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無気力を褒められる

ミコの吃音のため、月2回言語の先生の所へ通っているが、通所3ヶ月にして「今日はかなり調子がいいですね」と言われた。

私も気付いていた。言葉が詰まる(ブロック)の時、苦しそうに顔を歪ませたり、大きく深呼吸することがなくなり、考え事をしてますよ、というような感じでしばらく無音になり、普通に話しだすので、知らない人は吃音に気付かないかもしれない。

これはブロックの表現が形を変えただけなのか、とも思っていたけれど、そもそも言葉に詰まる頻度も減ったし、「あああああ、あのね」という連発も減っている。

少し前、私はここで書いたばかりだ。「月2回、言語の先生とゲームしただけで、吃音が治るということでもないだろう」と。こんなに早く効果が現れるなんて聞いたことがない。

では、他に何か要因がないかと心当たりを探すと、そういえば、最近私が気分転換にめずらしく運動をしたんだったと思い出す。それも2回だけ。もし吃音の本に「親が2回ほど運動するだけで、吃音が軽減します」と書いてあったら、すぐにその本を閉じると思う。そんなわけはない。

なんだ?何が良かった?

結局、思い当たるような節はほぼないし、そもそも吃音は、調子の良い日もあるし、悪い日もある。それに一喜一憂することはあまり意味がないと思われ、「最近はちょっといいんだな。よかったよかった」という感想を持つ以外のことが出来ない。

ミコも毎日成長しているわけだから、本人の成長のせいかもしれないし、緊張する場面が少ないのかもしれないし、それら複合的な要員なのかもしれないし、とにかく専門家でも吃音の改善、悪化の原因を言い当てるのは難しい。

一喜一憂しない代わりに、良いときも悪いときも、ミコにとって良いと思うことを続けることが大事だと私は思う。

教室に通い続けることもそうだし、私自身が意識的に気分転換をして家庭の精神衛生を整えることもそうだし、ミコを急かさずにゆっくり話を聞いてやることもそうだし。

吃音は、治る保証のない現象なのだから、効果があるらしい事を、どれだけ長く続けられるかが、残された唯一の道だ。

何ヶ月かして、また吃音が増えたときに、多分私はまた原因探しをすると思う。

でも、例えばそれが「もうすぐ運動会」とかだったら避けようがないし、「最近、私がイライラして怒ってしまったから」という理由でも、365日イライラしない人間に急成長もできない。

それに、吃音が減っている現在でも、定期的に私はイライラしている。子育て中にイライラしないほうが珍しいくらいだと思っている。

で、また基本に戻るのだ。とにかく、効果があるらしい事を続けていくのだ、と。良いときも悪いときも。

思い当たることと言えばもう一つ。ミコの言語の先生は、行くたびに私を褒めてくれる。例えば、「おかあさんはミコちゃんと一緒にテンションがあがったりしないし、一歩引いていてとても対応がいいですね!」とか。

それは元気のいいミコに疲れ切っているか呆れ返っているかのどちらかで、何も冷静なわけではない。私はもともとせっかちで口うるさいタイプなのだけれど、ミコがそれを上回るエネルギーであれこれ言ってくるので、もう力が残っていないだけなのだ。

でも、ミコがワーワー言っているときに、こっちもワーワー言うと、余計に興奮状態になるそうで、親が一歩引いているのは良いとのこと。

無気力な自分の対応を褒めてもらったことで、私は少しほっとする。もしかして、教室に通った効果は私の方に出ていて、それがほんのりミコに伝染しているのでは。

そうであったらいいな。

そして、せっかく褒められたので、私は引き続き、無気力なまま、大騒ぎする子を見守っていこうと、決意を新たにする。

「あっちのヨーフクがよかったのにっ!」
「ソーセージをオトシちゃった!ユカに!」
「おエカキしてたらニンタがじゃました!」
「テレビはミコがケスんだったのにーっ!」
「ゆるりんふわりんみんとっとー!」

はいはいはいはい。

洋服は着替えてください。ソーセージは自分で拾ってください。お絵描きはニンタから離れて。テレビはもう一度つけますので、どうぞお消しください。最後は、え、ちょっと何言ってるかよくわからないんですけど。

無気力を褒められたのは、始めてだ。

何かが一周まわったような気がして、悪い気はしない。





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