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【第□章】メビウスの輪を巡り (1/4)【起点】

【目次】

【第■章】

 西暦20XX年、大西洋上に造られた巨大人工島、通称『アトランティス』。

 各国と国際企業群の出資で建造され、運営されている人口100万人ほどの海上都市は、もっとも新しい独立国家として国際的に認知されている。

 温暖で安定した気候と物珍しさから観光地としての人気も高いが、その本質は、人類共通の利益を目的として設立された国際研究機関である。

 海上航空に、一機の飛行機が着陸する。国際線ゲートから多くの観光客が歓談しつつ出てくるなか、キャリーケースを転がす一人の青年の姿がある。

 慣れないスーツ姿の青年が提示したパスポートには、ルーク・ラッセルズと名前が記されている。入国審査は滞りなくおこなわれ、青年は南国の楽園を思わせる人工島に降り立つ。

「……アトランティス中央研究所まで」

 タクシーを捕まえた青年は、運転手に行き先を告げる。ドアが閉まり、タイヤが回転し始めると、ルークは車窓から外の景色を眺める。

 都市、道路、建設……土木工学の英知を結集して造られた海上都市は、データと数式に基づいた理路整然とした設計により、区分けされている。

 しかしながら、そこに住み着いた人々は多国籍な装飾をほどこした観光客向けの店舗を開き、秩序と混沌が絶妙なバランスで調和した不思議な街並みが広がっている。

 後部座席でほおづえをつく青年は、そんな人口都市の光景を好ましく思った。願わくば、自身の仕事もかくありたいものだ。

 タクシードライバーは観光客向けの陽気な話題を口にし、ルークが何度か生返事をくりかえすと、静かになった。やがて車輌は、中央研究所の正門前で停止する。

 降車したのち、青年は運転手への代金にチップを上乗せし忘れたことを思い出す。タクシードライバーは文句も言わず、次の客を求めて繁華街へ車を走らせていった。

 時間は、ランチタイムを過ぎたあたり。気温は、思ったよりも暑い。ルークは、守衛に用件を告げる。いかめしい顔つきだった警備員の顔にビジネススマイルが浮かび、あっさり入場を許可される。

 青年はキャリーバッグを転がしながら、中央研究所の敷地内を歩く。銀色の建物たちとそのあいだに植えられた広葉樹が、同じ割合で視界に入ってくる。好みの造景だ。

 パンドラ解析プロジェクト特任研究員。今日付けで、ルークに与えられる肩書きの名だ。そもそも『アトランティス』自体、このプロジェクトのために造られた。

 位置的にも、意味的にも、海上都市の中心に存在する最重要研究棟へ、青年は近づいていく。エントランスのまえに、見知った人影がある。

「ルークくん! ひさしぶりではないかナ……なんとなればすなわち、健康そうでなによりだ!!」

「博士課程ぶりです、ウォーレス教授! こうしてまた一緒に研究できるなんて、光栄のかぎり……ッ!!」

「ミュフハハハ! 謙遜する必要はないかナ。採用試験の採点には、このワタシも関わったが、キミは歴代最高得点だったよ。師として鼻が高く……正直、少しばかり嫉妬した!!」

 白衣を羽織り、遮光眼鏡をかけた、いかにも研究者然とした初老の男性と、スーツ姿の青年は固い握手を交わす。

「ところで、ウォーレス教授……いえ、いまは研究主任とお呼びすべきですか……」

「どちらでも、好きなほうで呼びたまえ! それはそうと、キミの言いたいことはわかるかナ……『アレ』のことだろう?」

 ルークは昂奮を隠せぬ様子で、恩師に対してうなずきをかえす。アトランティス研究所、および海上人工都市の存在理由……『パンドラ・シャード』のことだ。

「パンドラの欠片」という意味深な呼称を与えられた小物質と人類が出会ったのは、青年がまだ子供だったころだ。それは、虹のような極彩色の尾を引く流星として現れた。

 それから数年後、のちに『パンドラ・シャード』と名付けられる物体が、ほとんど未知の分子構造……それどころか、一部の組成に至っては解析すらままならないことが明らかになった。

 当時のニュースは、学会はおろか、一般人のあいだにも衝撃をともなって受け止められた。ルーク少年が、科学者の道を志したきっかけでもある。

 その後の研究で、物体内に刻印されたナノサイズのメッセージが発見され、「パンドラの欠片」の重要性は、決定的なものとなる。

──100年まえの同胞たちへ。

 短い伝言と、その時点であきらかになっていた研究データから、『パンドラ・シャード』が未来からの飛来物である、との推察は有力な学説となっていった。

 未来人類からの贈り物……その解析は、現代人類にとって共通の重要課題として、国連が動き、ついには絶対中立の研究拠点として『アトランティス』建造にまで至る。

「なんとなればすなわち……実物を見てもらうのが、早いかナ」

「よろしいので、ウォーレス教授!?」

「赴任してきた研究者には、皆、そうしている。研究対象を自分の目で確かめないなど、愚行の極みだとはおもわないかナ? さあ、荷物はそこらへんに置いてついてきたまえ!」

 初老の研究主任は、中央研究棟内部へ向かってずんずん歩いていく。ルークは、キャリーバックを事務員に預けると、あわてて恩師のあとを追いかける。

 エレベーターは緊急メンテナンスで動かないとのことで、師弟の二人は螺旋階段で最上階を目指す。脚は疲れるが、ルークは教授と会話できる時間がとれて嬉しかった。

「なんとなればすなわち、ルークくん。心の準備はよいかナ? これからキミは、文字通り『アトランティス』の心臓と対面することになる!」

 最高セキュリティの研究室の機密扉をまえにして、ウォーレス教授はもったいぶるような大げさな仕草でカードキーを挿入する。圧縮空気の吐き出される音ともに、ドアが開かれる。

「これが……未来からの贈り物……ッ!!」

 若手研究者は感極まった声をあげ、昂奮をおさえきれぬまま、よろめくように研究室内部へ吸いこまれていく。誇るように、ウォーレス教授があとへ続く。

 師弟が室内に入ると、機密扉は自動的に閉まり、ふたたびロックされる。当然のセキュリティだ。地球上にふたつとない物体を保管しているのだ。

 思ったよりも小振りな室内に、各種測定器が鎮座し、中央には円柱状のシリンダーが設置されている。その内部に保管されているのが──

「『パンドラ・シャード』……実物だッ!!」

 ルークは双眸を見開き、わなわなと両手を震わせる。ガラス製の円筒のなかに転がる物体は、石炭か黒曜石のような小片で、前提知識がなければ重要性にも気づかなかったかもしれない。

 ただ室内の照明を反射するとき、極彩色の輝きを放ち、みずからが超常の存在であることを控えめに物語っている。

 若手研究者は、自らが科学の道へ進むきっかけとなり、おそらく一生をかけることになる研究対象を少しでも間近で観察しようと、なめるようにシリンダーに顔を近づける。

『──緊急事態発生、緊急事態発生、緊急事た……』

 けたたましい館内放送が鳴り響いたかと思うと、唐突に音がとぎれ、ルークは身をのけぞらせる。ウォーレス教授と、顔を見あわせる。

──プシュウッ。

「何者かナ!?」

 機密扉の開く音を聞くと同時に、初老の研究主任はとっさに振りかえり、ドアの向こうにいる相手に誰何する。若手研究者は、思わず口をおさえる。

「尾鷲会長……ッ!!」

 ルークが口にしたのは、『アトランティス』最大の出資企業でもあるオワシ・コンツェルンのトップの名前だった。

 ガスマスクつきのヘルメットをかぶり、防弾ベストで完全武装した兵士を左右に引き連れ、紋付き袴に身を包んだ老齢の経営者は、杖をつきながら頼りない足取りで部屋に入ってくる。

「おひきとり願おうかナ、プレジデント・オワシ! 最高額のスポンサーであろうとも、このワタシの許可なしに、この部屋への入室は認められないッ!!」

「げぼっ、げぼお……ウォーレス所長。戦争<ウォー>、無し<レス>。つまらん名前じゃ。戦争ほど、金を儲ける手段はそうそうないというのに……」

「このワタシは、自分の名を気に入っているかナ。そも、戦争に組みせず発展する科学こそ、人類の理想であり……」

「──ッシャア! 誰がしゃべっていいと言った!? 儂の話の邪魔をするでないわッ!!」

 突然の部外者に対して毅然と反論するウォーレス教授に対して、尾鷲会長はかんしゃくを起こしたように怒鳴りつける。

「げぼっ、げぼお……ッ! 偉そうに説教してくれるわ、若造が……貴様の言うところの理想、いったいいくらの値がつく?」

「……理念とは、市場原理で測るものではないかナ」

「くわっ! これだから、若造はなにもわかっておらぬ……儂には、その値段がわかっておる……」

 尾鷲会長が、にたりと笑みを浮かべる。ウォーレス教授の背に隠れるようなルークは、臓腑の底から髪の毛の先まで震えるような寒気を覚える。

「儂の一声で、兵士がトリガーを引き……ウォーレス所長、貴様を殺す。その生意気な口は、二度と開けなくなる。つまり……青臭い理想の値段は、銃弾一発ぶん、というわけじゃ」

 老経営者の理屈に、二人の科学者は絶句する。眼前の老人に、自分たちのつちかってきた常識は通用しない。

「げぼっ、げぼお……ッ。時は、金なり。つまらん問答をしに来たわけではない。今日から、この研究所は儂の……オワシ・コンツェルンの管轄とする」

「なにを言っている、尾鷲会長! 『アトランティス』は、国連主導の絶対中立研究機関!! 民意が、国際世論が、そんな暴挙を許すはずが……」

「……ほかの研究棟に、毒ガスを流しこんだ」

 激昂したルークに対して、老経営者は足下のアリでも潰すかのように、こともなげに言ってのける。

「毒ガスは、この研究所で秘密裏に製造していたものが漏れ出したことにする。ウォーレス所長は、清廉潔白な研究者を演じながら、その実、死の商人だったというわけだ」

 蒼ざめる師弟二人をまえにして、名案だろう、と言わんばかりに尾鷲会長は口角を吊りあげる。

「アトランティス中央研究所の不祥事は、我がオワシ・コンツェルンの警備部隊の素早い対応により鎮圧。以降、儂の管轄のもと再建。どうじゃ、文句あるまい?」

「なにをむちゃくちゃな! 誰が信じるんだ、そんなもの!?」

 ルークの怒鳴り声に対して、老経営者は一瞬、なにを言っているかわからない、といった様子で目を丸くし、すぐに怒りで眼球が転がり落ちそうなほどにまぶたを見開く。

「くわっ! 無知蒙昧な若造めが……人は、特に貧乏人は、信じたいものを信じる。民意も、世論も、札束で買える……というよりも、もう、買った。だから、儂はここに来た」

「なんとなればすなわち……作り話を、さも真実のごとく流布するつもりかナ。そのような行いこそ、科学がもっとも唾棄し、抗ってきたものに他ならない……!!」

「──ッシャア! 黙らっしゃい、ウォーレス所長……なんとほざこうとも、今日から貴様はテロリストじゃ!!」

「教授──ッ!!」

 尾鷲会長の左右に控えていた完全武装の兵士たちが、拳銃をかまえる。ルークが、恩師の身体を突き飛ばす。銃声が響き、鉛弾が若手研究者の身体を貫く。

 青年の意識は、そこで途絶えた。

【螺旋】

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