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記憶

田舎町の国道を走る
バスの中からの景色は今でも鮮明に記憶に残っている。

母親は決心し、5歳になる娘の手を引いた。
「もうここには居られない。
この子を連れて実家に帰ろう。」

娘は通園バッグを斜めがけにし、母親に急かされるようにバスに乗り込んだ。
なんだか分からないまま母親の隣の座席に座る。

発車するバス、下を向き泣いているような母親、何処に連れて行かれるのだろう。

「あんたのふるさとに帰るのよ」

まあ、よく分からない。
ふるさと、って何だ。
娘は不思議に思う。
バスがしばらく走ると、窓から見えてきた遠くの海。
太陽が反射しキラキラ輝いていた。
このバスはどこか楽しい所へ連れて行ってくれるような、そんな気がした。

ふと隣を見ると母親が車酔いで嘔吐している。
バスの座席の背中に備えつけられていた紙袋を掴み顔を突っ込んでいた。
途端に嫌な記憶が蘇り不安になり、娘も気持ち悪くなる。
すると母親からもう一つの紙袋を手渡され気分が悪くなったらここに吐きなさいと言われる。
母親も娘も三半規管が弱い。


父親の車の中で間に合わず嘔吐してしまったことがあった。
「新車なのに!匂いが残る!!お前を乗せるといつもこうだ!」という怒鳴り声はこのバスでは聞こえない。
もう吐いてしまっても怒られないんだ。
娘はそう安心すると車酔いの気持ちの悪さなど忘れていた。

どのくらい走ったのだろうか。
バスがある場所に到着する。
娘は窓から身を乗り出し驚いた。
フェリー乗り場だったのだ。
「やった!!おじいちゃんの所へ行くんだ!」
母親の父(祖父)は孫の中で娘をとても可愛がっていた。
祖父に会えると思うといてもたってもいられない。
突然元気が出てきて、フェリーが着き乗り込むその時をワクワクしながら待った。

時間は刻々と進み、陽は沈みかけ海と空の間に魔法の様な色が現れていた。
その合間を縫うようにフェリーが減速しながら近づき接岸する。
人気の無い小さな船着場から生まれて初めて観る壮大な自然の美しさと、祖父に会える嬉しさ。
娘は小躍りした。


「やっぱりここだと思った!!」

その瞬間、聞き覚えのある声に振り返ると、父親の両親が堰を切ったように駆け付けた。
「船に乗ったらダメ!あの子には謝らせるから!しかも赤子を置いて帰るなんて。」
あの子、とは父親のことだ。
赤子、とはまだ乳飲子である次女のことだ。
両親は母親に詰め寄っていた。
そしてなだめ、車に乗せた。
勿論5歳の娘も、祖父母に引きずられるように一緒に。



記憶とは曖昧なもので、特に子供の頃の記憶を大人になって思い出す場合、自分の都合の良いように書き換える事が多いらしい。
その5歳の娘は、6歳になっても10歳になっても20歳になっても、そして今でも同じ景色を時折思い出しては
この時が母子の運命の別れ道だったのかと確認する。

あのフェリーにもし乗っていたならば、今の自分は何処で何をしているのだろう。
亡きあの人(仮母)は今でもまだ何処かで生きていたかもしれない。

記憶の引き出しはいつも開いたまま。
何一つ変わってはいない。

何十年と時は過ぎ…

ある日のこと。またふとその記憶が蘇りあの人(仮母)に聞いた事があった。

「何故、ワタシだけを連れて帰ろうとしたのか」

「赤ん坊は足手まといだったし、思うように働けない。あの家に置いておけば世話をする人間はたくさんいる」

「冷たいなぁ…」

私は顔が引き攣ったまま聞いた。

「他にも理由があるんだよね」

「…。」

あの人は聞かれて困る事を突っ込まれると黙る癖があった。
あの独特な表情は、嘘をついている時か返答に困った時に見せる顔だ。
これも今となってはあの人との会話の記憶となる。

私ははっきり憶えている。
5歳の時に聞いた
「あんたのふるさとに帰る」という言葉。

何の縁もゆかりも無い子供を他人の家に置いておくのは、いくらなんでもしのびなかったのだろうか。
娘はあの父親の子では無かったというわけか。
大体察しはついている。


この時母親は、連れ戻され絶望したのだろうか?
多分それはない。
その時絶望感に駆られたのは5歳の娘である私だ。
ただ単に父親やその義家族に対するあてつけだったのだろうが、簡単に連れ戻されるくらいなら最初から帰ろうとするなと言いたい。
次女のオムツを父親がぎこちない手つきで代えていたという話を当時の姑から聞いたという。
鼻で笑いながら口にした。

「ふん。あの子(赤ん坊)はあの人の子だからね当たり前よ」

どこまでも子供で
どこまでも愚かな
まだ若かったこの夫婦の喧嘩の理由には興味が無い。
その4年後には待望の長男を産んでいる。
嫌いな男との間の子供をわざわざ辛抱してまで作るわけがない。
たとえ当てつけの家出だとしても赤ん坊を心配する母性は一体どこにあったのだろうか。

私が知りたいのは
何故私だけを連れて帰ろうとしたか。
ただそれだけだ。
後にモンスター化するその時の赤ん坊や四年後に生まれる子供の事などどうでもいい。


何度も何度も思い出すその記憶。
今の自分が辛過ぎると感じた時に必ず蘇るその場面。
そこに何かあるのなら生きているうちに知りたいと思う。
そして、あの人を一つだけ赦してあげる材料があるのならば、
未来に繋がるその記憶だ。
あの時の海や空の色。
連れ戻され、毒母化したあの人に最後に見せてもらった優しい景色の記憶だ。

それだけは
怒りや憎しみで塗り潰すのはあまりにも悲しすぎる。

記憶とは自分が都合良く塗り替えられるものだ。
記憶とは長年染み付きどんな洗剤でも落ちない汚れのようなものだ。
記憶とは同じ場面には二度と戻れないという絶望を味わう為にあるものだ。


そして現在蘇る記憶とは…
結果的に未来に生きる糧のひとつとなったと私は信じている。






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