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「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」

久しぶりに映画をみたので、経緯・所感を記録しておこうと思う。
観ようと思った経緯は、渡辺淳一さんの本でサルトルとボーヴォワールの関係が引用されていて、さらになぜ渡辺淳一さんの本を読もうと思ったかというと、確か酒井順子さんのどれかのエッセイに出てきていたからだった気がする。

さらになんで酒井さんの本を読もうと思ったかというと、なにかの雑誌か本屋で本を見かけたからなんだけど、なんでサーフィンが始まったかというと家族観について興味が惹かれたからな気がする。

サルトルとボーヴォワールの関係に戻ると、この2人は事実婚の先駆けということで引用されていた気がする。映画を見ている間、フランス(映画)っぽいな…という全体的な印象もある一方、事実婚の先駆けだったという2人の関係はあくまで哲学者としての矜持の結果のような印象だった。

最近手に入る事実婚や同性婚などを扱った情報からは、生きやすさ・自己実現の延長のような感がある。映画においてはどちらかというと社会的地位や個を尖らせるためにもがき苦しむことになった原因のような描き方だったように思う。

あっさりとしたまとめになってしまうけど、現代における家族という概念は制度的・慣習的なものだという気がしてならない。でも、自分の行使できる範囲の権利を使って一緒にいたい人・幸せになってほしい人に少しでも何かできたら、と考えることは生き甲斐になるなと思った。(自分のために誰かを探す、というより、誰かのために、という考え方ができる間は社会的な生き物として自己肯定につながる気もした。)

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