「仮母親」からの人生最後のメッセージ(後編)
前記事からの続きです。
私は不可解な夢を見た。
座敷の部屋の真ん中に、あの人が位の高いお坊さんの様な、豪華な着物を着て正座をしている。
私と夫はあの人の前で立ったまま誰かを待っていた。
「遅いな…」
あの人は微動だにせず、まるで能面のような表情でその部屋に入るドアをじっと見据えていた。
痺れを切らせた私がその誰かを呼びに行こうとするとドアの付近で何やら叫び声がする。
開けると…
「おまえのせいでぇぇぇ!!ギャー!」
見ると妹が獣のように叫びながら弟の髪の毛を鷲掴みにし殴りかかっている。
弟は手を跳ね除けようと揉み合いになっているのだ。
私は呆気にとられ2人を眺めていた。
「なにをしているんだ!?」
そしてあの人の顔を見ると…
背筋が凍る。
恐ろしい鬼か般若の様な形相で掴み合いをしている2人を睨んでいたのだ。
「(恐々)ちょっと…
黙ってないであの2人に言いたいことあるよね!
…ねえっ!お母さん!!」
私が詰め寄り声を出すと、その瞬間目が覚めた。
あまりにもリアルで聞こえてきた、狂気地味た妹の声、2人の喧嘩、私の搾り出した言葉。
そしてあの人の鬼の様な形相。
ベッドに座ったまま、見た夢を辿り頭を整理していた。
「…あぁ‥ぁあそうか、そういうことか。はは…」
できれば夢の続きが見たかった。
何故、あの人が息を引き取った直後から仲良くしていた2人が狂ったように大喧嘩をしていたのか。
「おまえのせいでぇ!!」
今でもこの意味がしりたい。
私は朝から力の無い乾いた笑いで、自分を納得させようとしていた。
あの人の表情は、私に向けたものではないのは明らかだった。(夢の中では)
・私は判断力が落ちていたあの人に入れ知恵をして、誰にも内緒で遺言書を書いておけと勧めたことは一度も無い。
・私はコロナ禍に基礎疾患のあるあの人を何度も旅行に誘った事は無い。
(結果次の日に体調不良を起こし家庭内事故にて亡くなる)
・私はあの人に多額の現金の工面を頼んだ覚えはこれまでの人生で一度も無い。
それらは全て親の金(会社の資金)欲しさに行った妹と弟の所業だと、あの人の死後、判明する事になる。
私と夫は、あの人の死の直後からの2人の攻撃かつ陰でこそこそしている不穏な空気を感じていた。
しかしそんな事を考えている暇も無く、引き継いで会社を継続していく手前、生前の言いつけ通り全てを滞りなく進めなければいけない。
母と一番仕事上では会話をしていた夫は、取引先の銀行や行政に走り回っていた。
そして最後の日は普段から仕事上でお世話になった人や、大事にしてきた仕事の経歴などに恩返しをし、思いを残す事のないよう母を送り出した。
記憶に無いほどとんでもない速さで通り過ぎた三日間だった。
葬儀後「まるで社葬みたいだった。知らない人ばかり来て。夫君も出しゃばり過ぎじゃない?」
この女(妹)は何を言っているのだろう。
しばらくして、形見をあの人の身内同然の知人や部下に渡した私は、その行為を2人に泥棒呼ばわりされる。
母宅にも勝手に入るなと責め立てられ、私は知人に謝罪をし形見を返してもらう羽目になった。
私はこれまでの人生で、何とも形容しがたい情けない経験をした。
周りの反応は言うまでもない。
「私さんのお気持ちだけで嬉しかったの。本当に辛い思いしたね。でも‥悪いけど妹さんと弟さんちょっと‥」
仕事関係でお世話になった慰問客に頭一つ下げる事も無かった2人。
勿論、喪主以外の香典や花も無し。
救急医療費、通夜葬儀費用、埋葬費用、お布施からご香典や初盆のお返しまで
「世話になる」などの言葉も一切無かった。
それらは全て、私が受け取ることになっていた、あの人の何かあった時用の安価な生命保険でなんとか賄えたが、きょうだいなら労いの言葉が一つあってもバチは当たらないのではないか。
覚えている言葉はこれだけだ。
「お母さんは何年か前に、あんた抜きで私達2人だけに遺言書を見せてくれていた」
お前は娘でもないし姉でもないんだ、偉そうに長女面するなと念を押されたような気がした。
喪主こそ長男(弟)につとめてもらったが、慰問客と顔見知りでその都度対応していた私と夫に、ただ嫉妬しているだけの様にも見えた。
そもそも「遺言書」の存在があった事に心底驚き、それを何年も会社を継続してきた私と夫に内緒にしていた事に心が一瞬にして冷えた。
返す言葉が無かった。
「ソウゾク」という呪いをかけられた2人は、私達夫婦を蹴落とそうと何年も前から結託し、判断力もままならない母親を言いくるめ、その日をじっと待っていたのだろうか‥。
その時点での私はまだ「血が繋がっていないという嘘」は知らない。
きっと2人はあの人から既に聞かされていたのだろう。
この言動が、今なら納得できる。
「何か言うことあるよね」と夢の中のあの人に詰め寄ったのは、この流れがあったからだった。
その後私と夫は、2人に流れていたであろう会社からの借入金問題も絡んでいた為、弁護士に相談することになる。
既にこの世にいない人がやっていたこと。
その全てを私達夫婦が綺麗に掃除しなければ、これからもやっていけない。
何故そこに気付けなかったのかと後悔ばかりの材料が山ほど出てきた。
この一連の流れの中に
私があの人に感謝されこそすれ、怒られたり恨まれたりする理由がどこにあるのだろう。
あるとすれば「形見の件」だろうか。
あの価値の無い古い形見に保険をかけていたなどの嘘を信じて。
娘ではない私が勝手に良い格好をしようとしたのがあの人を怒らせていたのだろう。
それくらいのレベルだ。
このくだらない悪夢のような出来事がもう2年前…。
こういう親族間トラブルはどこにでもある話だが、私は初めて身近で「強欲」と顔に書いている人間を見た。
今では2人の顔も思い出せないし思い出したくもない。
あの人の言う通り
血の繋がったきょうだいでない方がどんなに良いか。
もし、同じ腹から生まれたのだとしても
「あいつに得をさせる訳にはいかない!」
と恥ずかしげも無く言える人間でなかった事に、私は神様に深く深く感謝したい。
「因果」というものが本当にあるのなら、背負ったのは私ではない、あの人達だと思っている。
偶然妹と弟のそれぞれの同級生が知り合いにいてこの話をすると顔を歪めた。そして一言
「この町に必要なものを壊そうとした最低で欲深い人間。」
長かった様々な問題も調停となり不本意ながらも全て終わった。
私の体調面や周りの協力、何よりも現場でコロナと闘い歯を食いしばって業務を乗り越えてくれている職員への影響を鑑みて仕方なく「終わらせた」のだ。
そして穏やかな日常が戻ってきたようなある日、偶然ある人の言葉を受け取ることになる。
「お母さんは最後の清書をする場所に行く車の中で、ギリギリまで悩んでました。この遺言書の内容は本当にこれで良いのだろうかと…。
人生まだまだ長いですし、これからも書き足すこともできますからと伝えたのですが‥本当に悩んでました。まさか調停までそんな結果になるなんて…残念です。。。」
あれでも一応社長を務めた人間だ。
地元や親から離れて行った我が子2人よりも、
我が子と認めてなくても、この地で命より大事にしてきた仕事を引き継いでくれている人間に対し、誠実な内容なのかと不安がよぎったのだろう。
誰かの入れ知恵に従ってはみたけれど、良心が見え隠れした一瞬だったのかもしれない。
あの人亡き後、付け足す項目が書かれた一冊の大学ノートが会社に保管されていた。
記されていた内容が本音でなかったら、ここ何年かの経緯やあの人の嘘は、本当に人でなしで最低な人間の所業だということになる。
ノートは2人に読ませたあと不覚にも隠され、知らないと嘘をつかれ処分された。
調停に不利になる内容だったのだろう。
この愚行を草場の陰からあの人はどんな思いで見ていたのだろうか‥。
とにかく私はこの、とある人が伝えてくれた言葉こそが、あの人の最後のメッセージだと解釈することにした。
もう恨まないでくれ。忘れてくれ。と。
何か残念な事に直面したり、つまずいたりすると
「あの人があの世から私の仕事や人生を邪魔している‥」と思い込んでいた私。
私を怒っている。
私が情けないから。
私が弱いから。
私が全部悪かったから。
きょうだいからの仕打ちも全部あの人が仕向けているに違いないと怯え、自分やあの人を責める日々だった。
同時に、今まで積み上げてきた過去にも必要以上に執着していた。
10年間鬱病やパニック障害と戦いながら、どんなに辛くてもあの人の会社、お客様や社員の為に頑張ってきた。
私がいなかったらとうの昔にあの人の夢は立ち上げた会社と同時に崩壊していたはず。
あの人が離婚をしてからの第二の人生を、何十年も私は側にいて支えてきたつもりだった。
娘としてそれが絶対的に正しいのだと思い込んでいたのだった。
そして、実の親だと信じて疑わなかったあの人から、たった一言でいい
「褒められ、感謝」されたかったのだ。
与えられた言葉は
「あの子だけ私が産んだ子じゃないの」
全てが間違った私の「母親」への思い込みと過去への執着だったのだとやっと理解できたのだ。
死因となった突然の事故は、突発的で未だ納得できていない。
たとえそれが本人の体調不良が原因だったとしても。
側に誰かがいて適切な処置が出来ていたら、あの人は今でも私の横で仕事をしていただろう。
老後は豪華な高齢者住宅に入所し悠々自適に暮らしたいと笑って話していたことがあった。
その淡い夢も叶うことはなかった。
連絡を受け救急病院に駆けつけた
あの人の最後の日は
私の誕生日だった。
たかが夢、されど夢
信じるか信じないかは、私の思い一つ。
あの人が鬼の形相になるのは分からないでもない。
しかし、とある人の口を通して伝わった最後のメッセージはしっかり受け取るつもりだ。
「私は何一つ間違った事はしていなかったんだ。」
この世に絶対的に揺るがないものなど無いと思っている。
結果、血の繋がった我が子2人に裏切られることになったあの人は「哀れな人だった」と思うしかないのだ。
この様を見て心底悔しいのは「私」ではない。
間違い無く「あの人」なのだろうから。
それからの私は、一歩下がって客観的に見渡せるようになると、あの人の人生が垣間見えてきた気がした。
思いもよらぬ妊娠で、家業を継がなければならないボンクラ(私の父親)である男に、駆け落ちをしてまでついて来た17歳の女の子。
中絶できずに産みはしたが、その事実を認める事ができずに、産んだ覚えは無いと思い込み否定し続けてきた。
小さな頃に足に火傷を負わされた記憶が蘇る。
どんな思いで私にマッチの火を近づけ、苦労を強いられてしまう家に嫁ぐ原因となった私を、それでも育てようと決めたのか。
私への虐待の理由は、様々な人からの証言でヒントを得た。
あの人が嫁いてきた日から夫や義理家族から受けてきた傷がそうさせたのだ。
夢に見ていた結婚生活は苦労の日々。
何かあると小さな私を否定し気が済むまで殴り、火傷を負わせる事で自分を癒していた。
妹や弟が生まれてからはそれは加速した。
あの人は、思い込みから一つの事に執着するという精神疾患があり、大人になった私には暴力でなく嘘をつき苦しめる事で心の安定を図っていたのだ。
その嘘は、周りに苦労したとアピールする為の、私への人生最後の仕打ちだった。
そうする事であの人は、周りからの同情を買い、特別視をして欲しかったのだと思う。
寂しい人だったのだ。
‥もう‥
許すしかない。
誰を責めても過去は変わりはしないのだ。
こんなに哀れなあの人を「許す」事が出来なければ、
私という人間も永遠に救われないと思った。
全て終わった後、あの人は夢に出てきてこう言った。
「美味いものか、美味いコーヒーを飲みに行こう」
他に言うことあるだろうが。と思った。
夫は、あの人らしいな‥と笑った。
心も弱く頭も悪い、何の資格も自信も行動力も判断力も無い私。
それでもちゃんと足元を見ると、たくさんの人に支えられ夫婦で地域の為に働いている。
貧乏であろうが損しようが失敗しようが、マイナスからまたやり直そうが、そのやり方が私達の性分にしっくりくるのだ。
これからは自分の為に働き、そして生きていこう。
悲しみや怒りや憎しみ、そして後悔だらけの過去を手放そう。
後は、長い間誰かの為に努力できた自分を労い、褒め、許すことだ。
今までの経験は、きっと私という人間が強くなる為の試練だったと思えばいい。
低俗な人間を間近で見て良い勉強をさせて貰った。
こんな親に育てられたからこそ、真っ暗な闇で見つけたものがあった。
これからもゼロかマイナスの状態でしか見えないものもきっとあるはず。
無駄であった血縁関係を清算するという山を乗り越えずには、これからの私の人生は無い。
それでも私は今、必要とされ信頼し合える仕事仲間、真っ直ぐに育ってくれた我が子、自分なりに支えてくれる夫、善良な人間関係に囲まれて幸せだと感じている。
あの人が保身で振り撒いた私への仕打ちも、もう風に吹き飛んでしまい跡形も無く消えてしまった。
他人と他愛無い会話を楽しみ、人に寄り添える気持ちが持てるようになった。
小さな子供の手を繋ぐ、幸せそうなどこかの親子の姿を見て涙ぐむことも無い。
仕事帰りに見る夕陽までもが少しづつ色付いて見えてきた。
きっと、この先が子供の頃から夢見ていたもう一つの世界線なのだろう。
そう自分に言い聞かせながらこの新しい道を歩きださずにいられない。
運命に抗う事なく、自分らしくそのままの私で。
せっかくこの世に産まれてこれたのだから‥。
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