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【読書感想】B・コーンウェル『アジンコート』(原書)”Azincourt” by Bernard Cornwell

 まず、この本の感想の前に。なぜこれを読んだか、ざっと語っておきます。
 昔から漠然と感じていたことではありますが、日本の歴史小説が受け付けなくなりました。司馬遼太郎フォロワー的な作風が王道であること。稗史軽視。漢籍軽視。歴史を見る視点がどうにもなにかおかしい。そういう違和感を覚えることが増えてしまった。
 悪いのは私なのだとは思う。もっと言えば、小説は読むにせよ翻訳ものが多い。ミステリもそう。ミステリはプロットが入り組んでいる。文体がきっぱりハキハキしている。文体も大きくて、日本の作家の文章はふんわりしていて、自分に合わないと感じることが増えました。
 そんなこんなで、歴史小説は海外原書で。といっても、いまのところは英語のみ。今年中に中国語にも手を出したいところではありますが。 

原書のハードルはそこまで高くない

 コーンウェルはイギリス本国では人気が高い、アメリカでもそう。ハリー・ポッター以前、イギリスの十代が読む本の王者として君臨していた時期もあります。文体がわかりやすくさっぱりとしていて、読みやすいこともあるのでしょう。日本人はなんだかんだで義務教育に英語もあるわけですし、コーンウェルならいけると思いますがいかがでしょうか、ついでに言いますと、『ゲーム・オブ・スローンズ』(原作『氷と炎の歌』)のG・R・R・マーティンも読みやすい。邦訳は高いし、タイムラグがあるし、いっそ英語版で読み進めた方がよいかと思いますが、どうでしょう?
 ちなみにパトリック・オブライアンは読みにくくて断念しました。

 ネックは単語。武器や軍隊用語はまず習わない、しかも歴史用語となるとそりゃそうなる。ただ、今はKindleがあるから十分です。Kindleはアカウントを英語版で作っておいて、そちらと紐づければよいのです。私の場合、Kindle本体は日本、スマートフォンは英語に紐付けています。
 Kindleのおかげで原書が安く買えるし、どこでも読めるし,ハードルは格段に下がりました。『氷と炎の歌』なんて分厚くて大変だったものです。
 ちなみにタブレットを中国版アカウントと紐付ける計画は頓挫中。繁体字ストアでとりあえずあいそうなものを買っているところです。

 コロナ禍もあって、英語アプリの広告をよく見かけます。理解できないのは「ペラペラに話せちゃう! リスニング!」とか言っていること。いや、読む方がハードル低いと思いますが。英語版を読めば悲惨なことにならないことは日に日に増えてますよ。英語でニュースさえ読めば、Qアノン論者になんてならずに済むのに……そういうことを最近よく見かけますよね。散々馬鹿と罵倒される私ですらできるのだから、やってみればなんとかなると思いますが。

 いや、ネットで英語の読み書きについて語りたくない理由はありますよ。帰国子女や英文学専攻でもなければ言ったらいけないみたいな縛りあるし。実際,英語ペラペラアカウントさんに文法ミス指摘されるし、英語の話すればするでマウント取ってると勘違いされて不快な目にあうこともある。いやだから私は馬鹿なんでしょ? そう思って完結してりゃいいんですよ。こっちは趣味で歴史小説だのニュースだの読む程度にしか活用してないんで。自慢する気毛頭ないんで。
 そもそもネットでは学歴を公表している人があんなにいるのに、なんで英語を読まないんだとは突っ込みたくなる。入試でそんだけ偏差値高い大学入ったなら、私みたいなアホより断然賢いんだから英語くらい読んでくださいよ、読めますよね?……と言いたくなることもしばしば。もうなんだか、わけがわかりません!
 と、愚痴はこのあたりにしましょう。

 コーンウェルはリチャード・シャープはじめ、主人公の性格がきっぱりさっぱりしているので読みやすい。そんなわけで『アジンコート』でも。

邦訳されることはなさそうな作品ではある

 さて、この『アジンコート』。英語のタイトルを英語読みにして『アジンコート』にしていますが、邦題だったらフランス語読みの「アジャンクール」になりますかね。どちらが有名でしょう? ちなみにそもそも、その地名も英仏ではちょっとスペリングが違うそうです。日本語版のやらかすことを考えると『アジャンクールの英雄』あたりになるか。そしてヘンリー5世を推してくる広報戦略か。考えていてちょっと気分が沈んだので、邦訳がなくてよいのかもしれない。いやいやどうでしょう。
 ただ、邦訳の可能性はほぼないとは思えるのです。理由を列挙します。

・百年戦争に関して言えば、日本で知名度が高いのはジャンヌ・ダルクくらいでは? イングランドだとエドワード黒太子か。
・ヘンリー5世はじめイングランド側の人気はそうでもない。開戦経緯を考えればそうなるのでしょうが。
・シェイクスピアおよび世界史知識がないとわかりにくい。
・主人公が長弓兵で稗史視点。
・コーンウェルの知名度がそもそもそこまで日本では高くない。

 受ける要素が見つからないと言いますか。おもしろいんですけどね。コーンウェルは私が好きな作家でも確実に上位に入るんですけれども。
 惜しまれる話ではある。百年戦争の戦術は、戦国時代ファンでもおもしろいと感じる要素があるだろうに。兜のバイザーを開けているところがチャンスとか。武器や甲冑構造を日本と比較するとなかなかおもしろいものですが。
 本作の主人公はニック・フックという長弓兵です。この時点で厳しい。『麒麟がくる』の駒や東庵が「ファンタジーw」とかなんとか言われる我が国ではこの時点で……世界的にはこういう視点の歴史劇がむしろ主流なのですが、この世界と日本の落差が遠くない将来禍根にはなるのでしょう。だからこそ、大河班はそこに気づいたと私は思っているのですが。作り手は気づいても、受け手が気がつかなければどうしようもない。

「アジンコートの戦い」にはどうして歴史的意義があるのか?

 さて、「アジンコートの戦い」ですが。日本人にとっての「桶狭間」や「長篠」のような響きはあります。BBCの『トップ・ギア』ではイギリス人がフランス人チームに「今からアジンコートを再現します」と煽っていましたっけ(このあと大敗し「アジンコートではなくノルマン・コンクエストだった」となるオチ)。
 どうしてそんなに有名かというと、シェイクスピアの『ヘンリー五世』のおかげ。『ホロウ・クラウン』でも映像化されました。ともかくヘンリー5世がかっこいい! 「聖クリスピンの祭日演説」は有名です。ヘンリー5世は王子時代「うつけ」とされていて、父王が主役の『ヘンリー4世』二部作では父子が対立しています。そんなうつけが即位し英雄王となった。そういう筋書きが好まれている。織田信長との比較ができる人物像だとは思います。史実でのヘンリー父子は、息子がうつけというよりも政治や思想的な対立であったようですが。

 アジンコートのどのあたりが重要なのか? 研究成果は? そのあたりは巻末「ヒストリカルノート」をご覧ください。

長弓兵目線で描く、革新的な戦い

 そういう戦いを、長弓兵目線で描く。どうでしょう? 「長篠の戦い」を鉄砲足軽目線で描いたら。日本だと通らないような気がしますが、本作の重要性はここなのです。
 フックは最下層出身であり、粗暴な性格です。コーンウェルの作品の主人公は、時代がいつだろうとこういうタイプが多い。おなじみの人物像です。まっとうな男は兵隊になんかならないとはされておりまして、こういう無頼の青年こそ主役にふさわしいとはいえます。ちなみにフックら長弓兵は、経歴は創作でも名前は実在した兵士準拠なのだそうです。
 このフックは聖クリスピンの姿を見てしまう。シェイクスピアはバッチリと意識しているわけです。フックがフランス人修道女を救ったり、その父である貴族と対立したり。そんな冒険を通して、兵士目線のアジンコートが描かれると。
 ディテールが細かく、装備の違いや戦術差が出ていておもしろい。長弓兵の乗る船が粗末であることは、むしろフックが主役でなければ描けない。ヒロインを通してフランス人の感情もわかるので極めて秀逸なのです。
 こういう目線で描いた歴史劇が読みたかった。そう思えます。
 
 のみならず、この戦いの意義もわかる。
 ヘンリー5世は長弓兵を積極的に活用し、その速射を活かして勝利をおさめます。一方でフランス側は騎士が重たい武器で突撃してくる。
 戦術の転換がそこにはあります。
 どうして騎士が特別なのか? 馬の飼育は金や土地が必要になる。ゆえに騎士とはある程度の資産がないとなれない。フックのような長弓兵とは出自の時点で異なります。騎士道とは、そんなエリートたちの規範なのです。
 そういう規範ごとヘンリー5世が崩したことがわかる。それは捕虜の殺害です。
 捕虜は殺さない。それこそが騎士道――こう語ればとてつもなくロマンチックですが、要するに身代金ビジネスの側面がある。殺すよりも身代金を取ったほうがうまい。そういうからくりはある。
 けれども、ヘンリー5世はそれを破った。彼が革新的というよりも、捕虜を放置すると危険だということをふまえてそうするのです。けれども、貴族や騎士はそういうことはできない。そこで長弓兵を使った。

 ヘンリー5世がどうして強かったか? それは演説の才能がある天才だからではない。臨機応変かつ、それまでにあった騎士道規範を打ち破ったからではあるのです。どうです? 織田信長ぽいでしょ? こう書くととてつもなくカッコイイようで、問題はあります。彼の息子であるヘンリー6世は薔薇戦争に巻き込まれ失墜する。ランカスター朝は滅びます。まるでそれは信長の子の運命のように思えなくもない。ヘンリー5世は「アジンコートの戦い」のイメージがあまりに強烈ですが、政治的には盤石の王朝を築けなかった弱点はあるのでしょう。武田勝頼ひとりでなく、偉大なる父・信玄の代で不安定な要素が積み重なったように、ヘンリー5世も欠けているものはあったと。

 フックの目線から見たヘンリー5世は、シェイクスピアの描く像とは当然違います。史実に近づけ、峻厳で近寄りがたく、冷徹でもある。歴史学へのアプローチとして、シェイクスピアをふまえてから本作を読むとものすごく勉強にはなるのです。

「アジンコートの戦いで、イギリス軍が圧勝できた理由は?」
 こういう問題があったとしまして。
「ヘンリー5世がすごかったから!」
 そう答えたら、かつてはともかく、現代のイギリスでは点数がどれだけもらえるかということ。そのあたりを小説を通して描いてゆくと。
 ヘンリー5世のしたことは確かに素晴らしい戦術眼です。身分秩序を変えてしまったこと。人類の進歩という点でも見逃せない。人間は生まれつきの血で規定されるわけではない。神は本当にいるのだろうか? 聖クリスピンのお告げは出てくるし、作中では聖遺物を探すものの姿も描かれます。けれども、素直に神を信じていないようにも思える。時代は宗教委改革前夜。ランカスター朝のあとのチューダー朝で、イギリスはプロテスタント国家に変貌します。そういう予兆も感じられて、しみじみと勉強になり、かつおもしろい作品です。
 
 そうそう、コーンウェルは巻末に「ヒストリカルノート」をつけるから極めて良心的です。どこまでが史実準拠で、どこからが創作なのか、きっちり説明してくれます。歴史教育に役立つコーンウェル。邦訳されないけどね! 映像化もよくされるのですが、これまた日本まで到達しないことが多い。BBCのラストキングダムを見る方法を探るか……。

稗史目線の歴史こそ必要だ

 フックが属する長弓兵はイギリスでは大人気。『シヴィライゼーション』にもユニットとして登場しますね。むこうでは英雄単体よりも、ユニット単位でウェーイと盛り上がるようでして。コーンウェルらしい題材だとは思います。コーンウェルの代表作シャープリシーズは、これまた国民的大人気ユニット・第95ライフル連隊だ。ナポレオン戦争ものでこのユニットが出てこないと「やり直せ、このやろう!」となるやつ。
 ユニット単位で人気なので、イギリスの歴史ものは「俺らの祖先が戦ったんじゃい!」となるんだなと思えます。そこがおもしろい。コーンウェルはそういう兵士目線なので、言葉遣いがぶっきらぼうで気取った言い回しをしないから、読みやすいのだとも思います。おかげでしょうもないイギリス式罵声も覚えました……使い所が全くないけど。

英雄目線の危険性

 英雄目線だけの危険性も考えたいところ。というのも、なまじシェイクスピアが文才ありすぎて、ヘンリー5世のスピーチには変な愛国者イメージがつきました。プロパガンダに使われるわ。EU離脱でも極右が使うわ。
 フランスだとジャンヌ・ダルクがやられがちな扱いだとも思えます。百年戦争って、英仏両国にとって国民性のシンボルが生まれた象徴的な戦いでもあるのですが。アレな愛国者の手によって歴史上の人物が無茶苦茶にされていくのは万国共通なのかと悲しくもなりますよね……。

 英仏の目線を日本に向けて見ると、この問いかけへの答えも見えてくる。
「なぜ、自称現代の織田信長、坂本龍馬、ジャンヌ・ダルクはどうにも危険なのか?」
 あまりに英雄に夢詰め込んで掲げると、胡散臭くなる。そもそもヘンリー5世だってジャンヌ・ダルクだって織田信長だって、とっくに亡くなった古い時代の人物ですから。そういう古いアイコンしか頼れないってどうなのだ。BLM時代にそれはないでしょ。そういう気持ちも湧いてくるのです。
 歴史は英雄伝説で気持ちよくなるためのものではなくて、そのものを学ぶことが楽しいのだ。コーンウェルを読むとそういう原点回帰ができるから今後も読んでいきます。勉強もあるからとりあえず二周目。次はどうしようかな。
 歴史を学ぶ意義や読書についても考えた。
 いつの間にやら、SNSで感想を共有していいねをもらうことを目的としていないか? それはおしゃべりの楽しさを求めていることであり、学問や読書そのものを楽しんでいるとは言えないのではないだろうか?
 アジンコートの話して、誰かついてくると思う? ゲースロ原作の話すらついてくる人いないのに……だからこそ読むぞ。そういう気持ちを取り戻せたから、本書は読んでよかったと思えます。

古の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす。

 こういうことですよ。私たちはいつの間にか、ウケ狙いのために読書や勉強してませんか? 本来自己修練のためじゃなかったっけ? というわけで、これからも黙々とコーンウェル読みますってば。


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