「ZOZOARIGATO」会員割引とそれに対してのアパレルメーカーのZOZO撤退について思うこと

昨今話題の社会貢献型会員サービスのZOZOARIGATOこちら百貨店業界に関わる私としては、非常に「騒つく」話題である。


ブランド価値の低下云々という名目で退店しているアパレルメーカーが多いようだが、恐らく根本的な原因は一物二価の状態になり、自社店舗や自社ECサイトでの売上低下を懸念したというところなのではないか。
つまり、同じ商品なのにZOZOと自社の販売チャネルでは価格差が生じ、ZOZOにお客さんが奪われるのではないかと考えたのだ。

それもそのはず、アパレルメーカーにとっては近代史における普通選挙の如く、百貨店との価格決定権を争った上で勝ち取ったという経緯がある。

1900年代以前は呉服問屋が言い値と呼ばれる客を値踏みし、商品の値段を売り手が決めるのが主流であった

それがデパートメントストアという業態に移行していくにつれ商品の正価・陳列販売が主流になった。

また、1960年代中盤になってくると百貨店自体が買い取って販売するという買取仕入れが減少し、アパレルメーカーへの委託販売や、百貨店が在庫を持たず、実際に販売した瞬間に仕入れを立てるという消化仕入れ方式(ほとんど売上に対しての歩合をもらう方式と同様)が主流になっていく。

それにともない、小売店側にあったはずのモノの値段を決める権利というものが、アパレルメーカーに移行していくのだ。

それ以前は、よほどの売れ筋でない限り、商品が質に対して高かったら小売店に仕入れてもらえなかったが、価格決定権とMD(品揃え)の権利を獲得したアパレルメーカーは百貨店などに売上歩率を引かれても利益が獲得できるような考え方から価格設定をするようになった。

この点がバブルが弾けた後の1990年代以降から訪れる「百貨店のお洋服って値ごろ感がない」「質に対して高い」「セールでしか買わない」などのような傾向につながっていくのだ。

そのような流れでみるとZOZOTOWNの手法はアパレルメーカーからすれば価格決定権を再び奪われるのではないかと疑心暗鬼になる気持ちは理解しやすいのではないだろうか。(特にオンワード樫山などの百貨店から価格決定権を積極的に奪ってきた企業などは遺伝子レベルで拒絶してしまうのではないか)

しかし、そもそも原則論からするとネット販売価格とリアル店舗での販売価格が同一なこと自体がおかしいとも言えるのではないか。

ネットではご自慢の素敵な販売員さんたちによる接客をすっ飛ばして、商品をモノとして際立たせて消費者に購入してもらう。服の種類や色、サイズや価格などでソートして消費者が買えるようになっている仕組みをみればそれは明らかだ。
一方リアル店舗では商品の魅力をそのモノの価値以上に表現して(くれるはずの)販売員さんがいて、お客さんとコミュニケーションを取りながら最終的な購入というところにお客さんの気持ちを導いていくのだ。

要するにネットの方が格段にコストが低いのだから、リアルの販売員さんの技量に敬意を払いむしろ積極的にネットの販売価格を下げるべきなのではないだろうか。

価格競争の成れの果ては「0円ケータイ」に象徴されるように値段はより低く、商品の質はより高くというところに行き着いてしまうのであろう。それ故に安直な値下げは私も望まない。しかし、あまりにも時代錯誤なビジネスモデルのまま、まるでシーラカンスな如く生きた化石と言われかねない形での、商売を行なっているのが百貨店とアパレルメーカーなのだ。

この現代において、Amazonなどを筆頭とするECプラットフォームを中心とした第3次価格革命が今起きようとしている。
掛け値から定価になり、そして変動価格へと。変化に対応できなければ小売は生き残れない。

百貨店を捨てろ。アパレルを捨てろ。さすれば変わらむ。

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