその道を選んだのは確かで、その事実を受けれる日々の中で彼は夜の長さを知った。

「そうだよね」

 いつも背中を蹴ってくれるリコちが今夜は躓いていた。道に迷っていた。
 手を引いてくれる人間を探しているのはわかっていた。

 だが彼は手を差し伸べなかった。

 暗闇の中でルカっぺは洟を啜る。
 拭った鼻水で指先が濡れたが、構わずその指をパーカーの胸襟当たりに擦り付ける。

「なにが『コンテストとか、』だよ。簡単に言ってくれるよ。あの人は。決めるってのはさ、すっごく怖いことなんだよ。なのに、ああ、どうして。なんで俺はその怖さを知ってるのにあの子を助けようと動かないんだよ」

 高校の頃、ルカっぺはサッカー部に所属していた。彼はゴールの場面によく絡める選手だったがストライカーではない。
 恒星は別にいる。
 放ったボールがキーパーの指先を掠め、ネットの右端を揺らす。満ち足りた笑顔でゴールを決めたチームメイトが一番最初に駆け寄ってくるのは敵のマークを誰よりも集めていたルカっぺだった。ルカっぺはその時の歓声が好きだった。
 惑星の彼は自分に向けられていない歓声が好きだった。


AM 2:10
< リコちゃん

〔あのさ、〕

〔なんですか〕

 送ると待っていたかのようにすぐ返ってくる。

〔ちなみに、どこへ描きに行く予定ですか?〕

〔わたしの〕
〔師匠の〕
〔お姉さんがバーやってるんだけど〕
〔奥の壁に描いて欲しいって〕
〔言われた〕

 句読点を打つように細切れになったメッセージ達がロック画面の通知欄を更新し続ける。

〔そっか。じゃあ俺もそこへ行くよ。でさ、〕

 こうして彼は彼女の惑星になることを決めた。



5.

 大きな鞄を揺らしながら駅前商店街を抜けると明かりが少しずつ減っていることにルカっぺは気付いた。

 辿り着いたそこは、まるで小さな自治区だった。

 足を踏み入れると右にも左にもバーがある。開けっ放しの入り口から漏れる明かりのそれぞれから薫りが漂い、酔いどれ客の視線を彷徨わせる。そんな迷宮の門番のごとくその店は存在していた。

 入って右側にあるバーカウンターの後ろにはウイスキーを始め、ラム、ジン、リキュール、焼酎と様々なスピリッツが並べられていて青い光を受けている。
 いらっしゃいと声を掛けられた途端、ルカっぺはゲームの中でしか見たことがない酒場に足を踏み入れたような気がした。ちなみに、彼が好きなものはジンジャエールだ。

「お、リコちの相棒きた」

「え、リコちの彼ピきた?」

「ばっ、それ聞かれたら殺されんぞ」

「んなことないっしょ」

「いや、アレは確実に五人はヤってるから」

 右眉の上にピアスが埋まっているふたりの少年はカウンターに座って、お揃いでジントニックを飲んでいる。一人が親指を喉仏に向け横に切るともう一人が笑い、顔を見合わせると二人とも笑い出す。

「ふたりの関係性なんてどうでもいいじゃない。それより、はやくしてよぉ。リコちそのために待ってたんだからー」

 ティファニーブルー髪色で、ベリーショートの人間は中性的な見た目のせいで、どちらなのか分からない。厚ぼったい化粧をしていないため顔立ちは良いのだろう。囁く声が扇情的で、変な気を起こしそうになる。
 だがルカっぺには立ち止まってこの人間の素性を推理する暇はなかった。他の客にも店奥へと急かされ、慌てて機材を広げていると前髪当たりに気配を感じた。

「やっぱ、撮らないとダメ?」

 見上げるとリコちが立っていた。
 見下ろす笑顔はぎこちない。

「うん。そのためだけに来たわけじゃないけど、それが今、僕のやりたいことだから」

「今回だけだからね」

 観念したようにリコちは猫っ毛を掻きながらバー奥に作った作業スペースに戻る。

 おそらく普段は団体客用に設けられた席なのだろう。だが今はローテーブルが撤去され、床から座席までしっかりと養生されたビニールの上には画材道具が転がっている。
 ぼっかりと空いた店奥のスペース、その左側の壁にはライトがあり、ミラーボールが赤い光を散らす。真っ赤な革張りのヴィンテージソファの真ん中でリコちは膝立ちをして壁と向き合っていて、空調機の下が彼女に与えられたキャンバスだ。

 少女の背中を見守るルカっぺの後ろではクルー達がにやけながら見物している。
 ルカっぺはカメラ越しに、リコちの拳が震えているのがわかったが、煽り続ける彼らは少女の躊躇いを知らない。

 いつだって人の覚悟は見つけてもらうまで分からない。
 だからこそ、ルカっぺは彼女の背中に声をかけた。

「リコち、あのさ、」

 呼応するように右手のビデオカメラも震え出す。店内には同じヒップホップ・グループの曲が流れているが、ルカっぺの耳にはリコちの呼吸音だけが聞こえている。

「あのさぁ!」

 無視され続けているがルカっぺは声をかけ続ける。
 それはもう二度と見過ごしたくないからだ。

「へ?」

 覚悟と覚悟が触れ合ったのか、間の向けたリコちの顔がルカっぺに向けられる。

「フード。被ってごらん」

「なんで」

「ほら、はやく」

 言われたとおりリコちはプルパーカーのフードを深く被った。
 すると震えが一瞬止まった。
 それは単なる勘違いかもしれないが、確かにルカっぺの行動はリコちの背中を押した。

「ありがと」

 少女が微笑む。
 再び壁と向き合った背中から目が離せなくなる。
 彼が撮影に集中しだしてから数秒、ふと気づくとギャラリーは鎮まっていた。

 リコちはまず、ローラーに真っ黒な塗料を付けた。長方形にくり抜いた壁紙を左手で押さえ、ムラが出来ないように塗っていく。すると後ろが何故か騒がしい。それはクルー達がリコちに対し、ヤジを飛ばし始めたからだ。
 何事かと思いつつも、ルカっぺはリコちの背中を撮り続けている。
 ヤジは続く。
 居合わせた常連客も、ルカっぺもわけが分からないが、彼はアングルを変えてクルー達を映像に収め始めた。撮られていることに対し、特に構う様子もなく彼らはリコちを揶揄し続ける。

 ティファニーブルーのベリーショートがいきなり嬌声を上げ、ルカっぺの両肩が跳ねて映像が乱れる。
 すると、リコちが振り返った。
 ピントが合うと画角の中心に立つ彼女は観衆を見つめながらゆっくり中指を立てた。

「言うようになったじゃん」

 バーカウンターの中で彼女が師匠と呼び、慕っている少女が訳知り顔で頷く。
 クルー達も小さな驚嘆と歓声をもらす。
 これは仲間内だけが分かるお決まりの流れなのか? と、疑問は浮かぶものの、ルカっぺはとにかく撮ることだけに集中する。

 それは中指を立てたリコちに「黙って見てろ」と言われた気がしたからだ。



6.

 ルカっぺはあの夜の出来事を撮り終えたあと、すぐに編集に取りかかった。出来上がった映像を頭から再生してみると不格好だとは思った。

 当初、ルカっぺはこの映像を撮り終えた後、しっかり編集テクニックを学び、それから満を持して挑もうと考えていた。
 だが衝動のままに作ってしまった。
 次々とカット割りが浮かび、映像にキャプションを施した。猛スピードで走るスーパーカーに乗っているような感覚で制作し終えたルカっぺに最中の記憶はほとんどない。

 翌日、ルカっぺは撮った動画を投稿サイトを始め、自身のSNSにも投下した。間違いなくこの動画は自分の中で分岐点になると思いながら動画をアップロードした。
 バズというものは一過性である。
 それでも一度は誰もが経験してみたい瞬間で、彼もその一人だ。ルカっぺは可能性に期待し、もはや確信していた。だが、思ったよりも再生数は伸びなかった。

 今日もバイト先に向かうため、ホームで地下鉄を待つ彼は来月から写真技術専門のスクールに通いはじめる。

 アップロードした動画の再生カウントは密かに増え続けている。
 今日は東京、
 昨日は中国、
 一週間前にはフランス人がこの動画に短いコメントを書き込んだ。

 明日はこの世界の誰に見つかるのだろう。

 彼が投下したリコちのプロモーションビデオは決して彼女の総括などではない。例えるならばただのティザー映像だ。


 さあ、
 ここまで読んでくれた貴方に請おう。

 物語の始めに戻ってみて欲しい。


 そう、
 この物語は反覆する。

 投げたコインが回転する時、
 物語の表と裏が入れ替わる。

 これは反覆される物語だ。

 そして、
 物語が蘇生されるかは、
 最後の行まで辿り着いた貴方の手に委ねよう。










PLEASE PUSH THE BUTTON.

▶︎【continue?】
▶︎【Finish?】



▶︎【continue!!!】


Now Loading……
(chotto,mattetene……)


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コラボアパレル「着る小説」発売。

商品名:『NOVEL WEAR Ver. 1.0』

企画・プロデュース;kish clothing
イラスト・デザイン;スガノヨシカ
小説・写真;野凪爽(yanagi sawa)


以下、詳しい説明です。
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【重要なお知らせ】

この度、私、野凪爽は…

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スガノヨシカ様にやっていただきました。

そして、このTシャツにはある仕掛けが施されています。

それは・・・
プリントされている
QRコードを読み込むと…
なんと
リコちsideの物語が読めます。

つまり、
ルカっぺの物語は単なる序章にすぎません。

そして物語が蘇生されるかは、
この情報を手に入れた貴方の手に
委ねるとしましょう。

野凪爽


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※ 【BLACK ver.】と【white ver.】のどちらも
 QRコードから読み取れる物語は同じです。
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credit

This program presented by…

Illustration , design

novel , photograph



Extra

二人の主人公をイメージしたプレイリストを作りました。

🎧Lukappe

🎧Ricochi


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