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プレミア・タイム

 朝起きて、まず煙草を咥える。
 それからカーテンを開けて立ち上がる。キャバクラでもらったライターはベッドと柵の隙間に挟まっているから、手を突っこみ拾い上げたら火をつける。長く吸うと先がちりちりと静かに燃え、彼は朝日を浴びながらそのままベッドに仰向けで倒れ込んだ。
 天井に向かって昇ってゆく煙の先を彼は見ている。倒れた振動でも胸に肺は落ちなかった。
 彼はその日の行く末をこうして占う時がある。そういった日は大抵、なにか楽しみな予定がある日だ。

 梅雨に入り、連日ぐずついた天気が続く中、今日は真夏日になるとテレビの中のリポーターが告げている。今日は、これからハプニングバーや風俗へ向かい、集金と客の動員数、客層のチェックを行い、今後の方針を店に示さないとならない。盗んだり奪ったりすれば手っ取り早く金が手に入るが、長く稼ぐには足を運び、顔を売らなければならない。
 彼が最初に兄貴から教わったことだった。
 だが、今日は仕事をするにはもったいないほど空は青く、乾いた夏日だった。そのため、彼は後輩を呼びつけ、期待の眼差しを向けながら業務を押し付けた。

 とはいえ、月曜の昼間から一緒に酒を飲めるあてはほとんどない。
 仲の良かった中学の同級生は皆、地元で働き、不良時代につるんでいた悪友たちも所帯持ち、子分を誘うわけにもいかず悩んでいると電話がかかってくる。

 知り合いの紹介で最近できた彼女はさっきまでテレビで天気をリポートしていたアナウンサーだ。彼は彼女に飲食店経営者と嘘をついて付き合いはじめた。
 電話は彼女からだった。
 彼女は午後休をもらったから買い物に付き合って欲しいと誘うが、彼は、祖母が倒れて実家に帰らないとならないと嘘をつく。すると彼女は少し寂しそうに彼を鼓舞して電話を切った。
 今日は酒も飲めない彼女のわがままに振り回されるのはごめんだった。
 こうしている間にも時間は過ぎていく。

 彼らは真緑の釣り堀に糸を垂らしていた。
 瓶ビールのケースをひっくり返して股を開いて座るのは、金髪坊主の彼と、黒髪センターパートの彫り師だ。
 彼らの足元には何のほぐし身なのかわからない餌が入った器と、汗をかくバドワイザーが置いてある。
 真緑の釣り堀には魚影どころか、その奥すら見えず、それでも浮きが時折、一瞬だけ沈むせいで両者ともどこか期待は捨てきれず水面を睨んでいないとならない。
 気温は三十度。
 彼の羽織ってきたシャツは肩に貼りつき、彫り師は上半身裸のため、売店の老婆が窓に貼りついている。
 彼が苛立ちのままに右膝を揺らし、彫り師の足元にある灰皿はねじり消した煙草で針の筵になっている。
 今朝は百点だったと思っていた休日が今は六十五点ぐらいに下がっていることに彼は溜息を吐きながら、それでもその点に留まってくれているのは隣で同じく退屈そうに煙草を吸う男のおかげだろうと思う。

 結局、何も釣れなかった二人は出るときに教えてもらった洋食屋へ向かった。
 店内で煙草が吸える洋食屋は今時、珍しい。だからだろうか、中には彼らしかいなかった。
 出窓を通してテーブルに光が差し込む席に着くと、彼らは水を持ってきた若い女性店員に対して、示し合わせることもなく同時に七五〇円のスペシャルランチを頼んだ。

「アロハ似合ってんね」

「最近オヤジからもらったんだわ。にしても、ほんと美味いな、コレ」

「最高ね。クーラーも効いてるし、たばこ吸えるし、ここ天国ね」

「エセ中国人みたいなのやめろ」

 スペシャルランチは、価格以上の量があり、バリエーションに富んでいた。
 エビフライにアジフライ、メンチカツに甘ダレのかかった唐揚げ二個にカニクリームコロッケ。
 揚げ物がプレートをほぼ占拠しており、申し訳程度に添えられているのは角切りにされたニンジンとコーン、グリーンピース。千切りのキャベツは中濃ソースに覆われ、横たわったトマトにも浸潤している。
 彼は来月に沖縄へ飛び、傘下のグループが起こしたトラブル処理に向かわなければならない。そして、彫り師は経営難に頭を悩ませる毎日を送っている。
 彼らは無心で頬張り、掻き込み、詰め込む。
 ジャスミンティーが注がれたグラスに差し込んだ光は、屈折しながらテーブルの上でゆらゆらと揺蕩っていた。

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