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もう、いらない

家の玄関脇に勝手に生えてきた木が、ますます大きくなってきた。もう私の背丈に追いつく勢いだ。

小さな雑草は夫が抜いてくれたが、その木だけは残したままだった。見た目が立派だし、庭のない我が家の小さな緑として鑑賞していくのも悪くない、と夫も思ったのかもしれない。

木の根はどんどん広がり、プランターを壊し、家と駐輪場の隙間に雑草が生えないように敷いた防草シートも突き破って、地中深く根を広げているようだった。

家に来た友達が「家の基礎に何か影響ないのかな」と言ったので、なるほど確かに、と、このまま放っておいてはいけないんだな、という気持ちになってきた。

更に、つやつやの葉っぱは、虫に喰われた跡がある。この木はツバキかサザンカのような見た目なので、もし同じ種類の木だったら、チャドクガとか、かなりやっかいな毛虫がつくかもしれない。小さなこどものいる我が家で、もしそんなことになったら駆除が大変だ。

それでも、私は木を放置した。もう大きくなり過ぎてどうしたらいいかわからないし、かつては花でも咲かないかと成長を見守っていた木で、憎しみがあるわけでもない。なんとかしなければ、という気持ちと、思い切りがつかない気持ちで、とりあえず、今日も放置。その次の日も放置。ずるずると毎日が過ぎていき、木は少しずつ少しずつ大きくなっていく。

そんな時、ご近所さんと立ち話をしていたら、その木の話題になった。
「何か花でも咲かないかと思っていたんですけど、何にもないみたいですね」
私が言うと、
「ああ、これはねえ、ザツボクよ。根がどんどん張るから切った方がいいわ」
とその人は残念そうに言った。

ザツボク…雑木という言葉を初めて聞いた。「雑草という名前の草はない」というのは有名な言葉だが、木もそんな風に言うことがあるんだな、と思った。もちろん雑木でも、緑として楽しむのならその人にとって価値がある。でも、私はそろそろお別れしたいという気持ちが強くなっていて、そのザツボクという言葉は決定打となるような強い言葉だった。

そして、そのご近所さんは植物を楽しんで育てていて、素晴らしいお庭を持っている。とても植物に詳しいのだけれど、我が家の雑草だらけの一角や、かつて子供と育てたイチゴや花について、ああしろ、こうしろ、とお節介を焼いてきたことが一切ない。
「うまくいったら自分の手柄でバンザイ、うまくいかなかったら、しょうがないなあって、それだけよ」
と、初心者が植物を面倒がらないように、気を使ってくれた。

それでも一度だけ、私が花についてしまった虫に薬をいくらまいても全然効果がなくて困っていた時に「うちではコレが効いたわよ」と、使っている除虫薬を教えてくれた。そういう奥ゆかしい人が、ハッキリと「切った方がいいわ」と言ったのは、かなり説得力があった。

「こっちにも勝手に生えてきたのがあるんですけど、これも抜いた方がいいですかね?」
私が調子に乗って別の植物も指すと
「これは赤い小さい実がついて、かわいいわよね。うちに生えてきて、そのままにしたこともあったかも。そんなに大きくならないしね」
と教えてくれた。

この木とお別れしよう。私の決心は決まったが、それでも数週間、私は毎日その木を眺めたまま暮らした。どうやってやろう。いつやろう。いつでもいいし、でも、毎日大きくなるのだから、早い方がいい。でも、今日はいいか。明日でいいか。いつしか、この木は私の心に少しずつ澱を溜めていく存在になってしまった。

今朝は、いつもと変わらない朝だった。少しだけ違ったのは、10分ほど朝の支度を早く終え、私と一番下のミコが早めに外に出たことだった。保育園に送っていくために、自転車を道路に出す。自転車を出すと、陰になっていた件の木がハッキリと見えるようになる。

「今やろう」。私は急に思い立った。頭の中には、私の大好きなドラマ「半沢直樹」のシーンが思い出されていた。半沢直樹の敵だった白井大臣が、ずっと服従してきた大物政治家を裏切って、半沢側に寝返るところ。大物政治家の象徴とも言える、その人が大切にしてきた盆栽を、頭上高く掲げ、力を込めて床に叩きつけるシーンだ。

私は、やおら素手で木を掴んで引っ張った。少し動くような感覚があったが、複雑にあちこち繋がっている。右に左に振り回すと、幹がミシミシと割れ、そして防草シートが切れたのか根が切れたのか、何かブチブチと小さくちぎれる音もする。

ミコは何を始めたのか、とはしゃぎ
「おかあさん、ガンバレー!ガンバレー!」
と応援した。
かなり強い力でないと無理そうだ。家にはまだ夫がいて、おそらく2番目のニンタの身支度を手伝っている。夫に頼んだ方がいいか、いや、自分の力で抜きたい。むしろ、夫が家から出てくる前にカタをつけないと、何か言われそうだ。

私は家の基礎部分に足を踏ん張って、出来る限りの力を入れて何度も引っ張った。ミシミシミシ、ブチブチブチ、生き物がちぎれる音。かつて大切に見守ってきたものが、今は私の気持ちを荒ませる存在になっている。花が咲くか実がなるか、可能性を秘めて私の心を照らしていたものが、急に色褪せて、どうでもいいどころか、害まで感じている。

もういらない。私には、もういらない。

バリバリバリッ

ひときわ大きな音を立てて、木が抜けた。私は勢いのまま道路へひっくり返って腰を打ち、振り回した木からは葉っぱが散らばり、根からは土が飛び散った。
「抜けたー!抜けたよ!」
私が笑って喜ぶと、ミコも
「ヤッター!ヤッター!」
とピョンピョンと嬉しそうに跳ねた。

何の未練もなく、私はその木を家の駐輪スペースに投げ捨てた。ほどなくして、夫がニンタと出てきて、不思議そうな顔をして眺めて出発していった。

「よし、ミコ、保育園行こうか!」
「シュッパーツ!」
ミコを後ろに乗せて、泥だらけの手で自転車のハンドルを握る。

木には何の罪もないが、残念ながら我が家では共生できなかった。ずっと離れたかった存在と離れられた。やった、嬉しい、ついに私はやった。

私は元気よく自転車のペダルを踏んで、登校中の中学生を追い越していく。

さよなら、さよなら、やっと離れられたよ。さようなら。





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