『おちょやん』8 大正ボーイ・ミーツ・ガールは地獄みあるで

 おはようさんでございます! 千代がそう朝の挨拶をして、カメラがグーっと引いて道頓堀の風景を見せてきます。手抜きをせずに、大正の大阪を空気まで感じさせる.素敵な朝が始まりました。

手抜き子役の棒読み芝居

 はい、ここで天海一座のお芝居の場面。ここで子役の一平の演技が見えるのですが、ほんまに半端ないと驚かされました。
 昔の子役や! 棒読みで、子どもの愛くるしさだけで「まあまあ、子どもやかららな」という方向へ誘導する。プロの役者があえて下手くそな演技をするということを、子役で再現しております。
 敢えてここははっきり言いますけれども。昔の名作大河なんか見ると、子役の演技で引っかかるじゃないですか。名台詞で伝説の……なんていうから見てみると、無茶苦茶棒読みだったりする。それが時代だとは思います。

 最近は朝ドラや大河で子役の演技が話題にのぼりますよね。伝説の名子役という概念は、もうそろそろいらん気がしてくるんです。というのも、子役とエキストラは現場の空気をそのまま一番伝えるものだと思います.子役一人がうまいと、だいたい他の子役もうまい。それだけ気遣って、みんなで花持たせてるっちゅうことやと思う。昔は「まあ子どもやしええんやないの」というところだったのかもしれへんね。

 ある韓国ドラマのメイキングを見ていたら、主演俳優が子役に「とても悲しい気持ちを想像してごらん」と話しかけている。そう言われて、子役が迫真の演技を見せておりました。ナレーションは子役でなく「現場を作るこの俳優、どや!」と絶賛。そういうことでしょう。もちろん、演じる中須翔真さんはそれを吸収しているから、すごいんです。

観客の見る目をなめたらあかん

 さて、なんで一平は下手くそなのでしょう? 
 一平は体調不良を訴えて、父・天海が「岡安」で休ませて欲しいと言ってきます。ここで大正の地獄みのあることが言われる。親の死に目でも舞台に立てとかなんとか。それでもとりあえず、2階で一平は休むことになります。

 一平のやる気のなさは見抜かれていて、ハナに注意されます。芸が下手。それでも客は笑っていたと返すと、こう指摘されます。
「笑わせたのではなく笑われた」
 ほんまにこのドラマ……朝っぱらから、襟を正すっちゅう言葉を思い出す。このやりとりを観客が聞いていたら、
「ええやん、かわいかったでぇ!」
 とでも返ってきそうだけれども。そうではなくて、見せる側と見る側は真剣勝負、ギリギリだと理解している。そういう覚悟を見出しました。
 すごい。この気合いというか、覚悟が好き。朝ドラファンは褒めるだろうし、こういうことをすれば受けるだろうし、笑うだろうし。視聴率も取れるし、感想サイトでも「萌え〜」って言われるで。ハッシュタグも大盛況や。受けるネタ入れとこ。

 そういう甘え、一切なし! こういうことを推しがしたらペンライトを振るような、そういう流れやのうて、刀と刀を抜きあって斬り合うような、そういう迫真の、本来持つべき作り手の気合いを感じました。ほんまにええドラマや。

酒と女と、大正のお父ちゃん

 一平は仮病を使っています。千代が様子を見にくると、9歳同士ということであっさりとそのことを話してしまう。そのついでに、彼はポロリと父への反発も素直に言ってしまいます。
 酒と女ばかり。母親もいなくなってしまった。千代は自分の父と同じだとなんとなく親近感を覚えているようですが。嗚呼、大正の駄目な父たちよ。酒も女も全部バレとる。そこは当時の役者ですから、そんなもん芸の肥やしということでしょう。芝居、その合間は酒と女か。子どもにとってはたまらなく嫌だろうと、自分が子を作るころにはそんな嫌悪感を忘れて、同じ道をたどってしまう。負の連鎖が見えてきます。

 大正といえば『鬼滅の刃』ですが。少年漫画なのに、主人公周辺の父に酷い人が多いんですよね。元・炎柱ですら酒に溺れている。それだけ当時の日本人男性はあかんかったちゅうことです。

 そこへ、“いとさん”ことみつえが来て、欲しかった本を持ってきたと告げます。絵入りのものを見て盛り上がる二人。昨日、千代と一平は結ばれると黒子が予言していました。でも、見てくださいよ。
 千代はみつえのように、同じものを一平と見て笑うことすら現時点ではできない。当たり前、普通の淡い恋すら、千代には遠いのです。
 このあたりも、過去の朝ドラよりもむしろ『アンという名の少女』を思い出します。あれもアンとギルバートの初恋が、それはもう苦い味付けでした。

 千代はその場を立ち去り仕事に戻りながら、「字なんか読めんでええ!」と強がってはいる。そのうえで、千代はどれだけ賢いかもわかってきます。
 お茶子になって一ヶ月以内なのに、「すんませんやのうてごめんやす」と言い換える。文字の読み書きもできないのに、耳だけでそこまで覚えてこなせるようになっています。
 そんな千代は、お使いへ。ええ味出しとるメガネのおっちゃんに、鶴亀劇場の場所を尋ねると、ここやと笑顔で示されます。こんな役でも味が出ているところに、現場の仕上がりの高さが見えます。

『人形の家』にあこがれ、現実は厳しく


 千代は舞台で、熱演する女優の姿を見ます。そこにいたのは、高城百合子――。ここで彼女は、女性として自立し生きることを訴えている。その姿に千代は夢中になります。
 釘付けになった千代に、鶴亀劇場の社員が台本を渡します。千代は興奮しながらめくり、綺麗な字の台本を読もうとするものの……読めない!
 千代は一平に、簡単に書き直してもらえないか強引に頼みます。一平が嫌がると、仮病をバラすと脅しつつ頼む。やはり千代は賢い。こんなに賢く頭がきれるのに、どうして千代は文字すら読めないのか。そういうことが伝わってきて、こちらまで悔しくなってきます。

 千代は繁華街をぶらつく天海のお供をする。舞台はキラキラしていて憧れる千代ですが、こちらはどうだか。綺麗なようで、なかなましいあれやこれやもある。そんな難波の光景です。酒臭い息を吹きかける天海は、一流の役者というよりもカス。しかも、倒れたと思ったらそのまま事切れるという、朝ドラ限界に挑むような生々しい退場……。帽子を飛ばされて拾いに行った千代が戻ると、息をしていないという衝撃の展開ですわ。ええんかこれ!
 大正5年(1916年)暮れ、初代天海死す。享年33。
 大正時代やな。
 昔は介護問題がないとかなんとか言いますけど、それは結局、まだ若いうちに頓死する。こういうケースが相対的に多かったと。人の命が全体的に軽いんですわ。よくある勘違いとして、昔に戻れば問題が解決するというものがある。いやいやいや! そんなことないどころか、現代人からすれば地獄のような話が大量に待ち受けています。時計の針は前に進まないと問題は解決しませんから。

 だって見てくださいよ、一平が喪主で、盛大な葬儀をするこの流れ。
 千代はすっかり仕事を覚えて、混み合う葬儀でもこなしているとわかる。千代はどんだけ賢いのか。できる子です。子役時代に、千代がどれほど賢い人間か、そこはわかった! 頭のよさが端々に出ています。キラキラしとる。
 そんな中、河内でおとなりにいた小林辰夫が千代の顔を見にきます。千代があんな栗子でも、やや子もできたらええお母ちゃんになるやろ、そうヨシヲを気遣っていると、小林は驚いています。
 テルヲ一家、夜逃げしたってよ。
 『スカーレット』の常治を圧倒的に下回る。レジェンドカス父、蒸発! なんちゅう最低の家族像や……。

それぞれ最低の家族像

 あかん! 夜逃げって、もう半ば死語みたいなモンですかね。大正のころは、夜中にいきなり一家が消え去って、借金だのなんだの蒸発させる、自己破産と引っ越しを合わせたような手段があったもんです。時代が変わり、なかじ情報網が整備されるとできん話ですが。
 でも、千代からすればただただ、ひたすら最低最悪、悪夢のような話です。『なつぞら』の一家離散は、戦争という背景があった。しかしこういう場合は、ロクな理由じゃないと想像はつきます。

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2020年度下半期NHK大阪朝の連続テレビ小説『おちょやん』をレビューするで!週刊や!(前身はこちら https://asadrama.com/

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